僕はレイプ犯と闘うべきか?
妻の話を聞いて僕の腹の底から激しい怒りが湧き上がった。
レイプ犯たちが警察に捕まって法的に罰を受けてもこの怒りは収まらないと僕は思った。それほどの強い怒りを僕は覚えた。我知らず、指先がわなわなと震えた。僕の妻を奪った上に強姦したなと。妻を拉致して山小屋に連れ込んでレイプしたな。奴らは妻の体をたっぷりと愉しんだのだ。
「そのレイプ犯たちだけど、前に練習場でナンパして来た男の三人組だったと思うの」妻は言った。
「そんなはずはない」反射的に僕は答えた。「連中は岩手オーシャンズのチームのメンバーだぜ。連中がチームメイトの妻をレイプなんてするはずがない」
「レイプ犯たちは覆面をつけていたけど声であのナンパして来た三人組だとわかったの」妻は言った。「それに腕に彫られていた刺青の模様でもそのことがわかった。あ、こいつらはあの時のナンパして来た三人組だって。強姦が終わって時間が経てば経つほどにそのことが確信に変わっていくの。あいつらに間違いないって。だからこれは確かなことよ。チームのメンバーでなく、妻が言うことを信じて。あの三人がやったのよ。どうして警察は動かないの?」
もちろん実際には警察は動いた。妻をナンパした三人を任意に警察署に呼んで事情聴取をした。しかしすぐに三人は釈放された。警察は三人を犯人とは思わなかったのだ。
チームメイトが犯人だって? 僕は呆然と妻の言葉を聞いているしかなかった。
病室の外で僕は男の看護師に言われた。
「実はレイプされた女性はこれが初めてじゃないんです。例のレイプ犯は色んな女たちに手を出して犯罪を行っているんです。この病院でわかっているだけで、これまでに五人以上の被害女性がいます。その中の一人がレイプ犯を告発しようと動いていましてね。病院側はその女性とコンタクトを取ることができます。どうしますか? あなたの奥様のこともお伝えしましょうか?」
「お願いします」僕は言った。「できれば僕はレイプされた女性たちと会って話がしたいです。その希望もどうか伝えていただけますか」
僕は病院でその告発に動いた女性の連絡先を聞いた。そしてその場ですぐにその女性に電話をかけた。僕は電話で、妻が事件に巻き込まれた事情を話し、犯人の手掛かりを捜していると言った。女性はしばらく黙ってから「百パーセント確実な証拠なら持っています」と言った。
翌日、我々は町内の喫茶店で会った。
東日本大震災の前からあるという古い喫茶店だった。僕は約束の時間の三十分前に店に着き、コーヒーを飲みながら待っていた。そして店の様子を見ながら少しぼんやりした気持ちになった。僕が岩手オーシャンズに加入するためにこの田舎に来たことは間違っていたのだろうかと。僕の移籍に興味を示してくれたチームは他にもあった。だが僕の目には岩手オーシャンズが最も有望なチームに見えたのだ。その判断は間違っていたのだろうか。
喫茶店はお洒落な内装で整えられているというわけではなかった。それは年寄りの古い民家の内装を僕に思わせた。年金暮らしの老人が昭和の時代に趣味で始めた喫茶店が、その子供の店主に受け継がれて、といった勝手な想像を僕は抱いた。だが五分後に運ばれて来たコーヒーにはケチの付けようがなかった。アイボリーホワイトのカップに黒茶のコーヒーが湯気を立てて、僕がカップをソーサーから持ち上げて口にすると香しい匂いが鼻に満ちた。コクのある美味しいコーヒーだった。
喫茶店の女店主が、僕が地元のプロサッカーチームの選手だと気づいてサインをもらいに来た。僕はにこやかに応じた。僕はプロとしてサインを拒むことはまずない。
岩手オーシャンズはJ2での試合を大幅に勝ち越してリーグの三位に入っていた。僕は妻がレイプされたからとサッカー選手としてのパフォーマンスが落ちることを自らに許さなかった。僕は妻が入院して、その退院が長引いている間も一日も練習を休まなかったし、試合も欠場しなかった。岩手オーシャンズは僕が司令塔としてあることで勝ちを収めているチームだ。僕は休むわけにはいかなかったし、僕も休みたいとは思わなかった。僕はサッカーのプレイに集中し、試合に熱中することで妻が巻き込まれた事件のわだかまりから逃れた。僕は妻がレイプされ、自分自身も人生の敗北者として生きることを自らに許さなかった。僕は常に勝つことを求めた。このままチームが上位に食い込んでJ1との上下入れ替え戦で勝てば念願のJ1参入が実現する。そしてそれが果たされた時に僕は妻の事件の大きな傷から回復することができ、再び腕利きの名プロサッカー選手として現役生活を生きることができると信じた。僕は常に勝利者であり続けなければならなかった。
約束の十分前に女が喫茶店に入って来た。そして窓際のテーブルに着いた僕を見つけて近づいて来た。女は僕の顔をじっと見てから、「約束をしていた小野です」と名乗った。「まず話をする前に聞きたいのですが、レイプ犯と闘うつもりはおありになりますか?」
女の声はよく通ったので僕は店の店主に我々の話が聞こえたのではないかと案じて振り返った。店主は顔をやや俯けて洗い物の作業をしていた。熱心に作業しているようすを取り繕っていたが女店主は我々の話に聞き耳を立てていた。女は客であれ、他人であれ、ゴシップやら噂話やらに敏感ですぐに話を盗み聞きしたがる。僕は席を立った。
「コーヒーは美味かったが客の話を盗み聞ききしようとするところはいただけなかった」と僕は正直に店主に告げた。そして我々は店を出た。小野という女性は僕の返事を待っていた。僕と妻がレイプ犯と本気で闘うつもりはあるのかと小野さんは聞いた。その返事を僕はまだしていない。




