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竜去りし地の物語  作者: 権田 浩


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自由騎士 11

 今朝まで帝国兵が立てこもっていた馬宿の一階に、ブラン王以下、北方連合王国軍の面々が集まっていた。食事処、酒場、休憩所、待合所を兼ねる広い部屋にはまだ戦いの跡が生々しく残っている。階段の支柱には剣が食い込んだ真新しい切れ目があり、壁には矢が刺さったままで、床とカウンターには血が飛び散っていた。帝国兵の置き土産――私物か軍支給品かはわからない――も壁際に残されたままだが、死体はさすがに運び出されている。外では周囲の安全確保と昼食の準備が進められていて、馬のいななきやら、王国兵の行き交う足音やら呼び声やらが聞こえてくる。軍隊というものはまったく騒々しい。


 部屋の中央に高さの合わないテーブルを並べ、その上に地図を広げただけの間に合わせの軍議の場で、まずは戦士長ドレングリムが口火を切った。


「やはり先日の戦いで、帝国軍は大きく前線を南下させたようです。キングスバレー前面まで後退したかもしれません。この宿のように取り残された部隊が占拠、潜伏している場所はあるでしょうが、野営地を移動させてもよいでしょう……キングスバレー攻略に向けて」


 一同、静かにうなずいた。「よしっ」と小声で気合を入れたフロレンツを除いて。初戦(はついくさ)で折れた鼻に傷が残り、顎に小さな刀傷も増えて、すっかり一人前の戦士の顔になっている。お仕着せの鎧という雰囲気ももはや無い。


 ドレングリムは氷のように冷静なまま、すっと腕を伸ばして地図上を指差した。解いた長髪がさらさらと肩の上を流れる。


「ここが我々のいる馬宿です。ここと、この村との中間辺りがよいと思われます」


 指先は、ファランティア南部からドラゴンストーン手前の大交差路まで通じる〈黄金の道〉沿いにあるこの馬宿を指し、次いでその東二マイル(約三キロメートル弱)にある村、そしてその中間を指した。そこから南にあるキングスバレーまでは丘を挟んで三マイル(約五キロメートル)の距離。次に本営を移動させるとしたら、そこはもうキングスバレーの町になるだろう。


 上位王に異論はないようなので、ドレングリムは部屋の扉前で縮こまっているファランティア人を呼んだ。この馬宿で馬番をしていた男で、帝国兵が立てこもっていた間も下働きさせられていたらしい。他に料理人の女もいたが、そちらは話ができる精神状態にない。


「この村には何かありますか」


「えと、グレインウェルですか? 普通の農村で、特に何も……ご領主さまの粉ひき場があるくらいです。水車が三つ並んだ……」


「粉ひき場?」


「ええ、へぇ。帝国が来る前は、キングスバレーからこっちじゃ最初の公認粉屋なもんで、立ち寄る穀物商人は多かったですけど、持ち込みは順番待ちになるから、結局戻って来るお客さんも多かったですね……」


 話の途中で上位王とドレングリムは顔を見合わせた。


「すぐに部隊をやって粉屋と倉庫を確保させます」


「うむ」


 二人に視線を向けられ、この場にいるもう一人の戦士長、シグアドは心得たというふうに目でうなずいて、兵站の管理を任されているウルリクの肩に手を置いてから出て行った。食糧確保は現在、北方連合王国軍において最優先事項であった。そしてそれが、キングスバレー攻略を急ぐ理由でもある。南部の大穀倉地帯へ進出するためには〈黄金の道〉を封じているかの地を取り戻す必要がある。


 そんな短いやり取りの間にも、馬番は宿の主人とグレインウェルの粉屋が密かに共謀して客の足止めをしていたのではないかと聞かれてもいない告発をしはじめた。立てこもる帝国兵のために働いていたため罰せられるのではないか、減刑できるのではないか、そんなことを気にしているようだったが、それを問題視している人間はおそらくこの場にいない。


