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竜去りし地の物語  作者: 権田 浩


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元将軍と交易商 9

「盟約暦一〇一一年夏の第五週五日、竜割山西斜面の古道にて、北方連合王国軍とアルガン帝国軍は会戦します。帝国軍の狙いは戦闘の長期化、時間稼ぎで、ファランティア人部隊の起用もその一因になるはずでした。ところが、この戦いは半日で決着します」


 ハイマンは押し黙ったまま、両腕を組んでいた。この話の先が予想できていたからだ。


「両軍ともファランティア人だったことは、やはり影響したと思われます。帝国軍の思惑どおり、戦いは睨み合いからの消極的な押し合いとなった。しかしそれは、ファランティア自由騎士団が帝国軍の背後に出現するまででした。ギャレット卿以下、断固たる決意を持った騎士たちは相手がファランティア人であっても怯まずに襲いかかり、その様子をみた連合王国軍のフロレンツ卿は〝踏みとどまり、前線を維持するだけでいい〟と叫んだそうです。逃げ場を失った帝国軍は突撃を繰り返すファランティア自由騎士団によってすり潰されていきました」


「……たしか、鉄床(かなとこ)戦術というやつだな。殲滅必勝の形だと本で読んだ」


「ええ、ギャレット卿の言葉は現実のものとなりました。ファランティア自由騎士団は人馬ともに返り血で真っ赤に染まっていたといいます。この後、彼らの団旗に赤色が加えられたのは、この戦いを忘れないためだったのでしょう」


 北方連合王国軍そしてファランティア自由騎士団の勝利を、とても喜ぶ気にはなれず、ハイマンは口元を押さえた。交易商は淡々と話を続ける。


「この戦いに勝利した北方連合王国軍は素早く進軍して古道を確保、キングスバレーを迂回して南側に出ることが可能になり、ここから一一八日間におよぶキングスバレー包囲戦が始まります」


「と、いうことは、ブラン王のキングスバレー攻略はなるのだな」


「はい。最後は一通の偽書によって」


「偽書?」


「ええ。南部からの援軍を騙ったもので、〝五日後の払暁に総攻撃を仕掛けるから、呼応して出撃してほしい〟という内容でした。そして当日、約束の刻に南の地平から騎馬が現れます。もちろん、南部の帝国軍に扮した北方連合王国軍で、馬に草の束を引かせて土煙を上げ、軍勢がいるように見せかけたものです」


「そんなものに騙されるとは……」


「ブラン王は猪突猛進の武人、という先入観もあったようですね。実際、包囲後もブラン王率いる本隊は正面攻撃を続けていましたし、策を弄するとは思われていなかったのかもしれません。しかし最大の要因は、そんな話に飛びついてしまうほどキングスバレーの帝国軍が困窮していた、ということのようです。地元民しか知らない抜け道を使った補給路もあったのですが、地元民は自由騎士団にも王国軍にもおりましたから、すぐに封鎖されてしまいました。冬を前にして最後の賭けに出るしかなかったのでしょう」


 ハイマンの口元から手が滑り落ちて、やっと、ふぅと一息ついた。交易商もゆっくり紅茶をすする。


「しかし、開戦から三年でキングスバレーまで奪還するとは、さすがとしか言えん」


「ブラン上位王の戦上手もありますが、帝国軍は各地方の主要都市を押さえていただけで、領土化できていなかったのも大きな要因でしょう。町から離れるほどに先の紛争の影響も薄れていき、人々は以前と同じ生活を送っていましたから、ファランティア王国の民という自覚は変わっていませんでした。ブラン王はかつての統治をそのまま踏襲するだけで、支配者として受け入れられた。しかし、キングスバレー包囲戦からは状況も変わってきます」


 交易商がカップを置き、陶器がカチンと音を立てた。


「帝国軍に加わったのは、上位王を信じられず制裁を恐れた貴族や、領主に言われるがまま従った農民だけではありませんでした。串刺し閣下と呼ばれるようになる前のヴィジリオ執政官が語った帝国の理想に共感した者、変化を望み世界を夢見た若者、千年の間に停滞した社会を脱して自由な身分を求めた新興商人たちなど、自らの意思で与したファランティア人も多かったのです。彼らは盾として使われたわけでも、無理やり戦わされていたわけでもない。自らの意思で帝国軍人として戦ったのです。そしてこの傾向は南部へ行くほど、すなわち帝国の支配が長かった地域ほど顕著になっていきます。南部ではエルシア大陸からの移民も進んでいて、点の支配ではなく、面の支配、すなわち領土化が進んでいました。戦いはテストリア大陸人対エルシア大陸人という民族間の争いではなく、北方連合王国対アルガン帝国という国家間の争いへと変わっていきます」


「そうか……ファランティア人が二つに割れたと……そうならないための戦いだったはずなのにな……」


「ファランティア自由騎士団はファランティア人の血に塗れました。しかし同時に、彼らの戦いが民族解放のためでなく、その先で社会の変革を目指すものだと示された。これは将軍があの夜に……」


 モロウの声音には抑えきれない密かな興奮の震えがあった。が、天井を仰ぎ、目頭を押さえたハイマンの手の下から涙が伝い落ちるのを見て、ほんのわずか前のめりになっていた姿勢を戻す。それから二人ともしばし沈黙した。やがてそろそろとモロウが話を再開する。


