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竜去りし地の物語  作者: 権田 浩


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名もなき村の反乱 2

 その道を辿るのは実に二〇年ぶりだった。南に広がる森の木々は赤と黄に紅葉し、秋の陽光を透かして黄金色に散り舞っている。馬上のギャレットは当時と変わらず、甲冑に身を包み、鎧上着(ジュポン)を着ているけれども、そこに描かれた意匠は自由騎士団のものになり、歳を経て、たくさんの喪失が癒えない疲労となって積み重なっていた。同行者は無く、秋の田舎道をゆく馬のカッポカッポという足音だけがのんきな連れだった。


 以前はただ黒々とした土地が折り重なるだけだった風景は今、秋深く、収穫の終わった茶色の土地には所々に麦わらが三角帽子のようにつんと立っている。再建された家々、枝を編んだ道端の柵、小さな堰と用水路……立派なものだとギャレットは感心しつつ、前方に見え始めた領主館に向けて馬を進めた。その遠景だけはあまり変わりない。土地の一番高いところにぽつんと立つカシの木と、屋敷。


 たった一人とはいえ武装した騎士がやってきたせいで、女たちは娘と一緒に家へ引っ込み、男は農具を手に睨みを利かせ、息子を領主館へ走らせたが、ギャレットは動じることなくゆるゆると進んだ。低い石垣にそって屋敷の門へ向かうと、そこには三人ほどの村人が武器になるものを手に息を切らせて立っている。このあとも続々と上がってくるであろう。ギャレットは先頭の老人に軽く手で挨拶して、カシの木陰で馬を降り、徒歩で近付いた。一歩ごとに過去へと遡り、二人とも顔を合わせる距離になるとすっかり思い出していた。


「自由騎士さま!? いやぁ、またお会いできるなんて!」


「アヒム、元気だったか? すっかり村長だな」


 へへっ、と笑ったアヒムはだいぶ歯も減って老人になっていたが、あの頃のままのようにも見えた。二人の親密な空気に村人は毒気を抜かれて立ち尽くす。ともかく中へ、と案内されてギャレットは居間へ付いて行った。かつて困窮した人々が集まって暖を取った部屋だ。暖炉はそのままだが、内装は家庭的に整えられている。そこに、そぐわない人物が一人、長テーブルの奥に座っていた。武装した長身の身体を窮屈そうにかがめて、目鼻を覆う北方式の兜を被ったまま、乾燥果物とナッツ類の菓子をつまんでいる。傭兵か、とギャレットは思った。顔を見られないようにしている。誰だ――というところでアヒムが注意を引き戻した。


「さ、座ってくだせぇ。ちょっとしたもんならありますんで」


 言われるがまま差し出された椅子に腰を下ろしたので、ギャレットはそれ以上その傭兵を見ていることはできなくなった。それよりも重要な話がある。


「今日ここに来たのは、領主の件だ。エグナー家と何か因縁があるのか?」


「エグナー……?」


 ぽかんとしたアヒムの顔は、知っていて(とぼ)けているふうには見えない。


「この荘園の、本来の持ち主だ」


「へぇー」


 そこへ、中年の女性が色々持ってきて二人の前に並べ始めた。チーズ、ピクルス、傭兵がつまんでいるのと同じ菓子、ワインとパン。これだけでも村の豊かさと、ここまで復興させた彼らの努力がうかがえる。そして、軽食にちょうどいい大きさの小さな丸パンは、この村が王国の法に則っていないことを示していた。パンの大きさと形、使用する小麦の挽き具合と量は、通常は領主の管轄下で定められていて自由にはできない。ギャレットも詳しくはないが、この大きさと形は他では見ない。


「お久しぶりです、自由騎士さま」


 言われてパンから中年女性に目を移す。


「ああ、君は、あの……」名前は確か――


「ドリスです」


 ――そんな名前だった気がする。「元気そうでよかった、ドリス。娘さんは……」軽々しく聞かない方がよかったかとギャレットは一瞬後悔したが、幸運にも杞憂で終わった。


「エレーゼももう立派なお母さんですよ。去年二人目の男の子が生まれて……あら、お話の途中でしたね。もし時間があったら会ってやってくださいな」


「うん、でも、もう覚えていないだろう」


「そんなことありませんよ。あの子にとってあなたはずっと白馬に乗った騎士さまのままです。いつでもわたしたちを助けてくださるって」


 この図々しさと(したた)かさは、微笑ましくもあったが、ギャレットは思わぬ牽制に内心でうめいた。


「あら、お邪魔してごめんなさい。何か御用があれば呼んでくださいな」


 一礼してドリスは奥の部屋へと引っ込んだ。ギャレットは再びアヒムと向き合う。


「兵士はお前たちに武器で脅されたと報告した。事実なのか?」


「ええ、まぁ……そうなっちゃいますね」


「統一王を甘くみるな。話し合いの余地があると思っているんだろう、アヒム。やつは確かに大人物だ。だが本質的に支配者なんだ。この大陸に自分の思い通りにならない場所があるなんて許さない。そしてあの男には、話し合いよりも暴力のほうが楽で簡単な選択肢だ。戦いになるぞ、わかっているのか」


