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竜去りし地の物語  作者: 権田 浩


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スパイク谷の老戦士 3

 続いて、敵の接近を告げる二度目の角笛。全員が広間の窓に駆け寄り、菱形に切り取られた外を見る。ここからでは角度的に南の道しか見えないが異常はない。それもそのはず、この地で敵と呼べるのはオークしかおらず、オークならば〈黒の門〉から、すなわち東の山道から来るはずだ。


 騒ぎ始めた人々を置いてマグナルは広間の奥から廊下に出て、自室に入り、そこで三度目の角笛を聞いた。どすどすと横切って窓を開き、身を乗り出す。かろうじて見える東の山道に、下って来る軍勢の姿があった。一人一人は視認できない。この距離ではオークと人間の区別はつかない。しかしオーク以外にありえない。


 〈黒の門〉の歩哨は何故オークの侵攻を報せなかった?

 〈黒の門〉を守る上位王の軍は破れたのか?


 眼下の町では人々が動き始めている。中央に戦士たちが集まっているのが見えた。いや違う、あんな数の戦士は町にいない。では上位王の軍か。なぜ〈黒の門〉ではなく町にいる。角笛の意味は知っているはずなのに、迎え撃とうという動きもない。それどころか、民を威圧しているように見える!


 広間で騒ぎがあり、マグナルは息を弾ませて駆け戻った。事情を知っているだろう戦士長のヘルギが来ており、両手を広げて大声を張り上げたところだった。


「全員落ち着け! 何も問題はない! これはすべて上位王の命による、計画的な行動である!」


「ばかを言え、大問題だろうが!」マグナルが谷の人々の思いを代弁するかのように怒鳴り返す。「オークが人間世界に侵入しているのだぞ。ここで食い止めなくてどうする。それこそが古来よりの我らの役目だ」


「あのオークどもは正式に、我らが上位王と傭兵契約を結んだ部族の連中だ。手を出すことはまかりならん。エイクリムにて食糧その他を提供し、英気を養ってもらう。それから南へ送り出す。それだけだ。町の連中を落ち着かせろ、代理戦士」


「それだけだ? 何を言っとる? 頭がおかしくなったのか? やつらを迎え入れ、もてなせと!?」


「それが上位王の命令だ。下の連中が抵抗して流血騒ぎになればオークどもが興奮するかもしれん。そうなればどうなる? 言っておくが、我らはオークどもを南へ送り届けるのが任務だ。この町がどうなっても構いやしない。やつらの好きにさせるぞ」


「こっ、ここっ」頭が爆発しそうになり、言葉が出てこない。「こんなこと、我が女王がお認めになるものか!」


「ああ、そのとおり。あの女(ヒルダ)は上位王の命令に背いて謀反人となった。もうどこぞで討たれたろうよ。お前らはどうだ? ああ?」


 マグナルは巨体をいからせてヘルギに詰め寄り、左頬に拳をめり込ませた。老いたりとはいえ、自分より大きい相手からの一撃にヘルギは大きく態勢を横に崩したが、踏みとどまった。ぺっ、と血を吐き出す。


「やっちまったな、でぶの老いぼれめ。謀反人は処刑していいんだとよ」


 ヘルギが剣の柄を握り、抜き放とうとする直前に、ハルヴァルがその腕に組みついた。ほぼ同時にエイリクも飛びついて戦士長の動きを封じる。


「なにをこの……じじい!」


「マグナル!」


 二人の声に応えて、マグナルは振りかぶった拳をヘルギの顔面に叩き込んだ。二発、三発、四発……殴打のたびに血が飛び散る。ついには息を切らせ、最後に一発。


「ヒルダ女王陛下と言え、このやろう!」


 マグナルの拳が顔面にめり込み、ヘルギはぐったりして床にのびた。


 それを見て広間の人々も覚悟を決めたらしい。武器庫を開け。敵は上位王の軍とオークだ。谷中に報せろ。一人でも多く道連れにして〈大地の館〉に行ってやるぜ。そう口々に、動き出す。


 それはスパイク谷最後の日の幕開けであった。少なくとも、彼らはそう思っていた。だが、血塗れの両拳を呆然と見ていたマグナルは違った。顔を上げ、腹を膨らませて声を張り上げる。


