#17 約束⑥
リリアの手が、ようやく私の身体から離れた。
……はずなのに。まだ、感覚が残ってる。
胸の下、脇、背中。
測るために触れられたはずの場所が、じんわりと熱を持ったままだ。
「……」
リリアは無言で紙に向かい、鉛筆を走らせている。
視線は数値と線に向いているのに、さっきまでの距離感が、頭から消えない。
(……今の、測定だよね?)
でも、胸を支えられた感触。
位置を確かめるために、何度も触れられた指先。
どこまでが“必要な作業”で、どこからが“そうじゃないのか”。
境目が、曖昧だった。
「……終わり?」
思わずそう聞くと、リリアは少し遅れて顔を上げた。
「えっ!? あ、う、うん。たぶん……」
その返事も、はっきりしない。
巻き尺を畳む手が、わずかにぎこちない。
私と目が合うと、すぐに逸らされる。
(……やっぱり……)
測定は終わったはずなのに、
空気だけが、終わっていない。
「……これで、必要なものは全部かな」
リリアはそう言って、ようやく息を吐いた。
メジャーを丁寧に畳み、鉛筆を置く。その動作ひとつひとつが、どこか満足げだ。
「……ねえ、ルリ」
数値の書き込みを終えたリリアが、ふと顔を上げた。
その瞳には、どこか祈るような、すがるような光が宿って。
「なに?」
「ルリは、その……私と同じくらいの歳のときから、もう、そんなに大きかったの?」
リリアは現在14歳。まだ平坦な彼女の胸元。
対して、目の前にあるのは、異世界のメジャーさえも跳ね返す圧倒的な質量。
彼女なりに「今はこうでも、いつかは自分も……」という、女の子らしい淡い希望を抱いたのだろう。
私は一瞬、答えに迷った。 嘘をつくのは簡単だ。
でも、今の真剣な採寸を経て、嘘で返すのは失礼な気がした。
「……えっとね」
私は前世の、中学3年生の春を思い出す。
そのころには、もうGカップあった。トップとアンダーの差が25センチ。
「25センチ?」
リリアの動きが、完全に止まった。
「そ、相当大きくない?」
「うん。今の私よりは小さいけど、それでも、当時から身近な大人より大きかったかな」
(だから、衣替えの時期に夏服のブラウスのボタンが留まらなくなって、私だけ特注サイズをオーダーすることになった。それが届くまでに2週間くらいは、パツパツの既製品を無理やり着て登校してたっけ)
リリアは自分の胸元に視線を落とし、それから私の胸を、まるで未踏の巨山を見るような目で見上げた。
「……14歳でそんなに……」
リリアの呟きは、絶望の色に染まっていた。
彼女がこれからどれだけ成長したとしても、たどり着けるはずのない遥か高みの数値。
「あ、いや、そんなに悲しまないで! 肩こりひどいし、走るのもしんどいし、良いことばかりじゃないから!」
慌ててフォローする私を、リリアは「贅沢な悩みだよ……」と言いたげな、遠い目で見つめていた。
そんな彼女を見て、私は大事なことを思い出し、少し声を潜める。
「……それとね、リリア。もうひとつ、考慮してほしいことがあるの」
「……まだ、何かあるの?」
リリアが、恐る恐るという風に顔を上げた。
私は少し言いよどんでから、自分の胸をいたわるように撫でた。
「あのね、女の子って、時期によって体調が変わるでしょ? 生理の前とか」
「うん、お腹が痛くなったりするやつだよね」
「そう。その時期になると……胸、張るんだよね。サイズが変わっちゃうの」
リリアはきょとんとして、自分の平坦な胸元を見た。
14歳の彼女にとって、胸が周期的に変化するという感覚は、いまいちピンとこないらしい。
「変わる? どのくらい?」
「うーん……。ワンサイズ、下手したらそれ以上大きくなるかな。