「でも……これはおれ一人の気持ちじゃないんです。村人全員の気持ちなんです」


 ギャレットは拳を握りしめた。皮の手袋がぎゅっと苦しげに鳴る。


「南部で最後の戦いがあったのは一〇年……いや九年前だった。お前たちはもう忘れようとしているだろう。だがおれたちはほんの一年前までテッサニアで戦っていたんだ。これが最後の戦いだと言い聞かせながら、やっとそれを達成して帰ってきたんだよ。もう十分だ。もう一滴たりとてファランティア人の血が流れるのは見たくない。戦争を終わらせてくれ。頼む、戦いを選ばないでくれ。出て行けと言われたら出て行くと言っていたじゃないか」


 その言葉と、真摯な視線は、しっかりとアヒムに届いていた。彼は口元に皺となって張り付いた笑みを微かに残したまま、しかし真っすぐに答えた。


「だんな……おれは戦争で故郷を失った時、もう死んでもいいと思ってたんす。一人でさまよう人生に意味なんてない。だんなに助けてもらってからも、心ん中ではずっと、無駄なことをしてるなって思ってました。でも人が集まってきて、なんとなく面倒をみながら、ここの手入れをしているうちに、いつの間にか自分の人生も立て直してたんです。それがはっきりわかったのは、この村で最初に生まれた赤ん坊をこの腕に抱いた時だった……ここがこの子の故郷、そしておれの故郷になったんだって、強く思ったんすよ……」


 アヒムは尊いものを捧げ持つように思い出の中の赤子を胸に抱え、瞳を潤ませる。


「故郷ってのは、生まれた場所ってだけじゃない。親も、その親も、またその親も、ずっとそこで生きて死んで、今は自分がいて、子や孫や、その子供たちがずっと生きていく……そう信じられる場所、自分がそこで死ぬのは自然なことと思える場所のことなんだ。死んだって、何もかも消えて無駄になったりしない。その土地に、そこで生きるやつらの中に、上手く言えねぇが、残っていくんだ。おれたちはもう一度、そういう場所を作り上げたんすよ、だんな! この手で!」


「お前たちの新しい故郷を奪おうという話じゃない。ただ本来の持ち主が帰ってくるだけで……」


「ここはおれたちの血と汗で再建した、おれたちの村だ! 戦争中も王国に税を払ってきたし、はぐれ傭兵だの盗賊だのからだって守ってきたんだ。これからもそうするさ、おれたち自身の手で。ずっと外国に逃げてた貴族の豚野郎なんかにゃ一握りの小麦だって渡すもんか!」


「統一王に直訴はできる。三日後には兵士を連れてここへ来るからな。しかし聞く耳は持つまい。この問題は、あいつにとっては道端の小石みたいなものだ。つま先で一蹴りして、終わり。先へ進む」


 ギャレットは肩をすくめた。


「……なぁ、どうしても我慢ならないというなら、この村を明け渡せばいい。引っ越し先はおれの領地だ。南部総督に用意させる。大丈夫だ、申し出はあったが断っていたんだ。それを受ける。前に言ってただろ、おれに領主になってほしいって。それを実現させよう。一度できたことならもう一度できるさ。命さえあれば――」


 ばぁん、とテーブルを叩く音が奥から響いて、ギャレットの言葉は遮られた。


「あんたに、こいつらの気持ちは分からんさ。自分がどこから来た何者なのかも知らず、ファランティアのどこで果てても構わないと思っているようなあんたには」


 ずっと部屋の奥で黙っていた傭兵の第一声に、ギャレットは目を見張った。聞き覚えのある女の声が、その出で立ちと相まって、一人の人物に行き着く。


「ましてや、海の向こうを見据えているブランにはな」


 屈めていた身体を伸ばして悠然と立ち上がった女戦士はギャレットのいる側まで来ると、ドンと鋼鉄製のメイスでテーブルを突いた。


「表に出な、自由騎士」


「……なぜです、陛下」


 その一言にさすがのアヒムも目を丸くした。面当ての奥の青い瞳はギャレットを見つめたまま。


「留まるつもりはなかったが、あいつ(ブラン)が来るなら話は別だ。あんたが戻らなければ三日後には来るんだろ? あたしはこの村のために戦うと決めた。あんたがこちらに付くなら剣を交える必要はないんだけどね?」


「戦いを選ばせるな。村人に犠牲が出るぞ」


「〝汝、欲するなら勝ち取れ〟だ」


 長身のヒルダが、座したままのギャレットを見下ろす。両者はしばし視線を戦わせ、互いに引く気はないと確認し合った。自由騎士は小さくため息を吐いて立ち上がり、先に出て行ったヒルダの背を追う。


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