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竜去りし地の物語  作者: 権田 浩


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ドラゴンストーン攻略戦 9

 レッドドラゴン城の中郭に仮設された天幕に、自由騎士団の旗がひるがえっている。今日もまた入団希望者が集まっているのを、ブランは大塔三階の部屋の小窓から見下ろしていた。城下から吹き寄せる春のうららかな風にはまだ乾いた血のにおいも混じっている。


 もともと物置だったその部屋は狭く、円卓と椅子だけでほとんど埋まっている。王の居城に会議室はあるが、中庭の花々しか見えないそちらよりも城門と街が覗けるこちらのほうをブランは好んだ。扉の右側に立つ戦士長トーレンの獣じみた体臭がこもりつつあり、左側のシグアドは壁を背にして腕を組んでいる。颯爽とした足音が階段を上がってきて、部屋の外で止まった。


「わたしだ」


 ヒルダの声に反応して扉を開けたシグアドは、戸口に現れたスパイク谷の女王がまるで光を放っているかのように目を細めた。若さに輝く金髪と蒼天の瞳。チュニックにズボン、腰にメイス、肩には王のマントといういでたちは、その長身もあって彼女の父、まだ病を得る前のスヴェン王に似た風格をまといつつある。先の戦での電撃的な活躍もうなずけるというもの。


 彼女は室内に足を踏み入れるのを一瞬ためらったように見えた。トーレンの獣じみた体臭のためか。いや、きっと何かに勘付いたのだ――ブランの心は相反する二つの感情にうずいた。しかしそれを分析するほど暇ではない。全てはこれから始まるというこの時に。


「呼び立てしてすまん。だがこれからの戦いについて、まずはお前に、どうしても話しておかなきゃならんことがある。お前にとっちゃ面白くない話だが……」


 ブランは窓際から肩を離し、大きな手を腰に吊るした剣の柄頭に置いた。両足の間隔、それに背後で閉まった扉の両脇に立つ戦士長二人の位置取りに対し、ヒルダは自分の間合いで立ち止まった。さすがだ。ブランは気分が高揚するのを感じた。ここにいるのはかつて戦場で取っ組み合いをした小娘ではない。


「このまま聞く。上位王」


「ヒルダ、おれは命あるかぎり二度と戦いを途中で止めない。まずはファランティア、その次はテッサニアだ。帝国軍を追い出してこの大陸を手に入れたら、海を越えてエルシア大陸に攻め込む。あのサイラスが作った国と戦うんだ」


「サイラス? アルガン帝国の初代皇帝はレスターだろう?」


「ああ……なぁ、そんなことより想像してみろ。大陸の全てを手に入れて、その力を思う存分使えるようになった自分を。何万人という戦士が命を燃やして戦うさまを。そんな戦を神に捧げた王が今までいたか? 二度と現れるか?」ブランは身を乗り出してテーブルにドンと手を付いた。「胸がアツくなるだろう? ワクワクするよな?」


「実現すれば、唯一無二の王といえるだろうな……」などと言いながらも、ヒルダはほとんど共感していないようだった。その態度に冷や水をかけられた気分になり、苛立つ。だが、ブランは自分を抑えた。


「そのためには勝ち続けなきゃならない。だが帝国はおれの十年先を行っている。本国にはまだ兵士が何万人もいて、海を渡ってくることも考えれば、今の戦力で勝つのは難しい。ファランティア人は、おれたち北方人のような戦士じゃないからな」


「それで、傭兵団とやらを使うんだな」


「そうだ。だが海の向こうから連中を呼ぶには、金と手間と時間がかかりすぎる。おれたちには今すぐ戦場に投入できる、死を恐れぬ兵士が必要だ」


「まさか、テッサニアにいる傭兵団を裏切らせるのか?」


「いいや。それこそ余分に金と手間と時間がかかるだろう。連中は大陸の南端にいて、帝国に怪しまれないよう交渉するのも動かすのも至難だ。だから……ヒルダ、これはお前には気に入らない話だとわかっちゃいるが、飲み込んでもらいたい。おれと共にこの道を歩める者がいるとしたらお前しかいないと思っている。いいか、王たる者として、冷静に聞いてくれ」


