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竜去りし地の物語  作者: 権田 浩


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執政官 2

 帝国の統治が始まり、北方連合王国に併合された北部地域を除く旧ファランティア王国領では領地の再分配が行われた。騎士位を返上して帝国に忠誠を誓えば領地の一部は取り置かれたため、多くの貴族がこれに従い、執政官や各地の司令官の下へと参じた。彼らとの謁見、帝国騎士への領地分配といった仕事の合間をぬって、ヴィジリオは王都の戦いで損壊したまま放置されている建物を自ら視察し、修復を指示した。


 また、駐留している帝国軍兵士自身の手で黄竜門の外に宿舎を建設するよう命じ、民からも希望者を雇い入れて賃金を支払うと公布。建材などの必要な物資は優先してドラゴンストーンの商人から買い入れるようにしたため、人と物の流れが再開し、王都の街角には人々の声が戻ってきた。沈黙の冬は終わり、芽吹きの春がやってきたのだ。


 民と接することを厭わぬヴィジリオのもとには大商人や貴族といった地元の名士が訪れるようになり、彼らの要望もあって隔週ごとに懇親会が開かれるようになった。レッドドラゴン城の大塔にある謁見の間で、参加を許された人々はヴィジリオを取り巻き、ずっと以前から知り合いだったかのように振舞った。


 ファランティアの人々に受け入れてもらえるのか、という不安はすっかり消え去り、その反動もあったろう、人々の中心でヴィジリオは常に笑顔をみせていたが、ダンカン将軍は回を追うごとにしかめ面へと変わり、ついに姿を見せなくなってしまった。アマンダは執政官の影に徹しながらも、将軍を悩ませている問題についてはもちろん把握していた。それでも、懇親会の常連である銀行家のマルティンが自分さえまだ知らないその問題の一端について口にした時は少なからず驚いた。


「ところで執政官閣下、実はその、ご相談がありまして……」


「相談?」


 無邪気な笑顔で振り向いたヴィジリオに対し、父親ほど年の離れたマルティンの眉間に寄せられた皺の深さはそれが良い話でないことを物語っている。ヴィジリオはうなずいてみせた。


「口を(はばか)る必要はない。自由な議論のためにわたしはここにいる」


「では誠に僭越ながら、帝国の輸送隊がたびたび盗賊に襲われている件ですが……」


「ああ、頭の痛い問題だ。盗賊に身を落とすほどの事情があるなら、解消したいが」


「閣下の誠意が彼らに届くことを願うばかりです。つい最近のことですが、ある盗賊たちの正体が地元の農民だったということで、キングスバレーから派遣された部隊が彼らの村を焼き討ちにしたと聞きました」


「な、なんだって?」


 ヴィジリオはぽかんと口を開けたまま、背後の補佐官に振り返った。アマンダは小さく顔を左右に振り、「確認させます」と言って人を呼ぶ。


「実は、その村というのが知人の領地でございまして。もちろん帝国へ忠誠を誓い、正式に下賜された領地でございます。村人は逃げて散り散りになってしまい、今年の収穫は望めないと嘆いておりました。つきましては閣下に減税をお願いできないかと相談されております。当銀行より融資は可能ですが、今年は通貨による納税を二割までとお決めになられた直後でございますれば、そのぅ……」


「そ、そうだな、それは憂慮すべき事態だ。悪いようにはしない……」


「ありがとうございます。閣下のご厚意には必ず報いるでしょう」


 村を焼き討ちにしただって?

 それじゃあ、まるで戦争じゃないか。

 戦争はもう終わったのに!


 表面上は平静を装ったが、ヴィジリオの頭の中はそのことでいっぱいになった。懇親会が終わり、人々が退出するとすぐにヴィジリオは補佐官に命じた。「将軍をここに」


 時を置かずしてダンカンがやってきた。「閣下」と一礼した彼にヴィジリオが先んじる。


「キングスバレーの部隊が村を焼き討ちにしたと聞いた。事実か?」


 将軍は目をむいた。「それは……どこの誰から、お聞きに?」


「事実かと聞いている」


 珍しく憤慨した様子のヴィジリオを前にしてもダンカンはまったく動じず、胸を突き出して聞き返す。


「事実です。つい先ほど報告があり、わたしも知ったばかりです。閣下にその話をしたのは誰です?」


「マルティンだ。お前は知らないかもしれないが、いつも懇親会に来ている銀行家の」


「妙ですな。将軍であるこのわたしが報告を受けるより前に知っていたとは。最近、賊どもの動きがより組織的になってきたように感じておったところです」


「で、銀行家が盗賊の一味だとでも? 馬鹿げている。盗賊は各地の無法者や敗走兵だろうとお前も言っていたじゃないか」


 そこへ珍しく、アマンダが口を挟んだ。「マルティンはもともと郵便屋で、彼の配達人は街道沿いの馬宿の常連です。プレストンには銀行の支店もあります。地元の有力者とも関係深く、独自の情報網を持っていても不思議ではありません」


