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竜去りし地の物語  作者: 権田 浩


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スパイク谷の女王 2

 やがて北方を分かつ大河も、ここでは夏空を映してさわさわと流れる青いさざめきでしかない。変化に乏しいスパイク谷もこの時期は緑に縁取られ、ぽつぽつと控えめに咲く小さな花々に飾られる。しかし、その流れに沿って道をやってくる五つの騎影はまるで冬のように暗く、落ち込み、荒れ果てていた。道端で咲く花も、踊る蝶たちも、彼らに色を与えることはできなかった。


 そこはエイクリムに至る唯一の道で、谷間のわずかな土地に住む人々が通用する側道や支道はあっても結局はここに合流する。追手を気にして側道や林に身を潜めながら進むよりも、ここまで来たなら一刻も早くエイクリムへ、と直進してくるであろう、というマグナルの予想は正しかった。


 ゆえにロジウは彼らを呼び止めることができたのだが、猜疑心と殺気に満ちた目を向けられて思わず(おのの)く。皆一様の有様だったので、その中の誰がヒルダ女王なのかも判別できない。


 ……誰だ。上位王の手の者か。いや異民族だ、北方人ではない。ならば敵ではないだろう。いや上位王はオークとでさえ通じていたのだぞ……。


「マ、マグナルどのから、ヒルダ女王へ、伝言あります」


 五人の囁きはその一言でピタリと止んだ。マグナルという名が彼らの中にほっとしたような、春めいた空気を芽吹かせた。一騎が進み出る。黒く汚れた一本編みの金髪が肩から垂れ、兜の目出し穴の奥にはくすんだ青い瞳が沈んでいる。


「聞こうか」


 ロジウが口を開こうとすると、「いや待て。そこの林の中へ」と制した。一行は道を外れて段差を上がり、黒い幹の乱立する林の中へと進んだ。蹄に踏みしだかれた下草が鮮やかな夏の香りを立ち昇らせ、五人にここがスパイク谷で、今が夏だったことをすっかり思い出させた。木々の間で馬を降り、兜を脱いだヒルダは顔を拭ったが、汗の筋は茶色く残ったままだった。


「確か、ロジウどのだったな。コー族の族長の」


 ロジウが胸に拳を当てて北方式の礼をしたので、彼女はそこにマグナルの影をみる。コー族のことは何もかも押し付けてしまったなと、礼の一つも言ってやらねばと思っていた。


「はい。エイクリムのこと、マグナルどのの伝言、話します」


 ロジウはエイクリムでの出来事を話した。ある者は木に背を預け、ある者は地べたに座り、口を挟む者はなかった。皆、そうなるだろうという覚悟はあったのだ。もちろんヒルダも同じく、より決意を固めただけだった。生き残った民を率い、オークと上位王を相手に最後の戦いをはじめる。皆とともに〈大地の館〉へ向かうのだ。


 そしてロジウは一語一句を慎重に、マグナルの伝言を話し始めた。


 〝ヒルダ、我が女王、我が王の宝よ。そしておそらくはスパイク谷最後の王者よ。どうかこのマグナルの最後の頼みを聞いておくれ。我が生涯の主にして親友、スヴェン王が戦場で果てた時、ともに〈大地の館〉へ赴かなかったこと、わしは悔いた。だが王位を継いだそなたの姿を見た時、玉座のそなたを支えている間、〈大地の館〉へ行かずに良かったと心から思うた。我が王は王ゆえに〈大地の館〉へゆかねばならなかったが、逝くべきではなかったのだ。世界とは、未来とは、命そのものだ。〈大地の館〉には過去しかない。民をそこへ連れて行ってはならぬ。最後の王は未来を選ばねばならぬ。谷に戻れば皆お前に従ってしまうだろう。だからヒルダよ、谷へ戻らないでくれ。スパイク谷の王たる者として相応しい選択を()()()()()()


「ばかなっ!」ヒルダは手元の草を引きちぎって立ち上がり、それを投げ捨てた。緑の破片がぱらぱらと舞い散る。「貴様、言葉を間違えているのではないか!」


「間違えません」今度ばかりはロジウも、ヒルダに睨まれたとて(おのの)きはせず、真剣な眼差しで向き合った。「マグナルどの、最後と言いました。最後の言葉、とてもとても大切。間違えません」


 彼の真摯な黒い瞳だけでなく、マグナルならそう言うかもしれないという思いがヒルダを動揺させた。これが最後の戦いで、栄光への道と信じてここまで戻って来た。王を谷へ帰すためだけに命を散らした戦士たちの想いはどうなる。


 目を反らし、肩をわなわなと震わせるヒルダに、ロジウは静かに語る。


「〈大地の館〉は〈ロンゴの島〉と同じ、死者の世界でしょう? マグナルどの未来を選べ言いました。わたしも未来を選んで、ここにいます。まだ迷いあったとき、竜騎士さまは言いました。ずっと先のこと、未来のこと、勝手に決めてしまう、傲慢だと。未来のことは、未来の人たちに決めさせてあげて、ヒルダ女王」


 ヒルダはふっと顔を上げた。「竜騎士……だって?」


「ランスベルさまです」


 ランスベル!