 ブランはヒルダの青い瞳をじっと見つめて、これは冗談でもないし、相談でもないというように、力強くはっきりと言った。


「オークどもを傭兵として雇う。もう話はついている。すでにこちらへ向かう手筈は整っている」


「な……ふっ、ふざけるな!」


 ヒルダは円卓を力任せに叩いた。カシ材の天板が軋みをあげ、その上で二人の王の視線が火花を散らす。


「オークはわたしたちの、いや人間の敵だぞ! やつらの侵入を防ぎ、人間世界を守るための戦いこそ我らが聖戦。スパイク谷の戦士の誇りであり、使命であり、全てだ! 歴代の王と戦士たちが命と血で守り抜いてきたんだ! それをキサマは……」


「冷静に聞けと言った、ヒルダ! ちっぽけな谷の常識だの古くさい伝統だのに縛られるな。女王として、王たる者として、先を見据えた正しい判断をしろ。これからもっともっと大きな戦場が待っている。スパイク谷の戦士たちには先人以上の栄誉を与えてやれる。ただオークどもを通過させるだけでいいんだ。それは戦いに敗れたとは言わん。いや、おれが言わせん」


「小賢しいことをぬかすな! 王たる者としての正しい判断とやらは決まっている。スパイク谷の王として、断じて許せん!」


 ついにヒルダの怒りが爆発し、両の(まなこ)からほど走ったのを、部屋にいる誰もが感じ取った。二人の王は同時に円卓から両手を離し、二人の戦士長は武器に手を伸ばして身構える。


 白い頬を紅潮させ、全身に気迫を(みなぎ)らせたヒルダを前にして、ブランははっきりと自覚した――ヒルダは振り向きざまの一撃でシグアドの横面を砕き、飛びかかってきたトーレンをくるりと回転して(かわ)し、後頭部にメイスをめり込ませる。鮮やかな手並みに惚れ惚れと魅入られていたブランはやっと剣を抜き、血の尾を引いたメイスを手にしたヒルダと向き合う。そして二人は本当の死闘を繰り広げるのだ――戦慄に心が躍る。


「武器を手にすれば、ここで殺りあうことになりますぞ」


 シグアドの余計な一言で、ヒルダの気迫に迷いが生じた。瞳が揺れ、まつげの先が震える。やがて彼女は、ゆっくりとメイスから手を離した。室内を支配した緊張は、スパイク谷の女王が背を向けたことで白けてしまった。


「待て」出ていこうとするヒルダをブランが呼び止める。「この部屋を出れば反逆と見做す。お前だけじゃなく、お前の兵も、民もだ。それがどういうことか考えるまでもないだろう。最後にもう一度いうぞ。ここに残り、おれと共に歩め。王たる者として正しい判断をしろ」


 それでもヒルダは最後の一瞥をくれ、編んだ髪をぴしゃりと振って部屋を出て行った。潤んだ瞳の印象だけを残して。


「上位王……」命拾いしたと知ってか知らでか、トーレンが指示を仰ぐ。


「出ていくに任せろ。ファランティアにいる間は手出しせず、追跡だけだ。剣の峠を越えた後は好きにしていい」


 トーレンはニヤリとして毛皮を頭まで被り、部屋から出て行った。シグアドもスパイク谷にいる従弟のヘルギへ伝書を飛ばすべく続く。一人残ったブランは小窓からヒルダが出ていくのを見送るや否や、力いっぱい石壁を殴りつけた。ずしん、という響きとともに、パラパラと埃が天井から落ちる。


 ヒルダはブランを戦慄させるほどの戦士へと成長した。将としての能力も証明した。王としての格も身に着けつつあった。将来の脅威になりえた。だから、これでいい。だがもし自分なら、この場は従っておき、機を待って自分の得意な戦場へ誘い込むための策を考えたことだろう。


 なぜそれができないのか。


 なぜこうも簡単なのか。


 そしてなぜおれは――こんな気持ちになるのだ?


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