ドラゴンストーン攻略戦 2
ハスト湖を背にして布陣したファランティア自由騎士団はたったの八九人しかいなかった。そのうえ騎馬は四騎のみで、ギャレットと、マリオン含む王の騎士だった三人だけ。そして歩兵の七割は元義勇団、つまりほとんどが農民だった。しかし訓練はしてきたし、装備も整っている。全員が盾を持ち、鎖帷子と兜を身につけ、剣やメイス、斧、槍で武装している。
七五〇〇人規模の軍勢が睨み合う黄竜門前の戦場と比べれば、奇襲部隊と思われるかもしれない。だが、身を隠したりはせず、ファランティア自由騎士団の真新しい大旗を掲げて堂々と紫竜門の前に陣取っていた。大旗はファランティア王国の紋章を頂点に戴き、王の騎士団とストラディス家の紋章を並べたもので、それを後ろ足立ちの馬が飾っている。
〝この戦の主役はあくまでもお前たちだ。お前たちは堂々と門を抜け、レッドドラゴン城まで攻め上がり、執政官の首を取らなきゃならん〟
王都と城に詳しいマリオンがいくつかの潜入路を提案した時、上位王はそれを退けて言った。
〝旗を掲げ、名乗りを上げて、正々堂々と紫竜門を攻めろ。心配はいらん。もともと軍備としての門ではないし、こちらを無視してそちらに兵力を割く余裕もない〟
確かに、紫竜門は白竜門に比べてずっと小さく、門塔もなければ落とし格子もない。馬車二台分ほどの幅がある両開きの扉は木製で、斧で割れそうに見えるがその必要もなく、胸壁は普通のはしごが届く高さ。その上を行き来する帝国軍兵士の数から推測される守備隊の人数は二〇人弱といったところだが、狭間胸壁の間から帝国製クロスボウを構える姿勢は経験豊富な兵士のそれだ。
対する味方は義憤に満ちて気合も十分だが、戦場経験者は少ない。壁に高さがなくとも門攻めには違いなく、気合だけで乗り切れるのか。不安がギャレットの疑心を膨らませる。上位王の能天気な物言いには何か裏があるのではないか。かつて皇帝レスターを討つためだけに王都を犠牲にしようとした男だ。
西のほうから空気を震わせるドンドンという音が届き始めた。迷いを捨て、戦いをはじめる頃合いだ。マリオンが前に出ようとしたので、ギャレットは盾で制した。なぜ、と騎士の目が問う。
「ファランティア自由騎士団の初陣でもある。団長のおれが行きます」
「しかし、クロスボウで狙い撃ちされるかもしれん」
「大丈夫、射程は見切れます」
実際それは嘘だったが、ギャレットは盾を持ち上げて単騎で紫竜門に近付いた。太矢を向けられると思い出したように上腕が疼いて、冷や汗が首筋を伝う。だが、恐怖は感じていい――反射的に傭兵団時代の教えが蘇る。恐怖は警告として受け取れ。だが決して屈するな。もし屈しそうになった時は――。
『我らはファランティア自由騎士団である! 執政官の悪行から、王都の民を救うために参上した! 帝国軍の兵士諸君、振り返って街の惨状を見よ。耳を開いて民の声を聴け。少しでも人間らしい憐憫の情があるのなら、武器を収めて投降し、開門せよ!』
帝国語で呼びかけても壁の上の兵士らに動じた様子はまったくなかった。本物の兵士だ。もう伝令も走っているだろう。増援が来る前に、一気に攻め落とすしかない。
「いいだろう、ならば――」馬が頭を振ったので向きを変えた瞬間、バンと嫌な音がして太矢が発射された。狙いは外れてギャレットの後方で地面を穿つ。それが答えか、「ならば、雌雄を決するのみ!」
ギャレットの宣戦布告に続いてマリオンが叫ぶ。「ファランティア自由騎士団、前進、前進ー!」
重装歩兵といってもいい自由騎士団員たちが盾を構え、はしごを持った味方を守りながら前進する。自由騎士団にも盗品の帝国製クロスボウがある。しばし両陣営間を太矢が飛び交った。時に盾を割り、時に足元に突き刺さり、時に運の悪い者が倒れる。接近すればするほど威力を増す太矢に、高まる恐怖と緊迫感。自由騎士団は訓練通りに足並みを揃えて前進していたが、ついに抑えきれなくなったか、左右が突出し始めた。もう少し待ちたかったが限界だ。ギャレットが号令する。
「突撃!」
解き放たれた味方が一斉に駆け出す瞬間を、しかし敵は狙っていた。同時に放たれた一斉射によって前衛がバタバタと倒れる。守備隊の練度の高さに不安を感じつつも、ギャレットは続けて叫ぶ。
「ひるむな! 壁を駆け上がれ!」
一つ、また一つとはしごがかかり、団員たちが飛び移る。壁は一階屋根と同程度の、一気に上りきれる高さ。だが、ギャレットの不安は目の前で現実となった。帝国軍兵士は素早く槍に持ち替えて取り付いた団員たちを突き落とし、はしごを押し返す。同時にはしごをかけていれば数で勝るこちらが敵の対応力を上回っただろうが、最初の攻防はそうならなかった。壁の下に倒れ、うめく騎士団員たち。血に染まったはしご。それを近くの団員が拾い、果敢に再攻撃を敢行するも、ばらばらでは順次対応されてしまう。
それでもいずれは勝てるだろう。だがそれでは――ギャレットはすばやく損害を計算し、門に目を向けた。内側がどうなっているかは不明だが、はしごにこだわるよりも門を突破すべきか。いや、それも時間がかかりすぎるし、経験不足の団員たちでは目標変更に対応できず混乱するだけだろう。
やはりブランの考えは――それを承諾した自分もだが――楽観的すぎた。それとも、兵の半数を失ってでも突破すればいいという犠牲を顧みない作戦だったのか?