「ブラン王の統一戦争は、旧ファランティア王国の三分の一を占める広大な南部を再領土化していく段階に入って失速します。オーク傭兵起用により帝国は魔獣討伐の大義名分を得て、第七軍団の派兵を決定。テッサニアにいた傭兵団〈みなし子〉も北進させます。戦争で利益を得ようとするテン・アイランズの各商会や中小の傭兵団も介入して、ファランティア人が経験したことのない戦乱の様相を呈していきます。時間も限られておりますし、以降は複雑になりますので、特定の人物や場所に限って提供させていただければ。例えばブラックウォール城攻略戦などはいかがです?」


「いや、戦争の話は……もういい」


 ハイマンは涙を拭った。虚しさに押し潰されそうだった。全ては過去の出来事で、自分には何もできない。もしその場に自分がいたら……などと考え始めると、気が狂いそうになる。この二〇年はいったい何だったのだ。視線を落とせば、だらしなく肥えた腹が嫌でも目に入る。


「……かしこまりました。確かに、よい区切りかもしれませんね」


 モロウは背筋を伸ばし、指を組んでテーブルの上に置いた。明らかに雰囲気が、部屋の空気が変わったのを感じてハイマンは視線を上げた。


「ハイマン将軍、最初に申し上げたとおり、私は情報を扱う商人です。この邸宅を訪れたのにも理由がございます」


「わたしが……居たからか?」


 交易商はぴくりとも表情を変えなかった。


「半分は、そうとも言えます。皇帝陛下の側近や信奉者がこの邸宅を押さえていたなら、わたしが訪問することはなかったでしょう。しかし最近の貴方の様子についてはわずかな情報しかなく、どちらとも判断できませんでした。そして今は……取引相手に足る、と考えています」


 不穏な気配にハイマンは奥歯を噛みしめた。仮面のように変化しない交易商の顔がますます不気味に見えてくる。しかし、その言葉を遮りはしなかった。モロウはそれを確認してから話を続ける。


「この邸宅の本来の持ち主をご存知ですか」


「いや、知らん」


「ここはトマス・アルゲリアスというエルシア大陸屈指の建築家が、この新帝都ならびに城や大聖堂を設計し、自ら監督して作り上げた功績に対して、皇帝陛下が下賜された土地です。帝都が一望できる見事な立地にあるのは、そういう理由です。しかし、彼は最後の最後、皇帝陛下の立像を台座に据える作業中に事故で亡くなりました。倒れてきた立像に押し潰されてしまったのです。その時、この邸宅はすでに完成しており、彼自身の指示で書籍や家具なども運び込まれた後でしたから、そのような事故がなければ晩餐はこの邸宅でとっていたかもしれませんね」


 ハイマンはごくりと喉を鳴らした。これがもし予想通りの話であるなら、最後まで聞くべきではないが、しかし興味を惹かれてもいた。なによりまだファランティアの現在がどうなっているのかを聞いていない。


「これが最後の取引になります、ハイマン将軍。我々はこの家のどこかに新帝都の初期図面が隠されていると考えています。それを見つけ出していただきたい。代わりに、ファランティアの現在に通じる最も重要なお話をしましょう」


 それは帝国への、いや皇帝陛下への裏切りではないか――と、声に出すことすら(はばか)られ、ハイマンは口をパクパクさせた。それにそもそも。「二〇年近くこの家にいて、書棚も書物も全て目を通したが、そんな図面など無かった」


「正確には二一年です。その間、将軍にはこの家と敷地内が世界の全てでした。それこそ、目隠しをしたまま歩き回れるほどに熟知しておられるはず。もし秘密を隠すならどこか……思い当たるのでは?」


 細い瞼の隙間から覗く鋭い視線に射抜かれて、沈黙が答えになってしまったとハイマンは悟った。そしてその瞳は紛れもなくあの男のもので、困惑する。


「こ、皇帝陛下は……死刑から私をお救いくださり……きょ、今日まで生きてこられたのは全てあの御方の……」


「いいえ、違います。レスターは貴方の覚悟を踏みにじり、あざ笑い、二一年も世界から切り離して、なぶりものにした。苦悩の果てに堕落して、尊厳を失っていく様を見て楽しんでいたのです。ご存知でしたか、いつも貴方がいたそのテラスは望遠鏡を使えば城から見えるのですよ。統一テストリア王国は貴方の生存を知らない。アルガン帝国には死刑宣告の記録こそあれ、執行されないまま忘れ去られている。それは意図的にです。あなたの二一年はただ、彼の個人的な愉悦のために消耗されたのです」


「お、お前は……誰なんだ。何が目的なんだ」


 西日が茜と影とに二分する室内で、交易商を名乗る男はゆっくりと立ち上がった。胸から上が闇に飲まれる。


「もう分かっておいでのはずです、将軍。そして、わたしの目的は今も変わっていません。貴族、平民の区別なく、民一人一人が自らの主として生きられる……そんな社会を作り出すこと。ええ、あなたがあの晩、ギャレット卿に伝えてくださったわたしの言葉が、ファランティア自由騎士団の理念の中に今も生きているのです」


 ハイマンが本当に聞きたいのはそんなことではなかった。


 本当の名前は。

 本当の年齢は。

 どこから来たのか。

 どうしてそんな夢物語を追い続けるのか。


 溢れ出た疑問で窒息しそうなハイマンをよそに、交易商を名乗る男はひょいと麦わら帽子を頭に乗せ、いつもと変わらぬ調子に戻って暇を告げた。


「それではハイマン将軍。本日はこのへんで。返事は明日、お聞かせください」


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