元将軍と交易商 6
「突破力に優れた北方兵を前衛にして、楔隊形で敵本体を突破、分断する……」
呆けたように呟いたハイマンに、モロウも〝おや?〟という顔をした。ハイマンの心は一時過去に飛び、それがもはや触れ得ぬ記憶でしかないと確認して、戻って来た。
「いや、何でもない……」潤んだ瞳を拭う。「それにしても紫竜門の戦いは劇的であったな。救都の自由騎士団に対して内側から民が門を開く……まさに英雄物語だ」
「そうですね。ブラン上位王もそう思わせることが狙いだったのでしょう。民が英雄を迎え入れた。上位王はその支援者であり、すべては正義のためだった、という印象が強く残ります」
「ブランには民がそうする確信があったと? いくらなんでもそれは買い被りではないか……」
交易商は卵のような頭をゆっくり左右に振った。「ドラゴンストーンは完全封鎖されていたわけではないのです。出るのはほぼ不可能でしたが、検問を抜ければ入ることは可能でした。つまり――」
「それ以前から、ブランの手の者が王都に潜入していた?」
「ええ、おそらく〈王都の戦い〉の直後から動いていたと思われます。停戦について話し合いながら、ドラゴンストーン攻略を見据えていたわけですね。潜伏は命がけで、捕らえられた者もいましたが、その時は義勇団の人間だと白状するよう指示されていたようです。それは鉄串隊の成果となり、状況を悪化させ、上位王の行動をより正当化する。いずれにせよ無駄にはなりません」
ハイマンは顔を真っ赤に染めて肩を震わせた。用意された英雄物語に興奮した自分を恥じたためでもあるが、人心を操り、他者の命をそのように扱うブランへの怒りのためであった。その者らはきっと自ら志願したのであろう。王都の民のため、ファランティアの未来のため、あるいは上位王のためと信じて。
「残念ながら、すべてはもう一九年前に終わっていることです、将軍」
――気遣っているのか?
いや、まさか――ハイマンは長い溜息を吐いた。
「……わかっている。だが、そんなブランでも失策はするようだな」
「失策、ですか?」
「ヒルダ女王という稀有な味方と、スパイク谷の支持を失ったではないか」
「なるほど。しかし兵力の確保と同時にヒルダ女王の排除を狙った計画だったというのが通説です。事実、その後のブラン上位王の動きにはまったく迷いがありませんから。三日後にはドラゴンストーンを進発し、西部へと軍を進めます。もともとファランティア義勇団ひいては自由騎士団の支持者が多い土地ですから、内部から呼応する動きもあって三週間後にはプレストンを奪還します。その間にもオーク傭兵は続々とドラゴンストーンに到着、逐次、東部街道を攻めさせています。執政官どのが建設させた軍宿舎がそのままオーク傭兵の居留地に使われたのは皮肉ですね。帝国軍のファランティア東部方面軍は防衛線を維持していましたが、次から次へと現れるオーク傭兵の波状攻撃に対して徐々に疲弊していきます」
「東部にはホワイトハーバーがある。海路で補給も受けられたはずだが」
「そうはいっても彼らにとっては遠い異国の地ですからね。本土からの補給は船で二〇日から三〇日かかる。テッサニアからでも一〇日です」
「ふむ……いやまて。それでは王都がほぼ無防備ではないか。連合王国軍本隊は西部にあり、オーク傭兵は東部にいたのだよな? キングスバレーからドラゴンストーンまでの道を阻むものは何もない。帝国軍は何をしていたのだ?」
「ハイマン将軍には思う所もおありかもしれませんが……その頃、ドラゴンストーンに執着していたのは北部総督のバルトルト公くらいだったのですよ。ドラゴンストーンは軍事的に脆弱です。奪還に動けば挟撃されるか、分断されるおそれがあった。ならば西部や東部に援軍を送って連合王国軍の後方を攪乱しつつ、キングスバレーでの決戦に備えたほうが理に適っています。事実、帝国軍はそうしました」
バルトルト・ターンベルクか、とハイマンは記憶を探った。非常に古風な、まるで先祖返りしたような男だった。酒の席でのことではあるが、何百年も前の先祖の言葉――ターンベルクは玉座につく権利がある――を本気で語っていたのを覚えている。最終的に、無用となった玉座を払い下げてもらったわけだ。しかし、それはそれで本懐を遂げたといえるかもしれない。己とは違って――ハイマンは自虐的に苦笑した。
「確かに、ヒルダ女王とスパイク谷の離反はなんら影響していないように聞こえるな。女王陛下のその後については?」
「女王陛下の行先は一つしかありません。ブラン上位王の追跡部隊を振り切ってスパイク谷へたどり着いた時には、五〇人いた戦士もわずか五人。敵から逃げるという屈辱と追跡者との戦いは心身ともに疲弊させ、まるで別人のような有様であったと言われております。しかしそうまでしてでも、王たる者ならば戻らねばならぬと信じておられたのでしょう。しかしスパイク谷はすでに……」




