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「チクリンの英語。よく、ノート借りた、んだと思う」

 それ以上、大声が出せないとお互い感じて、あとはかすかに水音のみが響いた。


 急にミーナの記憶がよみがえる。高校一年、いや二年?


 チクリンは背が低く、やたら怒りっぽい初老の英語教師で、宿題を山のように出すのが常だった。クラスの男子はよく、休み時間にノートを借り回っていた。英語が得意なミーナのところにも、

「貸してください、お願い」

 と、何人もおねだりの目で男子がやってきた。タカハシくん、タネガシマくん、それに……


「シイくん?」


 ミーナ、茫然と立ちすくんだ。

「うわ、どうしよ」

 あの、シイくん? 椎名くん、そうだ。

 そう言えば、あの目。どこかでみたはずだ。なぜ忘れることができたの?


 すでにボートは、はるかかなたの点となって、闇に消えていた。

「やだ」

 美奈子に戻ったその少女はひとり、ぽつんと取り残された。



 あの目、強く、つよく焼きついていた。大好きだった。

 真面目なイメージで、あまり騒ぐタイプじゃなかったけど、よく見ると何だか惹きつけられる表情をしていた。特にいい男というほどではなかったけど、時おり見せる笑顔に、はっとなったことが何度もあった。

 髪型も平凡だったし、太っても痩せてもいない、背は高いけど特に高すぎもしない、たくましくもないけどなよっとしている訳でもない、どこにでもいるような普通の男子。

 なのに、真剣な表情でこちらを見つめてきた時、その目ヂカラの強さに美奈子はすっかり魅入られてしまったのだ。

 いつからそうなったのか覚えがない、でも、いつの頃からか、彼ばかりを目で追っていた。

 他の男子には貸してやらないノートも、何だかんだ言い訳して彼にはよく見せてやったし。彼は美奈子の想いを知ってか知らずか、ノートのお礼にキャラメルとかブリックパックのイチゴ牛乳とかを「サンキュ」と言いながら手渡してくれたのだった。

 その軽く触れた手のぬくもりも、今更になって鮮やかに蘇ってくる。


 結局、告白も何もしないで終わってしまったんだけど。



「私……シイくん縛っちゃったんだ」

 いったん、捕まえたのに。また遠く離れてしまった。


 木々をざわめかせ、小さな湖面を風が渡っていった。

 その風に押されたかのように、彼女はぶるっと身震いすると、コートの襟をしっかり合わせ、ひとりコテージへと戻っていった。

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