「わたしもそう思う。ファランティアのことなら我々より耳聡くても驚きはしない。この話も知り合いの領主から聞いたと言っていたぞ」


「ふむ」ダンカンは整った顎髭を撫でた。「その情報網を使えば、各地の盗賊に連携を取らせることも可能ですな」


「いいかげんにしてくれ!」


 ヴィジリオは天井を仰ぎ見て、懇親会用に用意された長椅子にどすんと腰を落とした。


()()()()懇親会に反帝国の人間が来るわけがない!」


 話を続けようとしたダンカンをアマンダは目配せと手で制し、ダンカンは気に食わんというふうにしかめ面を返した。ヴィジリオはそんなやり取りには気づかず、額に手をやってうなだれていたが、しばらくして口を開いた。


「……ウェルキンス司令官を召喚し、村の焼き討ちに関わった者を一人残らず報告させろ。何らかの刑罰を与えねば」


「お言葉ですが閣下、それは死刑執行人を殺人の罪に問うようなもの。理にかないません。兵士たちはウェルキンスの命令に従って、盗賊とその一味に正義の鉄槌を下した。それだけです。それに、盗賊の取り締まりを強化するよう指示なさったのは閣下ご自身ではありませんか」


「だからといって、焼き討ちはやり過ぎだ。今は戦時ではないんだ。これは犯罪だぞ。普通に考えればわかるだろうに。やっと信頼を得られ始めた矢先にこれだから、軍人ってやつは……」


 ダンカンの四角い顔がみるみる強張り、赤く染まっていくのをアマンダは冷静な眼差しで見つめた。将軍は見事に自制してみせたが、声は怒りに震えていた。「処罰についてはわたくしに一任くださいますか」


「いいだろう。将軍に任せる」


「では、そのようにいたします」


 敬礼して立ち去ろうとした将軍の背中に、ヴィジリオが付け加える。「それと将軍。今後、盗賊の襲撃を受けた際には殺さず、捕らえるように。全軍に徹底させてくれ」


 さすがのダンカンもこれには黙っていられなかった。真っ赤な顔のまま勢いよく振り返り、今にも突進しようとする猛牛のように鼻息を荒げる。


「本気ですか!? 盗賊どもはこちらの生死など気にせず襲って来ているのですよ? 一人生け捕ろうとすれば二人の兵士が死ぬ。我が軍の兵士の命より、連中の命のほうが重いと――」


「将軍!」補佐官が鋭く割って入った。「どうか冷静に。閣下は理想を述べられたにすぎません。言うまでもなく、現実的に生け捕りが可能な状況になった場合は殺さずに捕縛せよ、ということです。たとえ死罪だとしても、法に則って刑に処するが正道、と申されたのです。そうですね、閣下?」


 いや、わたしは本気だった――と、出かかった言葉は補佐官の眼差しに止められた。兵士の犠牲について考えが及んでいなかったのは事実だが、盗賊(かれら)の主張も聞かねばならない。それに、実態として被征服民であるファランティアの人々は弱者だというのがヴィジリオの認識だった。弱者保護は為政者の努めであると信じてもいる。だが、もうこの話題を続けるべきではないと補佐官の目が懇願していた。


「うむ……」渋々といった様子でヴィジリオはうなずいた。補佐官が続きを引き取る。


「そういうわけです、ダンカン将軍。現場で捕縛可能と判断した場合には、試みてください。以上です」


 ダンカンは不服の表情を見られまいとするかのように深々と一礼して、今度こそ踵を返し、肩を怒らせて謁見の間から出て行った。それを見送ってアマンダは振り返った。


「閣下、今のお話ですが……」


 説教は聞きたくない、とばかりにヴィジリオは憂鬱そうに目を上げた。誰も自分の気持ちをわかってくれない。統治者は孤独なものだ、とは誰の言葉だったか。


「……感動しました。閣下は皇帝陛下の理想を完璧に理解しておられます。まるで本国におられる皇帝陛下が、閣下の口を使ってお話されているかのようでした」


 思いがけぬ賞賛にヴィジリオはぽかんと口をあけ、目をぱちくりした後、やっと微笑んだ。分かる人は分かってくれる。やはり自分は間違っていなかった。それも、皇帝陛下と並べて評価してくれるなんて。自信がむくむくと胸の内で膨らみ、気分がよくなる。


「理解してくれて助かる。さきほども、妥当な折衝案だった。確かに今はまだ……難しいのだろう」


「ええ、閣下の統治はまだ始まったばかりです。しかし、いずれは」


「そうだな、アマンダ……ありがとう。これからもよろしく頼む」


 アマンダは微笑み、一礼した。


「閣下をお支えするのが、わたくしの努めであり喜びでございますから」


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