103.安心、それが人間の最も近くにいる敵である。
一室ごとに掛けられている致死性の高い罠を打破しながら、城の奥へと進む。ここはRPGのダンジョンか何かか、と心の中で毒づきながら、駆け抜けるように足を進めた。
各部屋ごとに虱潰しに探索を進めてもいいのだが、如何せん時間がない。……嫌な予感がしてならないのだ。
走るたびに鼻につく腐臭が煩わしい。毒に耐性はあるが、頭が痛くなりそうだった。
レイチェルの祈りのおかげか、罠自体の看破は楽になったのだが、如何せんその数が多すぎる。何十にも張りめぐらされたカウンタートラップもあり、一度足止めをくらうと中々前に進めない。焦りばかりがつのってしまう。
そもそも相手の目的が分からないのだ。本命の相手がまだこの世界にやってきてない以上、ユーグを浚い私を呼び出してどうするつもりなのだろう。まさか相手も、この城にある罠で私のことを殺しきれるとは思っていないだろうに。
それにしても、どうやってユーグのことを操ったのだろうか。敵が簡単に国の中に入ってこれないように、対策はちゃんととっていたはずだ。穴があったとは思えない。
――今にして思えばこの時、敵が誰で、どうやってこの状況を作り出したのかを推測する為の情報は確かにあったのだ。
だが、それに気づけというのは普通の人間には酷だろう。けれど、何か一つ――それだけでも事前に気づくことが出来ていたならば、これから先に待ち受ける『悲劇』は起こりえなかったかもしれない。
城に潜入してから早一時間。私はようやく城の最上階にある部屋の前へとたどり着いた。
外から襲撃を掛けてもよかったのだが、万が一ユーグに被害が及べば目も当てられない。それが一階から城を攻略していった理由だった。
恐らくユーグを浚った相手は、私が城の中に入ったことを感づいている。というよりも、ここまで大きな破壊音を立てて進んできているのだから、気づかない方がおかしい。
それでも私に接触を取ろうとしないということは、やはり本丸である最上階まで来てほしいということなのだろう。
それに最初は分かりにくかったが、この部屋に近づくにつれて、あの不愉快な臭いが段々と強くなっていった。この部屋が正解だと言っているようなものだ。
細心の注意を払い、ゆっくりと扉を開ける。案の定扉に仕込まれた罠で爆薬や飛び道具が飛んできたけれど、予想はしていたので難なく避ける。さっきからこんなのばっかりだ。
苛立ちを隠さずに行儀悪く舌打ちをして、部屋に乗り込む。
「ユーグをどこにやった!!」
そう大声を上げながら部屋へと乗り込んだ。
――その部屋は天井が何らかの損壊によって吹き抜けになっており、空には下で見たよりも大きく見える満月がキラキラと輝いていた。
その月の真下に――黒いローブを着たユーグがぼんやりとした様子で立ち竦んでいた。
「ユーグ!!」
名前を呼びながら、急いで駆け出す。ユーグの側に着くまでに罠はあったが、無理やり魔力で焼き切るように解除した。
絡み浮いてくる蔦のようにしつこい罠を踏みにじり、ユーグの肩を軽く揺さぶりながら声を掛けた。
「ユーグ!! 大丈夫なの!?」
それでも反応がないので、少し強めに頬を叩いた。三度ほど叩いた頃、ぼんやりとではあるが、ユーグの目に光が戻っていった。
「……まおう、さま?」
「そうだよ。大丈夫? どこか痛くない?」
ほっと安堵の息を吐きながら、ユーグに笑いかけた。顔が少し痛いと言われたが、真実を答えることが出来ずにそっと目を逸らす。叩いたなんて言えない。
「ここはいったい……何があったんですか?」
「覚えてないの?」
「はい。何だか昼ごろにすごく眠くなってしまったことだけは覚えてるんですけど、それ以降は全然……」
「そう、でも無事で良かった……。早く帰ろう? ここにはあまり長居はしない方がいい」
部屋の中と近くにある他の部屋の気配を探っても、人っ子一人存在する気配がない。
何らかの目的を持って私をここへと呼び出したことは確実なのに、この段階になってもまだ相手の考えが読めない。そのことが不安でしょうがなかった。
――さっさと脱出して城ごと破壊してしまおう。そう結論付けて、私はユーグを背負おうと、彼の方へしゃがんで背を向けた。ユーグももうだいぶ大きくなったし、抱き上げるには少々きつい。腕力ではなく、絵面が。
