妻はキリストに救いを求める
二か月間、僕はサッカーに集中した。
チームは連勝を続けて、J2での順位を一つあげた。リーグで好成績をあげる二位のポジションにつけてシーズンを折り返した。試合の観客動員数は試合を追うごとに増えた。やはりどのチームのサポーターも勝てるチームを欲しているのだ。
僕は司令塔としての仕事に集中して、チームの人事には口を出さなかった。コーチにはコーチの、監督には監督の仕事がある。僕はチームの上層部に煙たがられる種類の、人事に口出しする選手だがそれを控えようと思った。今チーム人事に口を出したら僕は妻をレイプした梶と村田と市井川の三人を戦力外にしただろうから。だがこの三人はそれぞれのポジションで全力を出してチームの勝ちに貢献して来た。僕の個人的な恩讐をチームの人事にぶつけるべきではなかった。チームは着実に勝ち、観客動員数を増やしているのだ。
そんな時だった。妻の妊娠が発覚したのは。身籠ったのは妻をレイプした三人のうちの誰かの子供だった。三人のレイプ犯たちは妻が妊娠してしまうくらいの長時間にわたって妻を強姦し、妻の胎内に射精し続けたのだ。
堕胎手術を受けた妻は、手術中に大量出血して意識不明に陥った。そして妻は子宮に傷を負って赤ん坊を二度と作れない体になった。男の産婦人科医は僕にそう告げた。
「残念ですが、中絶が奥様の子宮に傷を負わせてしまう事態になってしまいました。あらゆる手技を尽くしましたが、手術した時にはすでに胎児は胎盤から出血していました。もちろん奥さんの側の赤ん坊に対する精神的な拒絶も心因としてあったと思います。奥さんは自分の子宮を叩いてダメージを負わせるような行為をしていませんでしたか?」
医者のその目は夫の僕を疑っていた。あなたは奥さんの子宮を殴るか、蹴るかしたことはないか? と。胎盤には外から強い衝撃を受けた痕跡があったのだと。
「僕は絶対に妻に暴力を振るわないし、一度として暴力を振るったこともありません」僕は言った。
僕が知っていたのはあのレイプ事件があってから妻が深く酒に溺れるようになったということだけだった。僕がサッカーの練習をして、地方に遠征して試合をしている間に妻が自分の身籠った赤ん坊に対してどんな行動を取っていたのか、僕には知る由もなかった。ただ、妻がその赤ん坊に激しく憎しみをぶつけて怒声を発することがあったとしか僕には思い出せなかった。妻が自分の子宮に怒りをぶつけて殴ったというのは全くあり得ないことではなかった。妻は一刻も早く中絶したがっていたから。
妻は二週間以上、産婦人科に入院した。その間に初夏がふつりと終わりを告げ、盛夏が訪れた。それは岩手沿岸のゆっくりとした盛夏の訪れだった。岩手沿岸の夏の気候は素晴らしかった。東京のように町の誰もが苛々し、暑熱に苦しめられながら外を歩くような猛暑は岩手沿岸にはなかった。そこには清々しい夏の訪れがあった。空も白い雲もはるかに高くまであって太陽の眩しい光を地表に届け、晴天がいつまでも続き、時折吹く風は体に涼やかに感じられた。僕はプロのキャリアで始めて、体に疲労を溜めることなく真夏を過ごすことができた。夏場の気候が素晴らしいということはスポーツ選手の体には心地よいことだった。
だが入院している妻の体はなかなか癒えなかった。それに妻はどれだけ長く入院したとしても子宮に負った傷を一生、治癒できない。妻は二度と赤ん坊を妊娠することはできない。
病室で僕は妻と話し合いの時間を取った。妻は長い時間をかけて泣いた。妻はクリスチャンだったからもちろんイエス・キリストに救いを願った。
「イエス様はガリラヤ湖の水面を歩いたくらいの力のあるお方だった」妻は言った。「十二年間、長血を患った女もお癒しになった。イエス様はきっと私がもう一度、妊娠できるようにしてくださると思う。クリスチャンが二人、三人と集まって祈る時、そこには必ずイエス様がともにいてくださるんだから。イエス様の御姿はあたしの目には見えないかもしれない。あなたの目にも見えないかもしれない。でもイエス様は必ずこの病室に入って来て、あたしのお腹に手をお置きになってくださる。そして癒してくださる」
妻はキリストへの祈りを何度も、何度も繰り返してから疲れ果てたように聖書を抱いて眠った。
「そうだ、きっとイエス・キリストが護ってくださるよ」僕は妻に声をかけた。精確には僕はキリスト教徒ではなかったのだが。
僕の個人的な感想を言えばキリストは信徒に試練ばかりを与える。祝福は死後に与えられるとキリストは言い逃れする。しかし十字架に架せられた時、キリストは隣の犯罪者に向けて「汝は私とともにいまパラダイスにいる」と言ったではないか。それも大変な苦痛の中で言ったのだ。キリストの言う死後の祝福とはその苦痛混じりのパラダイス程度のものなのではないかと僕は思わずにいられない。
僕は妻がここまで病んでいたことに――つまりキリスト教に依存しなければならないほどに精神を病んでいたことに――気づいていなかった。僕は妻と家庭を脇に押しやって、岩手オーシャンズの勝利にあまりにも注力しすぎていたと気づかされた。プライベートや家庭で何があろうとも、プロはサッカーの試合にその影響を持ち込むべきではないと僕は考えていた。それはあまりにも初歩的なことで、アマチュアがよくする過ちだと。プロならば私的に何があってもサッカーに集中できるし、それができる人間だけがプロとして成功できる。そして確かに僕はサッカー選手として成功した。だが同時に家庭に対しては無力な状況を招いた。『それ』は気づいた時すでに妻と僕の人生に巣食っていた。聖書を抱いて眠る妻はまるで宗教に母胎も人生も巣食われてしまったように見えた。キリストがもたらしたのは母胎の『救い』ではない。母胎の『巣食い』だった。妻の母胎はすでに人生の悪い存在によって巣食われている。
キリストの説く悪霊が、梶と村田と市井川という三人の姿を取って妻と僕の人生につき纏っているように僕には思えた。




