#14 約束③
武器屋の裏手。
売場の奥にある型紙や布が山積みになった小部屋で、私はリリアと向かい合って座っていた。
布に囲まれた空間は、どこか安心する匂いがする。
「それで、“相談”って?」
リリアは首を傾げながら、素直な瞳でこちらを見てくる。
年下特有の、警戒心のない視線。
(どう切り出せばいいんだろう)
勇者の相談でもない。
武具の話でもない。
しかも、自分の身体の話。
正解の言い方なんて、分からない。
前世でも、そんな会話を“自分から”始めたことはなかった。
「この世界の人ってさ、胸はどうやって支えてるの?」
「えっと? 布を重ねたり、内布をつけたりだけど……」
やっぱり。
「それじゃ、不安なんだよね」
「……?」
私は、そっと胸元に手を当てた。
「例えば、私みたいなサイズだと」
「……あ……」
リリアの視線が一瞬だけ下に落ち、すぐに逸れる。
分かりやすすぎて、ちょっと助かる。
「私の元いた世界ではね、ブラジャーっていうものを付けるの」
私はそう言って、胸元を軽く押さえた。
「ブラジャー?」
リリアはピンときてないようだった。
「胸を布で“包む”んじゃなくて、下から持ち上げて、重さを分散させる感じ。肩と背中で支えるから、その、形も安定するの」
自分でも、説明がふわふわしているのが分かる。
リリアは首を傾げたまま、小さく瞬きをした。
「えっと……胸当て、とは違うの?」
その一言に、私は一瞬だけ言葉に詰まった。
(あ、それ……)
脳裏に、前世の記憶がよみがえる。
ヌーブラ。ストラップもなくて、軽くて、見た目だけは完璧。
夏にブラの線が目立つのがイヤで、付けてみたことあるんだよね。
……結果は、惨敗だった。
重さ、全然支えられてなかった。
立ってるだけなら平気。でも少し歩くと、じわっと下に引っ張られる。
姿勢が崩れて、肩も背中もすぐに疲れる。見た目は整っているのに、身体はずっと不安定。
胸当てでも同じ未来が見える。
(あれは、“固定”であって、“支え”じゃなかった)
私は小さく息を吐いて、リリアに向き直った。
「うん。似てるようで、全然違う。胸当てって、シルエットは整うけど、重さは逃げないんだ」
リリアは、真剣な顔で聞いている。
「下から持ち上げて、肩と背中に重さを分けないと、このサイズは正直つらい」
自分の胸元に、無意識に手がいく。
「それを一度、間違えたことがあってね」
そう言うと、リリアは静かに頷いた。
「やっぱり、胸が重いと、肩が凝ったり、走ると痛かったりして……」
私が真剣に説明すると、リリアはうーん、と小さく唸った。
「……えっと……?」
首を傾げて、自分の胸元にそっと視線を落とす。
「私……あんまり、その……揺れたり、重かったりしたことがなくて……」
(そっか……)
リリアの胸は、控えめというか、ほぼ平坦だ。
動いても、支えなくても、困らないサイズ。
「だから……正直、想像がつかない」
申し訳なさそうに言われて、私は思わず苦笑した。
「……うん。だよね」
(そりゃピンとこないよね……“必要な理由”が存在しないもん)
私は一度、深く息を吸った。
「じゃあ、言葉じゃなくて、見たほうが早いかも」
「え?」
リリアがきょとんとした顔をする。その無垢な反応を見て、私は観念した。
視線を落とし、指先をきゅっと握った。
見せるという選択肢が頭に浮かんだ瞬間、身体が一瞬だけ強張った。
一拍、間を置く。
「……今、着けてるから」
「……はい?」
リリアが聞き返した、その直後。
私は、ためらいがちにチュニックの裾へ手を伸ばした。
一瞬、指が止まる。
(仕事、仕事……これは仕事……)
チュニックを脱ぎ、下着姿になる。
「……っ!」
リリアが完全に固まった。
視線の置き場が迷子になり、顔が林檎のように赤くなっていく。
私も自分の心臓の音がうるさくて、耳まで熱い。震える指先で、肌に食い込むブラジャーのパーツを一つずつ指し示した。
「リリア、よく見て。まず、この胸の下を通っている半円形のワイヤー。これが土台になって、重さを下から支えて逃がさないようにしてるの」
私はリリアの手をそっと取り、自分の胸のアンダーラインへと導いた。