こうなれば騎馬ではしごの下まで突進して、一気に壁を上がり、自身で橋頭保を築くしかない。マリウスたち三人に視線を向けた時、扉の向こうでワッと鬨の声が上がった。
味方はまだ壁の上に到達していない。つまり、守備側の援軍到着だ。ここでの攻防は帝国軍の勝利に終わった。
ギャレットは決断し、撤退を指示しようと口を開いたその時、壁の上にいた帝国軍兵士の一人がこちら側にどさりと落ちた。何事かと見やれば、壁の上に棍棒を振り上げた男が立っている。服装はどう見ても一般市民のものだったが、彼は叫んだ。
「自由騎士団万歳! 我らが救世主ギャレット卿万歳!」
門がギシギシと音を立てて、ゆっくりと開き始める。これはいったいどうしたことか。しかしこの機会を逃す手はない。誰かが巧妙に仕組んだ罠だとしても。
「全員、中へ! 門の中へ突入しろ!」
ギャレットはそう叫んで、自らも拍車をかけ門に突進した。戦場はにわかに混乱し、はしごを上ることにこだわる団員もいれば、その場を放棄して門へ走る者もいる。それは敵側も同様らしく、状況確認の声が飛び交っている。
門の内側にいたのは果たして、壁の上の男と同じく得物を手にした一般市民たちだった。だが自己紹介している場合ではない。ギャレットは門を確保するよう指示して馬を飛び降り、胸壁内側の階段を駆け上がった。
戦いはそう長くは続かなかった。帝国軍の指揮官はすでに撤退を決めていた。敗走していく帝国兵を追いかけて行かないよう、ギャレットが市民たち――と自由騎士団員たち――を押しとどめていると、墓堀りに使う大きなシャベル――今は帝国兵の血がべったり付いている――を手にした男が興奮気味に大声をあげた。「あんたら自由騎士団だろう。おれらを助けるためにブラン王の軍隊を連れて来てくれたんだな。おれらも戦うぜ!」
フライパンを手にした商売女が息巻く。「ハンナとクラウスの仇を討たなきゃ!」
「おれも戦うぞ!」と、安酒のにおいをプンプンさせた禿げ頭の中年男が肉切包丁を振り回して叫ぶ。
「次はどこへ? ギャレット卿、ご指示を!」どこかの貴族の子息らしい少年が剣を手にしたまま声をあげる。近くの人を傷つけそうで危なっかしい。
勢いだけの市民兵は手元においても混乱を生むだけだ。敵方に押し付けろ、とギャレットは教わった。もちろん生死は考慮されていないので論外だ。いや一度だけ、傭兵時代に別の使い方をしたことがあった。今それを思い出せたことに感謝しつつ、ギャレットは壁の上から市民たちに告げる。
「いいだろう、諸君。我々ファランティア自由騎士団はこのままレッドドラゴン城に進軍する。諸君らには後方支援を頼みたい。怪我した団員の救助と手当てを。それから、街の人々に我々が何者かを知らしめてほしい!」
わぁ、と歓声が上がり、何人かの市民はさっそく自由騎士団が来たことを告げに走っていった。ギャレットは歓声に苦笑いで応じつつ、生き残った騎士団員に隊列を組ませて進軍を再開した。