「ワンサイズっ!? って、どのくらい?」
「えっと、なんていうか、今のサイズからさらに数センチ膨らむ感じ」
「数センチ……!?」
リリアが悲鳴に近い声を上げた。彼女は震える指先を再び私の胸元へと伸ばした。
「ただでさえ大きいのに、まだ増えるっていうの……? どういう原理なの、それ」
「身体が準備を始める、みたいな感じかな。そのときは、胸がパンパンに張って熱を持って、ちょっと動くだけでも痛いくらいになるの。だから、少しだけゆとりがあるか、伸縮性が高い素材にしてほしいんだ」
「……敏感になるって……。じゃあ、今もそうなの?」
「えっ?」
リリアの視線が、メジャーに擦れてツンと尖ったままの私の先端に注がれる。
さっきの採寸の刺激で、硬くなった突起に。
「さっきから気になってたんだけど……。その、……そこ、少し立ってるよね?」
「っ……! それは、その……」
私は顔から火が出るほど恥ずかしくなり、思わず腕で隠した。
リリアは、職人としての純粋な好奇心からか、そのまま身を乗り出してくる。
「それも、もっと大きくなるの? 生理前になると、その……もっと、こう、ビンビンに……?」
「リ、リリア! 言い方!」
「だって、構造を知らないと作れないもん!」
リリアは至って真剣だ。無邪気というか、職人ゆえの無遠慮というか。
ダイレクトな質問に、私の脳裏には生理前の自分の姿が鮮明に浮かび上がる。
「その……先端の大きさも変わるし、周りの部分も、少し広がる感じがするかな……。とにかく、全体的に敏感で、布が擦れるだけで痛い時があるから……」
「……周りも。……先端も……」
リリアはぶつぶつと呟きながら、私の変化を想像しているのか、顔を真っ赤にしながらもメモを埋めていく。
一人で納得して筆を走らせるリリアを見て、私は少しだけ安心した。
が、彼女の「職人スイッチ」はまだ止まらない。
「ねえ、ルリ。どんなときに、そこ……敏感になるの?」
「……っ、ふぇ!?」
変な声が出た。リリアは至って真面目な顔で、首を傾げている。
「寒さだけ? それとも、何かに触れたとき? 動きによって刺激の強さが違うなら、設計を変えなきゃいけないし……」
「……それは……人によるというか……状況によるっていうか……」
答えに窮していると、リリアの小さな手が確認するようにその尖りを指先で挟み、軽く転がした。
「ひゃっ、ぁ……っ!」
思わぬ刺激に、私の膝がガクンと震える。
リリアはハッとしたように手を離したが、その目はどこか熱っぽく、未知の領域に対する好奇心に溢れていた。
「やっぱり、私も、途中で試着するときに、一応そこを立たせた状態でチェックしたほうがいいよね? 最高のフィット感を目指すなら、その状態での厚みも計算に入れたいし」
「え!? リリアも?」
「うん。……だけど」
リリアは少しだけ寂しそうに、自分の平坦な胸元を見下ろした。
「……私はそんな風になったことないから。どうやったらそうなるのか、よく分からなくて」
「……」
あまりにも無垢で、けれど残酷なその言葉に、私は天を仰いだ。
まさか異世界の少女に“感じさせ方”を教えるわけにもいかない。
だけど、このまま放っておいたら、この真面目すぎる職人は、完成までずっと“乳首を立たせる方法”について悩み続けてしまうだろう。
「……リリア。こっち、おいで」
「え?」
「教えてあげる。どうすれば、そうなるか」
私は一歩踏み出すと、戸惑うリリアの細い肩を引き寄せた。
そして、戸惑いに揺れる彼女の瞳を見つめながら、その小さな胸元に指先をゆっくりと伸ばしていく。
「ひゃっ……ル、ルリ……?」
「じっとしてて。……すぐ、わかるから」
私の指が、リリアの薄い服越しに、その未熟な膨らみの頂点へと触れた。