「よくわかりました」という言葉とともに冷たい視線をドレングリムから向けられて、馬番は慄き、頭を下げて後ろへ戻った。うっかり部屋の隅に寄り過ぎて、ひっ、と身を縮めて反対側へ避ける。まるで疫病の感染源でもあるかのようだが、そこには必死に書き取りをしているオークのブッグがいるだけだ。人間の服を着たこの小柄なオークは賢者――族長の相談役で部族の知識を伝承する役目、らしい――の弟子で、人間の言葉と文字を学びながら連絡係を務めている。この場にいる唯一のオークだが、彼らこそ、この食糧問題の根本的原因であった。


 オークには人間の道徳や慣習は通用しない。傭兵契約には規則順守も含まれているが、部族の価値観に従って行動し、処罰されるオークは毎日のようにいる。それでもほとんどのオークは存分に飲み、食い、仲間内で騒いで満足しているようにみえる。だがもし、大食漢の彼らを飢えさせたらどうなるか。街にいけば美味いものが山ほどある、と彼らの鼻は知っているのだ。


 来年までは待てない、次の秋までには南部へ――というのが、ウルリクの計算であり、現在の目標となっていた。


「正面突破でキングスバレーを攻略するなら、かなりの損害を覚悟しなければなりません」


 ドレングリムは地図上の〈竜割(ドラゴンディバイド)山〉を指した。伝説のとおり、一つの山を中心から真っ二つに割ったような形をしている。南北に抜ける谷そのものをキングスバレーと呼ぶこともあるし、その中にある町の場合もある。北方連合王国軍が北から攻めた場合、防御側は谷の入口から町に至るまでに幾重もの防衛線を張ることができる。


「まずは南部からの補給線を断ち、孤立させることが肝要です。ここに大昔の道があるとか……」


 〈竜割(ドラゴンディバイド)山〉の西側をなぞりつつ、ドレングリムは冷たい目でギャレットに発言を求めた。この戦士長は誰に対してもそうだ。空でも海でもなく、氷を思わせる薄い青色の瞳に炎が宿るのは戦場でのみ。


「古い地図にはあるんです。所々狭くはなりますが、行軍可能な状態でした。五人は並んで歩けます。山裾に沿って、こんな感じで蛇行していて、北側から進入するならこの辺り、南はこの辺に出ます」


 ギャレットは地図上で説明した。唐突に、フロレンツが誰の目にも明らかな指摘をする。


「ここに村の印がありますね」


「あ、あのぅ……それ、たぶんファーホロウの村ですね……」と、馬番が後ろからおそるおそる口を挟んだ。まだ役に立つことを証明したいらしい。「古い宿場で、馬宿もまだあったかもしんねぇすけど、帝国に逆らったとかで兵隊が派遣されたんですよ。けっこう前ですけど……」


「三年くらい前に」ギャレットが引き取る。「帝国軍に焼かれて住民はほとんど離散しました。自由騎士団にこの村の出身者がいます。先行して現状を確認します」


 ドレングリムが何か答えようとしたが、上位王が先んじた。


「そうしたいなら、そうしろ。おれは正面攻撃を指揮する。その間に村に拠点を構築しろ。フロレンツ、お前に任せる」


「は、はい! お任せください、上位王!」


「三〇〇人ほど連れていけ。兵站に関してはウルリクに、構築に必要な部材と大工の手配はオットーと相談しろ。自由騎士団の援護も期待していいか?」


「承知しました」と答えながら、ブランは意外とフロレンツに期待しているんだなとギャレットは思った。これは単なる拠点の構築ではない。敵側も当然この古道を知っているし、監視もされているはずだ。その北側に拠点を置けば、帝国軍は間違いなく南側から進軍してこれを奪取し、古道を封鎖しようとするだろう。逆に、王国軍はこの戦いに勝利すればキングスバレーの南へ抜ける迂回路を手に入れる。秋までにキングスバレー攻略なるかを左右する重要な作戦だ。


 ブランが自分を睨んでいるのに気付いて、ギャレットは思わず肩をすくめそうになった。なるほど上位王はおれに教育係をやらせるつもりか……いやそれだけじゃない、そうか――二人は視線だけで、かねてよりの懸念を共有した。ギャレットが理解したのを察して、ブランは重ねて言う。


「頼んだぞ、自由騎士団長どの」


 承知しましたと繰り返しながら、ギャレットの心は動揺していた。南部へ近付くほど高まる可能性――敵軍の中にファランティア人がいるかもしれない可能性――に、向き合わねばならない時が来たのかもしれなかった。


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