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竜去りし地の物語  作者: 権田 浩


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ドラゴンストーン攻略戦 7

 針を投げる瞬間までヒルダにさえ気配を感じさせなかった黒いドレスの女に、スパイク谷の女王は無造作に近づいてメイスを左から右へと振りぬいた。何気ない単純な一振りではあったものの、完璧な間合いと神速のそれを見切れる人間はほとんどいない。しかし黒いドレスの女は避けた。女の頭があった位置の壁にメイスの先端が深い傷を残す。


 もし前屈みに頭を下げて回避していたなら、続くヒルダの蹴りが顔面を潰していただろうが、女の頭はその逆へ、天井を見上げるように上体を仰け反らせてメイスを避けつつ、しなやかな足を垂直に蹴り上げてヒルダの顎を狙った。今度はヒルダが稲妻のような反応速度で踏みとどまり、顔を仰け反らせる番だった。眼前を過ぎる足の親指にきらりと光るリングにはカミソリのような小さな刃が付いている。鼻先に残る嫌な臭いが、女は毒使いだと教えている。


 太ももの上まで大胆に切り込みの入った黒いドレスをふわりと浮かせながら後方倒立回転で距離を取り、舞踏のようにつま先立ちで一回転。瞬き一つで見逃してしまう刹那のきらめき。ヒルダはメイスを振り上げてその投擲物を弾く。手のひらに隠れるほどの小型ナイフで、正確に右目と喉を狙っていた。


「おもしろい……!」


 残忍な笑みを浮かべ、ヒルダは大股で距離を詰めるも、まるで空中を舞う薄布を相手にしているかのように手ごたえがない。攻撃がひらりひらりと(かわ)される。しかし隙を突いて放たれる女の奇妙な武器――鋼の長針や小型ナイフ――も彼女には届かない。互いに一撃で決まってしまう死の舞踏を繰り広げながらも、ヒルダは頑固に、愚直に、メイスを振り続けた。黒いドレスは端から引き裂かれていき、ついに滑らかな素肌が覗く。女は大広間の隅に追い込まれつつあった。ヒルダには勝利までの手数がはっきりと見えている。


「なにやってる、アマンダ! ぼくを助けろ!」


 突如、大広間に響いたその声に、黒いドレスの女は弾かれたように反応した。全身をくの字に曲げて両手の長針を投擲する。その動きは完全にヒルダを無視していて、まったくの予想外ではあったものの、まったくの無防備でもあった。そして、それを見逃してやるほどヒルダは甘くない。


 横殴りに振りぬいたメイスが女の胴体を捉え、皮膚を裂き、筋肉を断って、骨を砕く。その一撃は内臓にまで達した。女の身体は玩具のように、ぽーんと宙を飛んで床に落ち、血の跡を引く。


 ヒルダはちらりと背後の様子を確認してから、女の傍らに立った。悲惨な傷を覆う黒いドレスがみるみる血を吸って、女の身体に張り付いていく。整った顔立ち。この期に及んでも冷静にみえる表情。鼻から下は吐血に覆われ、光を失いつつある緑色の瞳が女王を見上げている。


「アマンダ……ということは、あんたが補佐官ってやつだったか。ああ、あんたは確かに、やつを救ったよ」


 その言葉が届いたかどうか。ふっ、ふっ、ふー……と、末期の吐息をもらしてアマンダは絶命した。まぶたを閉ざしてやり、ヒルダは振り向く。真っ青な顔をしてぐらぐら揺れているギャレットの数歩前で、ヴィジリオは倒れていた。両目から長針を生やして。


「生きていれば、死ぬより辛い目に遭っただろうからな」


 外から勝利に沸く市民たちの声が近づいてくる。執政官の鮮血に満ちた眼窩から、涙のようについと一筋が零れ落ちて、胸元に飾られたクロッカスの花を血で染めていった。やがて血に塗れた花は床に落ち、行き交う人々に踏みにじられたが、その意味を知る者も、それを悲しむ者も、もはや一人もいなかった。


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