 その薄れゆく姿が唐突にはっきりと、脳裏に閃いた。


 どうして忘れようとしていたのか。今ありありと思い出す。亜麻色の髪をした少年の面影を残す顔が、まるで疲れた果てた大人のような、困ったような笑みを浮かべている。彼には全く似合わない甲冑を着て、恐るべき片手半剣を背に。いや、本当に背負っていたのは剣ではなく使命だった。彼は過去に命を捧げていた。最初から未来を選んでいなかった。だから最後の瞬間に迷わぬようにと、その時が来たら、恐れを知らぬ戦士のようにあれと忠告した。


 でも……でも、本当は、恐れてほしかった。使命を捨ててほしかった。やっぱりぼくには無理だったとか言いながら逃げ帰ってきてほしかった。未来を選んでほしかった……。


「そうか……あんた、あいつに会ったんだな」塵芥で汚れた頬を美しい涙がついと流れる。


「はい。わたしたちの未来のためドワーフ説得してくれました。たぶん、竜騎士さまは帰って来れないと知っていたから」


「ああ、間違いなく、あいつは自分が帰って来れないと知っていたさ。でも、あたしは……」


 ヒルダは目を閉じ、ぐっと拳を握りしめた。歴代の王たちが受け継いできたものを、彼らの想いを葬り去るのはとてつもない裏切り行為だ。もう〈大地の館〉には行けない。先祖に、勇者たちに、偉大な父に、合わせる顔がない。マグナルにも会えない。それはとても恐ろしいことだ。世界から切り離されて孤独に消えていくということだ。


 震える肩に、そっとロジウの手が置かれた。その優しさにヒルダはランスベルを重ねた。


「ああ、わかったよ……我が代理戦士の最後の忠告だ。わたしは未来を選ぼう」


 それまで黙っていた戦士たちが一斉に顔色を変えた。不穏な気配を身にまとい、戦士長レイフが歩み出る。


「本気か? 我が女王よ。これまで敵に背を向けるという不名誉に耐え忍んでこられたのは、王を守るという名誉がそれに勝るからだ。それが、その王が、降伏を選ぶというのか? 今まで死んでいった戦士たちの命を無駄にするのか?」


 怒りに震える男を前にして、ヒルダはロジウを庇って下がらせる。


「すまなかった。許してくれとは言わぬ。だが、最後に王としてお前たちに命じたい。家族のもとに戻り、未来を守れ。もうわたしのことは捨て置いていい」


 すっ、と静かに殺気が定まった。レイフはすらりと剣を抜く。「もはやあんたを王とは思わん。いまここで、あんたの王位はおれがもらう。スパイク谷はまだ負けていない」


 汝欲するならば勝ち取れ。レイフは正しく北方の戦士だった。烈火の気合とともに振り下ろされた一太刀は必殺の一撃だったが、ヒルダは半身を引くだけで(かわ)した。振り下ろされた刃が斬り上げられる前の一瞬、下への力と上への力が均衡する瞬間に、ぶ厚いブーツの底で剣を押さえる。右手にはすでにメイスがあり、レイフが反応する前に頭蓋を打ち砕くこともできたが、ヒルダは相手が気付いて目を丸くするのを待った。それから、刃へメイスを振り下ろす。鋼を打つ激しい音が響き、剣はへし折れた。


「残念だが王位はやれぬ。これを葬るのはわたしの役目だ。もう一度命じるぞ、家族のもとに戻り、未来を守れ」


 メイスの先端を突き付けるヒルダを前に、戦士たちはしばし抵抗するかに見えたが、一人また一人と後退り、身構えを解いた。ヒルダとロジウは木立を後にした。


 半日とかからぬエイクリムまでの短い旅の間、ヒルダはランスベルの話をし、それから話題は自然とマグナルへ移った。二人に共通するものといえばそれくらいしかなかったからだが、ヒルダは何とも心穏やかになるのを感じた。そして胸の奥からじんわりと勇気が湧いてきた。


 エイクリムへの接近は慎重でなければならなかった。森の中の獣道を進み、ばったり地元の人間と会うこともなく、山道の端、エイクリムの町を見下ろす崖の上に到達した。ロジウを木立に残し、ヒルダは彼女の世界の全てだった谷底の町を見下ろした。家も民も無傷だ。そこにオークどもの蠢く影を見ても、ぐっと拳を握って耐え、そして全身全霊で声を響かせる。


「スパイク谷の誇り高き民よ、聞け!」


 わんわんと声が木霊して、何事かと人々は外に飛び出し、崖を見上げた。そこに女王の姿をみとめた者は指差し、胸に拳を当てる。右往左往しているのは上位王の兵のみ。オークたちでさえヒルダを見上げる。


「今この時をもってわたしは王位から退き、王権を上位王に譲位する。臆病者の誹りは受けよう。〈大地の館〉への栄光の旅路を共に歩めぬことを許せとは言わぬ。だが、最後に聞いてくれるのなら……お願いだ、未来を選んでくれ。男たちは家族を守り、女たちは子を守り、子らは友を守れ。命を繋ぎ、未来に託すのだ。いつか〈大地の館〉で古の勇者とまみえた時、人生の苦しみに耐え、厳しさと戦い、命を全うしたと胸を張って言えるように。それもまた勇気ある者、勇者の在り方なのだとわたしは信じる!」


 信じる、信じる、信じる……最後の女王の声が谷間に反響する中、エイクリムの人々はただ立ち尽くしていた。是とも非とも、答えはない。


「……そしてもし許されるなら、いつかここに帰ってきたい……」


 最後のその言葉は、ロジウにしか届かなかったろう。エイクリムに背を向け、木立に戻ったとき、彼は言った。


「もし許されなくても、わたしはここであなたを待っています」


 疲れ果てた微笑みを残してヒルダは独り、木立の合間に消えていった。


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