「さ、乗って。急ごう」
「ありがとうございます、魔王様」
そう言ってユーグは私の背中に寄りかかった。そして彼の体を持ち、立ち上がろうとしたその瞬間。
「――え?」
左の脇腹に、鈍い痛みが走った。その瞬間に、もはや反射的に原因となったものを振り払った。そして、自分がしでかしたことにハッとする。
どさり、と尻餅をつくようにして、私に攻撃をした存在――ユーグは重力に従うように、ゆっくりと後ろの方へと倒れこんでしまった。その瞳は硬く閉じられ、開かれる様子はない。まるで、最初から起きていなかったかのように。
「……ユーグ?」
呆然と彼の名を呟く。
倒れこんだユーグに脈があることを確認した後に、脇腹に刺さっている短剣をずるりと引き抜く。零れ落ちた血が床を汚した。
対応が早かった為。傷自体は数センチ程しかないものの、その傷はじわじわと範囲を広げるように焼けるような熱さを放ち、決して少なくはない血が流れだしている。
刃渡りが短い為かそこまでひどい傷ではないが、それでも痛いものは痛い。
簡単に傷口に治癒魔術をかけて、手に持った短剣を布で包み、無造作にベルトに引っ掛けた。
その場に座り込みながら、呆然とユーグを見やる。言葉が出なかった。
まさか。そんな。もしかして彼は――。
「――操られていた。つまりはそういうことですよ、魔王様」
それは女の声だった。そいつは部屋の隅の陰から滲み出るようにして、人の姿を形作っていった。
桃色の髪に、黒いローブ。服装こそ違うものの、どこかで見たことのある女がそこに立っていた。
「オズの、ドロシー?」
リヒト兄弟の恩人であり、オズの重鎮。そして――彼女よりも年嵩のあるベン爺に既視感を抱かせた謎の人物。
「哀れなる魔王様。本日は大変良いお日柄ですこと。空に輝く満月も私達の出会いを祝福しておりますわ」
「何を、言っている」
そっと倒れているユーグを自分の方へと引き寄せながら、私は女を睨み付けた。
「あらあら、分かっているのでしょう? 私が誰だか。――私、貴方の敵ですのよ?」
けらけらと甲高い声で笑いながら、女――ドロシーはこちらへとにじり寄る。
いつでも逃げられるようにユーグを抱えて、私はドロシーに問うた。
「聖遺物を盗んでこちらにちょっかいを出していたのもお前だろう? ――この薄汚い虐殺者め」
「魔族という異種族を駆逐しきった貴方には言われたくないですわ。まぁ、お分かりいただけたなら行幸……さぁ、最後の儀式を始めましょう」
そしてドロシーは耳慣れない言語を用い、何らかの呪文を唱えようとした。だが、それを黙って見過ごす私ではない。
「――死ね」
その言葉と共に、何百もの氷で出来た杭がドロシーへと降り注ぐ。一切の躊躇がない殺意の乗った攻撃魔術だった。
――貫いた。確かにそう思った。けれど、ドロシーの放つ気配は消えない。
「……身代わりの木偶か」
「ええそうですとも! 私が貴方に敵うわけがないのですから!」
部屋のどこかからドロシーの声がする。どうせこれも木偶だろう。本体はきっと、もう既にこの城の中にはいない。
「あはは!! ようやく、ようやく揃った!! 数多の聖遺物に、触媒となる英雄の生き血!! さあさあ皆様ご覧ください! ――勇者様のご降臨です」
止めるまもなく、ドロシーの影が口上を述べる。それと同時に、足もとの床が輝きだした。
じわり、と私が流した血が、床に現れた光輝く魔法陣に溶けるように吸い込まれていく。勿論私もその光景を黙って見ていたわけではない。床ごと魔法陣をかき消そうと何度も攻撃をした。それでも、消えない。
よくよく考えてみれば分かることだったが、この廃城は彼女のホームグラウンドであり、ある程度の攻撃には耐えられるくらいの補強はしていたのだろう。
そして何より、ドロシーは私があまり大規模な攻撃ができないことを分かっていた。いや、仕向けたのだろう。きっとその為の、ユーグだ。
「――くそっ、止められないっ!!」
魔法陣が爆発的な魔力を放出した瞬間、私はユーグを守るようにして彼を抱きしめ、結界を張った。
――そして私は出会うことになる。最初で最後の『殺しあうべき宿敵』に。