「武器は取るな! 全員、町へ下りて伝えろ! 抵抗せず、上位王に従えと!」


 唖然とする人々。一瞬の沈黙。だが一度起こった波はそう簡単に静まりはしない。支離滅裂だ、マグナルは混乱している、戦う以外に我らの誇りを守る道はないぞ。人々は再び動き出そうとする。


 マグナルは雷鳴のごとく大声を轟かせた。


「玉座を見よ! そこにおわすべき我らが女王はどこにいる! 我らはその留守を預かったのではないか。我らが女王の帰る場所を守るのが務めではないのか。お役目を放棄して〈大地の館〉へなんぞ行けるものか。民の死に絶えた谷で死霊(ドレングル)と成り果て、我らが女王を迎えるつもりか。今こそ、代理戦士たるこのわしが命じる。勝手に死ぬな。生きて女王の帰還を待つのだ」


 人々は口を引き結び、険しい表情で立ち尽くした。代理戦士の命ならば従わざるを得ないが、納得できない、そんな態度だ。マグナルは胸を張り、挑戦権を行使するなら受けて立ってやるぞと言わんばかりに向き合う。


「……行こう、みんな」


 エイリクが静かに退室を促し、ハルヴァルも同調する。


「代理戦士の言葉は、我らが女王の言葉。従うしかない。それがどんなに屈辱的でも」


 人々はうつむき、二人の老人に背を押されるようにして広間からぞろぞろと出て行った。彼らに続こうとするロジウの腕をマグナルは黙って掴み、賢明な若者は何も言わずに立ち止まる。やがて、騒々しかった広間も静まり返り、窓から吹き込む春のやわらかな風に壁掛けの織物がパタパタと揺れる音さえ聞こえるほどになってから、マグナルは口を開いた。


「ロジウ、おぬしは谷の人間ではないが、頼みを聞いてもらえまいか。おそらくヒルダ女王はこちらに向かっている。谷のどこかで我が女王を捕まえてくれ。伝えてもらいたいことがあるのだ」


「しかし、わたしはコー族の長です。民を置いて、いけない」


「むろんだ。おぬしはこっそりと出て、こっそりと戻ればよい。いずれにせよエイクリムの街中を抜けて居留地まで行くのは難しいぞ。途中で止められるに決まっとる。この館には裏口がある。そこからまず居留地へ行き、民に事情を説明するのだ。それからでいい……頼む」


 マグナルは若者の両肩に手を置き、その瞳をのぞきこんだ。青みがかった黒い瞳は何を考えているのか掴みにくい。


「そうですね……知られても、わたしは谷の人間ちがいます。命令に従う、理由ない、言えます」


「お、おお! そうだ、そのとおりだ!」


 マグナルが感心してうなずいていると、二つの足音が戻って来た。広間の入口に剣を手にしたハルヴァルとエイリクが姿をみせる。なぜ戻って来た、と問われる前にハルヴァルが答える。


「途中で引き返してきた、マグナル、オークどもの先陣が町に入ったぞ。こいつが戻らんと、連中ここまで上がってくるかもしれん」と床にのびたヘルギを鞘で示す。エイリクも手にした剣を持ち上げてみせた。「なんにせよ時間稼ぎは必要と思いましてな」


「おぬしら……」


「どのみち、こいつが目を覚ませばわしらも謀反人だ」ハルヴァルはニヤリとしてみせる。


「……すまぬ。あとは頼む。ロジウ、来てくれ」


 若者を連れて、巨漢の老戦士は奥の廊下に向かった。それを見送ってから、二人の老人は顔を見合わせる。睨み合ったのは一瞬で、すぐに表情は和らいだ。エイリクなどは思わず笑顔になってしまったほどだった。


「いやまったく、最後に肩を並べて戦うのがハルヴァル、お前さんとは」


「うむ。だが案外と悪くない相棒かもしれんぞ。お互い息子には苦労させられておるし」


 ひひっ、と二人は肩を揺すって笑った。


「だがまぁ、あとのことは……その息子たちに任せるとしよう」


「うむ。きっと上手くやってくれるだろう」


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