#15 約束④
リリアが作業台に紙を広げたところで、私は一度、声をかけた。
「その前に、ひとつだけ説明していい?」
「ん?」
私は少し考えてから、言葉を選ぶ。
「ブラジャーのサイズってね、胸自体の大きさだけで決まるわけじゃないの」
「……?」
リリアはきょとんとした顔で、こちらを見る。
「基本は二つ。“トップ”と“アンダー”」
「トップ? アンダー?」
私は自分の身体を指し示しながら説明する。
「トップは、胸の一番高いところの周囲」
「アンダーは、胸のすぐ下。肋骨のあたり」
そう言って、指で位置をなぞると、リリアの視線が一瞬だけ動いた。
「この二つの差で、“どれくらい立体が必要か”が決まるの」
「差」
「うん。だから、同じ見た目の大きさでも、支え方は全然変わる。アンダーが合わないと、どれだけ形が良くても、重さを支えられない」
自分の経験を思い出しながら、少し苦笑する。
「肩が凝ったり、動くたびに痛かったり。最悪、ずっとズレる」
「なるほど……」
リリアの目が、すっと真剣になる。
「つまり、胸そのものじゃなくて、“胴体との関係”を見るのね」
「そう、それ。さすが、理解が早い」
リリアは小さく息を吸い、メモを取り始めた。
「……トップとアンダー」
「差が、立体構造」
「重さは、胴体に逃がす……」
ぶつぶつと呟きながら、線を引く。
(あ、これ、完全に職人スイッチ入ったな)
「じゃあ……」
リリアは顔を上げ、少しだけ躊躇してから言った。
「正確に作るなら……」
「はい」
「その二つ、ちゃんと測らせて」
私は一瞬だけ間を置いて、頷いた。
「……うん。お願いします」
リリアは深く息を吸ってから、布製のメジャーを手に取った。
「じゃ、じゃあ、まず……」
「うん。アンダーから、だね」
言葉にすると平然としているけど、内心は全然平然じゃない。
私は両腕を少し上げて、姿勢を正した。
「胸のすぐ下。肋骨のところに、水平に回して」
「は、はい……」
そう言って、リリアは一歩踏み込んできた。
小柄な彼女が、私の正面に立つ形になる。
「その、胸を、少しだけ……」
「うん、大丈夫」
私は言葉だけは落ち着いて返した。
リリアは一瞬ためらってから、両手を伸ばす。
指先が触れた瞬間、ぎこちなく力が入るのが分かった。
「お、お邪魔します……」
「いいよ。持ち上げないと、通らないと思うから」
実際、その通りだった。
リリアは覚悟を決めたように胸の下に手を差し入れて、下から支えるように私の胸を持ち上げる。
「っ……!」
思わず、喉の奥から熱い吐息が漏れた。
リリアの手のひらは、作業をしていたせいか意外なほど冷たく、それが私の肌の熱をじりじりと奪っていく。
「ひゃっ」
「あ、ごめん! 手、冷えちゃってたかも……」
リリアは慌てたように手を引こうとしたが、私は首を振った。
「だいじょうぶ、そのまま……続けて」
リリアは頷き、再び指先に力を込める。
その瞬間、彼女の細い指が、重みに逆らうようにして私の肉の中に深く沈み込んだ。マシュマロのような柔らかさと、ずっしりとした質量。
指の形に合わせて形を変える私の胸を見て、リリアの喉が「ごくり」と鳴るのが聞こえた。
「……すごい。……指が、埋まって……」
リリアの呟きは、ほとんど溜息に近かった。
彼女の指が、胸の底から脇の方へと滑る。肌と肌が密着し、逃げ場を失った熱がその一点に集中していく。
思わず、小さな声が漏れてしまう。
「あ……ん、っ……」
胸が数センチ浮き上がった瞬間、私の身体の感覚が一気に変わった。
今まで、肩に絶えずかかっていた岩のような圧が、嘘のように消える。
前に引っ張られていた重心が戻り、丸まっていた背中が自然な位置に伸びた。
(……あ、これ……)
これまで、胸の重さを誰かに“任せた”ことなんてなかった。
店員に触れられることはあっても、それは採寸や作業の一部で、信頼して身体を預ける相手じゃなかった。
(……友達に、こうやって支えてもらうの、初めてかも)
胸の重さが、手から逃げない。
でもそれ以上に、心のどこかで張りつめていたものが、ゆっくりほどけていく。
(重いのは、胸だけじゃなかったんだな)
そう気づいた瞬間、胸の奥がじんわり温かくなる。
恥ずかしさより先に来たのは、安心感だった。
そのままメジャーを背中に回すため、リリアは私の身体に深く腕を回す。
まるで彼女が私を正面から強く抱きしめるような体勢になった。
リリアの細い腕が私の背中に回り、彼女の小さな体が、私の胸の重みに沈み込むように密着する。
(……近い……!)
私の鎖骨のあたりに、リリアの短い髪がさらさらと触れる。
リリアの体温が、薄い肌を透かして直接伝わってきた。
「こ、ここだね……」
その声が少しだけ震えている。
「……あ」
持ち上げたことで前に出た私の胸が、リリアの顔にやわらかく押し当てられる。
ほんの一瞬。逃げ場のない距離。
「――っ!?」
リリアが、完全に固まった。
視線がどこにも行けず、顔が赤くなるのがはっきり分かる。
息をするたび、距離が縮まる。
(……あ、これ、まずいやつ……)
私は慌てて姿勢を変えようとするが、リリアはメジャーを持ったまま動けない。
「……リリア?」
「い、いや!! だ、大丈夫!!」
勢いよく否定する声。
でも、メジャーはまだ背中に回っていない。
結果として、距離は近いまま。
リリアの声が、私の耳元でかすかに震えている。
必死に職人としての冷静さを保とうとしているようだけど、彼女の指先は、私の背中で迷子になったように彷徨っている。
自分の胸の奥で、心臓が早鐘を打っているのが分かった。でも、それだけじゃない。
密着したリリアの胸元からも、同じように激しく速い鼓動が伝わってくる。
どっちの心音なのか、もう分からない。部屋の空気までが、二人の熱でじっとりと重くなっていく。
「……ねえ、ルリ」
「……なに?」
「やっぱり、何でもない……」
ぽつりと、漏れた声。
職人としての驚きなのか、それ以外なのか、判断がつかない。
「……測るよ? 動かないで……」
リリアが、ふぅと熱い吐息を私の首筋に吹きかけた。
抱きしめられたままの状態で、彼女が私の胸の下に回したメジャーをぐっと引き絞る。
メジャーが胸の下を一周する。ぴたりと止まる。
「……アンダー……確認できた……」
言いながらも、リリアはしばらく動かなかった。
手が離れない。
「……リリア?」
「っ、ご、ごめん!」
慌てて手を離し、数歩下がる。
顔は真っ赤。耳まで赤い。
「だ、大丈夫……?」
「うん。慣れてる……はずなんだけど」
私は苦笑した。
(慣れてるのは“見られる”ことであって、同性をここまで動揺させるのは、初めてかも……)
リリアはメジャーを握りしめたまま、小さく呟く。
「……これは、確かに、支えが要るかも……」
その声は、完全に真剣で。
でも、さっきまでとは明らかに違っていた。
職人の興味。それ以上に、目が離せなくなっている人の目。
私は胸元をそっと押さえながら、内心でため息をついた。
(……また、無意識でやってる。ほんと、このおっぱい……)
意図せず、同性の距離感まで狂わせる才能だった。




