#9 胸を武器にする③
セクシードレスの胸元をそっと押さえながら、私はリビングまでの短い廊下を歩いていく。
一歩進むたびに、胸が自分の意思とは無関係に存在感を主張してくる。
揺れる。とにかく揺れる。音がしそうなくらい、自己主張が激しい。
(……これ、無理では?)
さっき鏡で見た自分の姿が脳裏にフラッシュバックし、顔に熱が集まる。
(……どんな顔でノエルのところ行けばいいの……)
視線を逸らすように天井の木目を見つめ、深呼吸をひとつ。
心の中でセルフリプを飛ばす。
(落ち着け、ルリ……。これは誘惑の練習。胸は武器。才能。たぶん)
でも。……でもでもでも。
「……無理!! 絶対まともな顔できない!!」
リビングの手前で、ぴたりと足が止まった。
ノエルがいる。
真面目で誠実で、私の胸に目が泳ぐタイプのノエルが。
そんな彼の前に、この格好で立つとか――
(環境的に刺さりすぎない? PvPバランスどうなってるのこの世界)
限界寸前の私は、胸元を押さえたまま、小さく名前を呼んだ。
「……ノエル?」
声が、ほんの少し上ずる。
キッチンに立っていたノエルが振り返った。
その瞬間、彼の動きがぴたりと止まった。
「……っ」
言葉にならない音だけが、喉から零れ落ちる。
(……よし。第一関門、反応あり)
私は何もしていない。
ただ立っているだけ。
背筋を伸ばし、いつも通りの姿勢で。
「お、お待たせ。シャワー、借りたよ」
普通に言ったつもりだった。本当に。
なのにノエルは完全に視線の置き場を失っている。
私の顔を見る。一瞬だけ胸元に吸い寄せられる。
慌てて壁を見る。
……でも落ち着かない。
(……アニメで見たやつだ)
胸が、勝手に仕事している。
「そ、その……ド、ドレス……どう?」
首を傾げる。これは計算。
でも、あくまで“自然に”。
「と、とても……似合って、いると……思います……」
語尾がどんどん小さくなる。
耳が、分かりやすく赤い。完全にデバフ入ってる。
私は微笑んで、ほんの少しだけ前屈みになる。
「じゃあ……聞いてもいい?」
「は、はい」
「変じゃない? 私」
ノエルは完全にフリーズした。
質問の意味を考え、距離を意識し、視界に入るものを処理しきれず――
「へ、変じゃ……ありません……!」
即答だった。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
変な達成感。
「そっか」
ほっと息を吐く。
その動きに合わせて、胸元の布がわずかに揺れた。
(……完全に“天然系おっぱいキャラ”の挙動だな、これ)
内心でガッツポーズ。
(よし。“狙ってないのに刺さる”ルート、成功……!)
私は一歩、近づいた。
それだけでノエルの肩がびくっと跳ねる。
「ねえ、ノエル」
距離は、腕一本分。
近すぎず、でも遠くもない。
あと一歩踏み出せば、胸を押し付けることができる。
あと三歩踏み出せば、ベッドに流れ込むことができる。
……だけど、未経験の私は、その先がわからない。
乙女ゲームのような“選択肢”も出てこない。
たから、私は、もう一歩踏み出そうとしてつま先がもつれてしまった。
「わっ……!」
身体が前に傾く。
重心が完全に持っていかれる。
(ちょ、待って、これ! “お約束のエロハプニング”入るやつ)
(私、まだ……そこまでは……)
反射的に何かを掴もうとして、空を切る。
セクシードレスの薄布が、ふわりと舞った。
「ル、ルリ様っ!?」
ノエルが声をあげる。
……
次の瞬間、私の身体が勝手に動いた。
クルッ……スタッ!✨
勇者のチートスキルが発動し、私は華麗な受け身を決めていた。
「えっ!? す、すごい……!」
ノエルは純粋に感動している。
(いやいやいや! なんで今それ発動するの!? 今ほしかったのは戦闘スキルじゃなくて誘惑スキルなの!!)
我ながら、あまりにも華麗な身のこなし。
勇者としては満点だけど、もはや誘惑をするムードとはほど遠い。
こうなると、セクシードレスも素早さや回避率を上げるためのアクセサリーにすぎない。
服は乱れて、白い肌が限界まで晒されている。
それなのに、ノエルはしっかりと私の目を見て言った。
「ルリ様! やはり、勇者の素質を……」
(違う!! 今は勇者じゃなくて“成り上がり候補”になりたいの!!)
私はベッドに腰を下ろし、天井を仰いだ。
(……誘惑スキル取得までの道のり、遠すぎ。胸だけで成り上がるはずだったのに……。なんで勇者チートが邪魔してくるの……)
いつのまにかノエルは胸をチラ見せずに、真っ直ぐに私の目を見て話すようになっていた。
ノエルは何も気づかず、穏やかに微笑む。
「ルリ様。私でよければ、なんでもお手伝いしますから!」
(待って、ノエルの目がキラキラしてる!? これ、誘惑の眼差しじゃなくて、憧れのスポーツ選手を見る目じゃん!)
誘惑に失敗した私は、セクシードレスをパジャマ代わりにすることにした。




