ドラゴンストーン攻略戦 4
入り混じった体液が黒い腐汁となって石畳の隙間を流れて固まり、道路はまるで黒い血管に覆われているようだった。両側に立ち並ぶ串刺しの列。生きた人間が放つことは決してない死臭に満ち、黒々と、ねじくれて、苦悶以外の何ものも表現していない、かつて人だったもの。
数人が一斉に嘔吐し、それが連鎖する。
紫竜門から王都内に進入したファランティア自由騎士団は、外環状道路を進んですぐに〝それ〟と遭遇した。自分たちと同じ人間だったもののなれの果てが発する全てに圧倒され、ここが戦場であることさえ心に隅に押しやられてしまう。その光景はまさに魔都。不動を自らに課しているマリオンでさえ口元を押さえて顔を背けるほどだった。
ギャレットは振り返り、拒絶反応を起こしている団員たちから目線を上げて後方にいる市民たちを見た。全員がただ、青白い顔をして無表情に立ち尽くしている。地獄の中で感情を失った人々の顔。そんなものはもう見なくていいはずだったのに――。
「ファランティア自由騎士団! 顔を上げろ、全員よく聞け!」
腐臭を嫌がって鼻面を振る馬を御しながら、ギャレットは一喝する。踏み鳴らす蹄の音が静まり返った兵士たちの間に響く。
〝恐怖は感じていい、だが、決して屈するな。もし屈しそうになったら――〟
「怒れ! お前たちは何をしにここへ来た。こんな惨状をお前たちの故郷に持ち込ませないためだろう。友人、知人、家族、愛する者たちが、未来永劫こんなものとは無縁でいられるようにするためだろう。怒りの炎で恐怖を喰らい尽くせ。こんなことをするやつらを許すな。全員怒りの声を上げろ。やつらに報いを受けさせてやる! いくぞ!」
ギャレットは「ウオォォーー!」と雄叫びを上げた。何人かが武器を上げ、弱弱しく応じる。
「そんなものか!? こんなことをしたやつらを許すのか!? もう一度!」
雄叫びが大きくなった。屈みこんでいた団員も口元を拭い、充血した目で立ち上がる。もう一押しだ。
「いいぞ! やつらに思い知らせてやろう! もう一度!」
団員たちは拳を突き上げ、怒りの咆哮を上げた。
「よぉし、行くぞ! 我ら自由騎士団は彼らの仇を討つ! 全隊前進!」
ファランティア自由騎士団は足を踏み鳴らして外環状道路を行進した。市民らが広めてくれたためか、屋根の上や窓から都民たちが手を振り、応援してくれる。その声が、この地獄の光景の中にあって背中を押してくれている。ギャレットは意識して胸を張り、その声を受けとめた。
やがて前方に白竜門前広場が見えてきた。そこに整列する、濃紺の陣羽織に統一された帝国兵部隊も。びっしりと並んだ天を衝く鉄串が鈍く光っている。彼らが何者かは一目瞭然だった。何人かの団員が息を呑む。足を止めるな、前を向け、とギャレットは心の中で命じる。
整列した鉄串隊員は六〇名といったところだ。戦える自由騎士団員はほぼ同数だが、紫竜門での戦いぶりを考えると互角とはいえないかもしれない。
敵隊列の後ろから、一人だけ騎馬のでっぷりした男が大声を張る。
「鉄串隊隊長、ヒューバートである。ヴィジリオ執政官閣下の命により、きさまら全員を鉄串の刑に処すためここに参上した。降伏するならせめて首をくくってから串刺しに――」
「だまれ!」
「ななっ!?」
ギャレットは指を突き付けて宣言する。「おれは、おれたちは、ファランティアの自由騎士だ。ゆえに、きさまらの所業を許しはしない!」
〈勝者の剣または敗者の剣〉をさっと抜き放つ。
「自由騎士団、やつらに報いを受けさせる。おれに続け!」
飛び出したギャレットを、三人の騎馬が追い、徒歩の団員たちも引っ張られるように駆け出した。
まともに話そうともせず、矢のように突っ込んでくる自由騎士を前にしてヒューバートもまたあたふたとクロスボウを取り出して構える。しかしその姿勢は馬上であってもどっしりと安定していた。狙われたギャレットは首筋に死が触れたような、ぞっとした感覚に身を伏せる。
ヒューバートの放った太矢はギャレットの頭部を正確に狙っていたが、反射的に伏せたために愛馬の頭部に命中した。頭を貫かれた馬は前のめりに転倒して鉄串隊の眼前でどうと横たわり、その背から放り出された自由騎士は鉄串隊の列に突っ込んだ。
「わはは、ばかめ、人の話を聞かんからだ。そいつはそのまま押さえ込め。この場で生きたまま串刺しにしてくれる」
しかし、ヒューバートの判断はギャレットに対して甘すぎた。受け身をとって転がったギャレットは、全身甲冑とは思えぬ素早さで一回転して立ち上がり、近くにいた隊員を下から斬りつけ、さらに隣の隊員の胸を突き刺した。えっ、という顔のまま二人の隊員が倒れる。ヒューバートの命令を実行するつもりだったのか、背後から掴みかかって来た隊員の腹に剣の柄頭をめり込ませてから肩に乗せて投げ落とし、正面の敵にぶつけ、半回転するように大きく剣を横に薙ぐ。牽制のつもりだったその一閃は、きっちり隊列を組んでいたがゆえに鉄串隊員二名に怪我を負わせ、二人を転倒させた。
そこへマリオンら三人の騎士が突入してきた。顔を真っ青にしたマリオンの怒りは、ともすれば単騎で突っ込んだギャレットに対してだったのかもしれないが、鉄串隊員が受けることになった。鉄串がカチンカチンとぶつかり合い、初動が遅れる。徒歩の騎士団員たちも合流して、白竜門前広場は一気に戦場と化した。
ヒューバートはさらにクロスボウの至近距離射撃で騎士の一人を落馬させたが、それ以上は狙えず、後退しようとした時、鉄串が鼻先をかすめて通過した。鋭い先端が兜のまびさしにカチンと当たる。
「ひえぇっ」
反射的に仰け反ったせいでバランスを崩しながらも目の端で捉えたのは、鉄串を脇に抱えて槍のように突き上げたギャレットだった。こいつはやばい。生存本能が最大限の警告を発する。手綱を握り、鐙を踏ん張り、後ろ足立ちになった馬を何とか制御して背を向けたヒューバートに対し、ギャレットは大胆にも剣を振り上げて飛び掛かる。
〈勝者の剣または敗者の剣〉は鎖帷子をやすやすと断ち、ヒューバートの肉厚な背中から尻、さらに馬の横腹までもざっくり斬り裂いた。それでもヒューバートは馬を走らせ、その場から逃げ出した。