「あ……っ」
リリアの小さな身体が、びくんと跳ねる。
彼女の胸は、ルリの圧倒的な質量に比べれば、ぺったんこと呼べるほどに平坦だ。けれど、そこには確かに、少女から大人へと変わりつつある第二次性徴期の、熱く鋭敏な生命力が宿っていた。
「……リリア。ここ、少し硬くなってるの、わかる?」
「わ、わかんない……っ。なんか、心臓が、そこにあるみたいに、ドクドクしてて……」
リリアは顔を真っ赤にし、私の肩を掴んで必死に呼吸を整えようとする。
何かを検証するような冷静さを装って、その小さな蕾を指の腹でゆっくりと円を描くように撫でた。
「ひゃう……っ、あ、あぁ……!」
リリアの喉から、今まで出したこともないような甘い嬌声が漏れる。
「……ね? ほら。指に当たる感触が変わってきたでしょ?」
指先に少しだけ力を込め、くいっとその中心を押し上げると、布地を押し返すほどの確かな硬さがリリアの胸に生まれた。
「ん……んんっ……! くるしい……なんか、変なの……熱くて、むず痒くて……っ」
リリアの瞳は潤み、視線は定まらず、口元からは熱い吐息がこぼれ続ける。
さらに、その蕾の周囲を優しく摘まみ上げるようにして刺激を加えた。
「こうなると、ただの布でも、触れるだけで凄く敏感に感じるようになるの。わかる?」
「はぁ、はぁ……っ。う、うん……。すごい、……ここだけ、別の生き物みたい。……ちょっと、服が擦れるだけで……びりびりする……」
リリアは自分の胸元を見下ろしながら、驚愕と、そして得体の知れない快感に支配されたような表情を浮かべた。
「……これで、わかったよね。試作品を作るとき、この『敏感な部分』をどう保護するか。それが一番大事なんだよ」
「わかった。……わかったわ。じゃあ、トップのカップ部分は、多少の膨張を逃がせるようにストレッチ素材を試してみる。それと、裏地の摩擦にも気をつけなきゃ。不用意に擦れて痛くならないように、一番柔らかい素材を当てないと! じゃないと、ルリも壊れちゃうもんね」
「……ありがとう。助かるよ」
私はようやく腕を解き、深く溜息をついた。 自分の身体の、それも一番デリケートな変化をここまで詳細に説明するのは初めてだったけれど。
リリアのその、真っ直ぐな瞳のおかげで、不思議と嫌な気はしなかった。
「……じゃあ、私は着るね」
「あ、う、うん……!」
声をかけると、リリアは慌てて視線を作業台に戻す。
さっきまであんなに見ていたのに、今さら気まずくなるのが、少し可笑しい。
リリアが紙をまとめている間、私は足元に落ちていたブラジャーを拾い上げた。
そのとき、自分の指先がわずかに湿っているのに気づいた。
(……あ)
胸の下。谷間の奥。リリアの身体に触れたとき。
ずっと緊張していたせいか、じんわりと汗をかいている。
布がない状態だと、余計に分かる。重さと熱がこもって、肌同士が触れる場所。
私は一度、チュニックの裾でそっと拭った。
(……こういうのも、地味につらいんだよね)
私は背中を向けて、肩にかけていたストラップを腕に通す。
胸を包み込みながら、いつもの位置に引き上げる。
ずしっ。
持ち上げた瞬間、重さが肩と背中に分散される。
汗ばんだ肌が布に触れて、ひやっとする。
胸が正しい位置に収まると、空気が通る。
熱が逃げて、じっとりした不快感が引いていく。
「……あ……」
思わず、小さな声が漏れた。
「……どうしたの……?」
背中越しに、リリアの声。
「ううん。汗……ちょっとかいてただけ」
「支えると、楽になるなって思って」
リリアは少し間を置いてから、真面目な声で言った。
「……それも、考えないと……」
「蒸れないように……素材……」
(そこまで!?)