指先が触れ、リリアがビクッと肩を揺らす。
「あ……か、硬い。これ、芯材が入ってるね……」
「そう。この芯が、胸が脇に流れるのを防いで、形を保つの。それから、この胸を包み込んでいる袋状の布がカップ。これが優しく、でもしっかり全体をホールドしてくれるから、走っても痛くない」
私はリリアを背中側へ回らせた。白い肌に、細いストラップが食い込んでいるのが自分でもわかる。
「最後に、肩から背中に繋がってるストラップ。見て、カップで集めた重さを、この紐で肩に吊り上げてるの。こうすることで、胸だけに重さがかからないように分散させてるんだよ」
リリアは息を呑み、至近距離でその構造を凝視した。
細い指が、おずおずとストラップの付け根に触れる。
「……すごい。ただの布じゃない。これ、計算された建築物みたい……」
感嘆の溜息。リリアの瞳から戸惑いが消え、代わりに強烈な知的好奇心が宿るのがわかった。
「それと、ここも大事なの」
私は脇のあたりを指差して、少しだけ前のめりになった。
リリアの視線が、私の指を追って吸い寄せられる。
「このサイドの布は、脇の方に逃げようとする肉を、ぐいっとカップの中に集めてるんだよ」
そう言って、私は実践してみせる。
脇の横に手を添えて、自分でも少し恥ずかしくなるくらい大胆に、肉を中央へと寄せてみせた。
「……っ!」
リリアが息を呑み、目を丸くした。
彼女の顔が、私の胸元からわずか数センチの距離まで近づく。
リリアは驚きと感心に満ちた瞳で、まじまじと観察している。
彼女は華奢で、手首も折れそうなほど細い。
ぷにぷにしている自分の身体が比べられている気がして、顔が火を吹くほど熱くなった。腕で胸を支えながら、私はついお腹を隠す。
「ルリの身体って、なんていうか、情報量が多い!」
「……情報量って」
私は、そのまま軽く跳ねてみた。
胸は揺れるけれど、ある程度は制御されている。
「……あ……!」
リリアの声が、思わず漏れた。
(今、理解したな)
「これを外すとね……」
留め具を外す。
解放された瞬間、胸がずしっと下に持っていかれる。
「……っ!」
リリアが目を見張る。
私は腕で胸を支え、苦笑した。
「布だけだと、こうなる」
「確かに……」
リリアは、完全に職人の目になっていた。
「構造、分かった」
「ほんと?」
「うん。布じゃなくて、“作り”で支えてるのね」
「そう。サイズが合わないと逆に辛いけど」
私は、外したブラジャーをそっと手渡す。
少しくたびれた、この世界で唯一のブラジャー。
「これ、一着しかなくて」
「……!」
リリアが息を呑む。
「だから、ブラジャーを作ってほしくて」
「……」
しばらく、無言でブラジャーを観察するリリア。
縫い目、形、伸縮。
そして、リリアは、はっとしたように作業台へ向かった。
「あ、ちょっと……!」
返事もなく、紙と木炭を引っ張り出す。
ざっ、ざっ、と迷いのない音。
(え、ちょ、待って!?)
リリアはブラジャーを片手に持ち、もう片方の手で必死に線を引いている。
角度を変え、縫い目を確かめ、引っ張っては元に戻し、また描く。
完全に“職人の目”だ。
私はというと――
(……半裸なんだけど……)
胸を支え、お腹を隠したまま、動けずに立ち尽くしていた。
ぼんやりと、どこかで見たことがある中世の彫刻の裸体が脳裏をよぎる。
(今、人生で一番、間が持たない……)
紙を擦る音だけが、やけに大きく響く。
(……見られるより、見られてない方が、逆に恥ずかしいんだけど……!)
リリアは夢中でスケッチを続けている。
私の存在など、完全に意識の外。
(ショートコント! 中世の彫刻!)
あまりにも間が持たなくて、そんなことを考えだした瞬間。
「なるほど」
低く納得した声。リリアが、ようやく顔を上げた。
「作れる」
「えっ」
「同じ構造で、この世界の素材で、金具は工夫が要るけど……」
その目は、もう迷っていなかった。
胸の奥が、すっと軽くなる。
「……ありがとう、リリア」
「い、いえ、こちらこそ……」
少し照れたように笑ってから、リリアは言った。
「ただ……」
「うん?」
「正確な採寸が、必要」
「ですよね」
私は、静かに息を吸った。




