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竜去りし地の物語  作者: 権田 浩


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名もなき村の反乱 4

 意識が戻っても、ギャレットはしばらく横になったまま動けなかった。眩暈と耳鳴りが酷く、顔の左側は噴火を待つ火山のように熱く脈動していた。やがて、確かめるようにゆっくりと右目を開いてみると、どうやら地下牢にいるようだった。ならば領主の館だろう。アヒムたちの村にもこうした設備が必要だったのは間違いない。一人用の牢には使われていた形跡があった。


 縛られてはおらず、甲冑も着たまま。ボコボコにされた兜も置いてあるが、もう被るのは無理そうだ。あれをどうやって脱がせたのだろう、などとぼんやり思う。置かれたパンの数から察するに、決闘の翌日あたりか……早くテッサへ向かいたいブランは明日か明後日には村に来るはずだ。


 ギャレットは冷えた食事を手元に引き寄せ、壁に背を預けてゆっくりと食べながら、回復に努めた。


 断続的に短い睡眠を繰り返し、ふと目を上げて、天井付近の小さな空気穴から日光が差し込んでいるのに気付く。影が何度も横切って遮り、緊迫した声も漏れ入ってくる。扉が開く音に続いて、ばたばたと階段を下りてくる足音。来たか、と、ギャレットは壁を頼りに立ち上がった。蓄積された疲労と痛みが重い。いつものように、すべて無視しろと自身に命ずる。頑丈そうな扉の向こう側、鉄格子のはまった覗き窓からアヒムの声がする。


「騎士さま、起きてますか。具合はどうですか」


「大丈夫だ、心配ない。何があった?」


 ガチャガチャと鍵を回す音。


「騎士さまの言ったとおりだった。兵士を連れて王様が来たんです。あの女傭兵が一騎打ちを申し込んで、王様は受けたんす。二人でどっか行って、兵士は待ってろって言われたんですけど……」


 重そうに扉が開いた。アヒムはギャレットを見てすぐに深々と頭を下げる。「すんません、だんな……」


「いいから。それより何かあったんだな?」


「へぇ、兵士が正面だけじゃなく北側にも回り込んでたんです。村の若い衆が……こっちから手を出しちまって……」


「わかった」とだけ答えて階段へ向かうギャレットに、アヒムは慌てて呼びかける。


「だんなの剣はあの女傭兵が持っていっちまった! 代わりにこれを!」


 差し出された刃渡り一フィート(約三〇センチ)の短剣を受け取る。


「あの御方は傭兵じゃない」


「え?」


「スパイク谷の女王陛下だ」


 ギャレットは階段を駆け上がって廊下に出た。館はそれほど広くないが、玄関はどこだ。左右を見渡すと、下からアヒムの声が。「右です!」


 廊下を右に行くと、最初に通された居間があった。ここまで来れば玄関はわかる。庭に飛び出すと、ドリスが駆け寄って来た。


「騎士さま! エレーゼと孫が来ないんです! あの()の家は北側だから巻き込まれたかも!?」


「できるだけのことをする。おれの馬は?」


「門を出たところに……」


 それだけ聞いてギャレットは駆け出し、館の門を出たところで石垣の近くに自分の馬がいるのを見つけた。引いてきた村人を押しのけて飛び乗ると、馬首を巡らし、村の北側を見やる。兵士と村人数人が、ちゃんちゃんばらばら、小競り合いをしている。馬の腹を蹴り、道を無視して斜面を下って、畑を突っ切り、用水路と柵を飛び越え、現場へ駆ける。


 前方に家が見えてきた。敷地の入口で、兵士と村の男が一対一で向き合っている。家の中から赤子を抱えた女と子供が飛び出して、男の背後を抜けてようとしたが、兵士の振り回した槍の柄が男の頭に当たって倒れ、巻き込まれた子供は転び、女は膝をついた。兵士が構え直した槍の先には子供がいる。女が飛び込み、反射的に槍が突き出される。


「やめろ!」


 ギャレットの叫びと同時に、男が無理な姿勢からピッチフォークを突き出した。兵士の槍に当たって軌道を逸らせたが、穂先は女の上腕を切り裂き、短い悲鳴が上がる。兵士はピッチフォークを蹴り飛ばし、男に槍を突く構え。


 姿勢を低くして(あぜ)から跳び上がり、ギャレットは馬体を強引に割り込ませた。兵士は()ねられて後ろに倒れる。呻きながら手で槍を探す兵士に一喝。


「やめろ、ばかもの! 統一王から戦闘の指示があったのか!」


 兜の位置を直して見上げた兵士が素っ頓狂な声を上げる。


「ギャレット卿!?」


「待機を指示されただろうが!」


「はい、いえ、しかし、農民どもが……」


「黙れ! おれに付いてこい。その槍を貸せ!」


 兵士はおずおずと、統一戦争の英雄に槍を差し出した。ギャレットがそれをひったくっている間に、男は馬の足元から逃げ出して女子供と合流した。


「お前の女房か」


 馬上から問われ、男は目をぱちくりしながら答える。


「は、はい、騎士さま」


「領主の館へ行って、手当を。縫わなきゃならんと思う」


 血塗れの腕で赤子を抱く(エレーゼ)と目が合った。彼女の瞳は明らかに彼女の騎士(ギャレット)を認識していた。白馬ではなかったけれども。


「騎士さま……助けていただいたのは、これで二度目です。わたし……」


 うん、と、うなずいてギャレットは馬の腹を蹴った。


 兵士と村人たちはいくつかの集団に分かれて乱戦状態となっており、この戦闘が偶発的なものだと見て取れた。ギャレットは馬で走り回って戦いを止めていった。血の気の多い村の若者や、興奮した兵士は殴り倒さなければならなかったが、なんとか混乱を鎮めると、兵士には後退して待機を言いつけた。


 それから荘園の西側にいる本隊へ駆けてゆくと、そちらのほうは統一王の指示を守って待機したまま、村人と睨み合っている。おお、ギャレット卿だ……などの囁きを無視して、馬上から部隊長に問う。


「統一王は戻られたか?」


「まだです、ギャレット卿」


「どちらへ行かれた?」


「あちらの方向に行かれました、ギャレット卿」


 部隊長が指差した先へギャレットは馬を進ませた。二人はおそらく、人目に付かないところへ行った。おおっぴらに聞かれたくない話もあろうし、戦いに集中できる場所で殺り合いたいというのもあろう。


 村人たちは家にこもったか、館に避難したかして、誰とも行き会わない。二人の王はどこまで行ったのか。そして、自分はどちらに味方すべきなのか。


 目的は最初から決まっている。村人を守ること。そのために説得を試みたが失敗した。ならば剣を抜くしかないが、連れてきた兵士の数を見るに、ブランはこの村を制圧するつもりだろう。


 この出来事が、統一王国に危機をもたらす火種となりうるだろうか。否――ギャレットは手綱をきつく握りしめた――これは統一王の暴力性の発露でしかない。


 今また命を賭してブランを止める時が来たのか?

 そしてそれは、正しいのか?

 二〇年の統一戦争を経て、やっとここまで来たというのに――


 紅葉舞い散る木立の合間に、こんな農村では見かけない紫色が(ひるがえ)ったのに気付いてギャレットは手綱を引いた。木々の向こう、切り株しかない空き地で、二人の王が対峙していた。


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