私は苦笑しながら、留め具を留める。
椅子の背に掛けていたチュニックを手に取りつつ、リリアに聞いてみる。
「作るのに、どれくらいかかりそう?」
「そうだなぁ……」
リリアは少し考え込んでから、指を折った。
「型を起こして、試作して、調整して……」
「……3日。いや、念のため、4日ほしい」
その言葉に、私はほっと息を吐いた。
「そんなに早いんだ」
「普通の服なら、もっと早いけど……。今回は、その……」
言葉を濁しつつ、また視線が下に落ちる。
「……挑戦だから」
小さく、でもはっきり言い切る声。職人としてのそれだった。
「そっか」
「じゃあ、完成したら取りに来るね」
「うん」
リリアは頷いてから、少しだけ間を置く。
「……そのとき、支払い。お願いしても、いい?」
その言い方は、遠慮がちだった。当然のことなのに、念を押すみたいに。
頭からすっぽり被ったチュニックの裾を整えながら、私は答えた。
「もちろん、ちゃんと払うよ」
「ありがとう」
「だから、それまでに、稼がないとだけど」
そう言うと、リリアは少し驚いたように目を瞬かせた。
「今、手持ち、あんまり……?」
「うん。正直、ほとんどない」
「勇者じゃないから、収入もなくなっちゃって」
あっさり言うと、リリアは一瞬、口を開きかけて、閉じた。
「……でも」
私は続ける。
「約束する」
「受け取りのとき、ちゃんと払う」
その言葉に、リリアはしばらく黙っていた。それから、ふっと表情を緩める。
「……うん。ルリがそう言うなら、信じる」
その“信じる”が、妙に真っ直ぐで。私は少しだけ、居心地が悪くなった。
(……ああ。これ、軽い気持ちで受け取っちゃダメなやつだ)
「ありがとう」
私はそう言って、軽く頭を下げた。
「完成、楽しみにしてる」
「うん、私も」
そう言って私が背を向け、部屋の出口へ歩き出したとき。
「……ねえ、ルリ」
背後から、リリアの引き止めるような声がした。
振り返ると、彼女は作業台に広げた設計図と、私を交互に見つめていた。
その瞳は、さっきまでの動揺が嘘のように凪いでいて、冷徹なまでの造り手の光を宿している。
「なに?」
リリアは一度、私の胸元をじっと見つめてから、静かに問いかけた。
「ルリはさ、ここに来たとき、『これと同じものを作って』とは言わなかったよね? 『ブラジャーを作ってほしくて』って、そう言った」
「……え?」
「同じものを見本として渡されたなら、普通はそれを模倣する。でも、ルリはそう言わなかった。それって、今着けてるそのブラジャーに、実は満足してないってこと?」
心臓が、ドクンと跳ねた。図星だった。
「……あ」
「採寸して分かった。ルリの身体は、この世界でも……たぶん元の世界でも、規格外だったんでしょ? その布きれは、とりあえず『収めている』だけで、ルリの本当の重さを支えきれてない。……違う?」
私は言葉を失った。前世のランジェリー売り場、メーカーのオンライン通販。どれだけ「これが一番大きいサイズです」と言われても、結局はどこか食い込み、どこかが溢れ、どこかが痛かった。「そういうものだから」と自分に言い聞かせて、妥協して身に着けてきた“既製品”の限界。
それを、会って数時間の異世界の少女に見抜かれた。
「……リリアには、敵わないね」
私は苦笑して、正直に頷いた。
「うん。……満足したことなんて、一度もなかったよ。ずっと我慢してた。これが私の運命なんだって」
「わかった。じゃあ、私が作るやつは“同じもの”じゃない。ルリのためのものにする」
その言葉は、どんな魔法の呪文よりも、私の胸を軽くしてくれた気がした。
もう一度、紙の上に視線を落とした。そこには、数字と線と、走り書きのメモ。
でもきっと、その奥には“完成した私”が、もう見えている。
「……あ、ルリ」
「ん?」
振り返ると、リリアは少しだけ視線を泳がせてから、言った。
「完成したら……」
一拍、間を置く。
「……付けた姿、見せてね」
その声は、職人としての確認にも聞こえるし、それだけじゃないようにも聞こえた。
「え……?」
「調整、必要かもしれないし……、ちゃんと、合ってるか、確認したいから……」
言い訳みたいに続けるけど、耳がほんのり赤いのを、私は見逃さなかった。
(……ああ……)
「……うん」
私は小さく笑って、頷く。
「見せるよ」
「リリアが作ったんだもん」
その返事に、リリアはほっとしたように、でも少し照れたように微笑んだ。
「……約束」
「約束」
そうして私は、武器屋を後にする。
(……これ、思った以上に大事な約束かも)
そんな予感が、静かに残っていた。




