ドラゴンストーン攻略戦 1
明けて盟約歴一〇〇八年、春の第一〇週三日。王都ドラゴンストーンの西側、黄竜門の正面に広がる平野にて北方連合王国軍と帝国軍は相対した。北は王の森を背景にして牧場の柵が並び、南はハスト湖まで緩やかに下る青々とした草原が広がる。ぽかぽかした陽気の昼下がりで、蝶や昆虫たちが春を謳歌し、どこか呑気な雰囲気さえあったが、この場にあってそんなふうに感じられる人間は少ないだろう。
これから戦場になる草原のほぼ中央を南北に街道が横切っており、帝国軍はそれより王都側は自分たちの陣地とでもいわんばかりに道の上に陣取った。実際、彼らの背後、黄竜門のすぐ外に建設されたばかりの宿舎や施設は帝国軍のためにある。大盾兵を前衛にして二列目にパイク兵を置く歩兵部隊を大きく三つに分け、その両翼に三列縦隊のクロスボウ部隊、背後には本陣と軽装騎兵隊という布陣。
街道は戦場の南で二つに分かれ、一方はハスト湖畔に沿ってさらに南へと伸び、もう一方は王都の角を回り込んで白竜門へと通じている。そちらへ行かせないため道を押さえているともとれるが、草原を歩いて向かうことは容易だ。しかし北方連合王国軍はそんなことなど全く考えていない様子で、戦場の西側に集まって帝国軍と正対していた。
その先頭に立つブランはやや高くなっている場所から悠々と敵軍を眺めている。背後にはためくは色とりどりの旗。アルダーの黒黄赤、アードの黄縞、数は少ないがスケイルズの青地に白波。それらを組み合わせたものもある。スパイク谷の上下白黒旗は後方に控えていた。旧ファランティア王国の紋章旗、北部総督ターンベルク家の紋章旗、それらを一角に戴いた北部貴族家それぞれの紋章旗もあり、これぞ連合軍といった賑やかさである。
「お行儀よく並んでやがる」とブランは敵軍を評し、それから目を細めて遠くをみた。「ギャレットたちが見えねぇ」
ファランティア自由騎士団の旗はずっと向こう、王都から見て南東の位置にあるはずだが、晴天の日差しを受けて夏のように輝くハスト湖の反射光でよく見えない。
左に立つ戦士長のトーレンが指を筒のようにして覗き込んだ。「ちゃあんと予定ンとこにいます」
「そうでなきゃ困る。この戦いの主役はあくまでも、あいつら義勇団なんだからな」
「今は自由騎士団ですぜ、上位王」と、右に立つ戦士長のシグアド。
「そうだったな」興味なさそうにそっけなく言い、振り向く。「だが勝つために必要なのはお前たちだ、ヒルダ。スパイク谷の戦士団は合図があるまで後方に待機だ」
背後に立つ戦装束のヒルダは一本編みの金髪を首に巻き、尖った兜の奥で目を光らせた。
「その屈辱に耐える見返りはあるのだろうな」
「おおよ。お前たちこそ敵の喉元を貫くアンゴルの矢だ。力を溜めて待て。一度放たれたが最後、一息に門を二つぶち抜いてもらう。できるな?」
待機からの一気呵成というのは将としての力量を問われる。だが若きヒルダは歴戦の王のごとく「ああ」とだけ言って悠々と部隊のもとへ戻っていった。
娘ほど年下の女王の、そんな背中を見送っていたバルトルトはブランの声に振り向いた。「後ろはファランティア兵に任せる。おれンとこの野郎どもは前ばっか見てて後ろを気にしねぇ」
「承知つかまつりました、上位王。しかし一つお願いが。息子のフロレンツをお側に置かせていただけませんか。戦というものを学ばせたいのです」
見た目は屈強なバルトルトだが、もちろん実戦経験は皆無だ。その息子も然り。フロレンツは十代の若者らしい成長途中の身体つきで、顎を緊張させながら「自分の身は自分で守ります」などという。
「おう、好きにしな」それからふと気まぐれに付け加える。「フロレンツ、いいか、戦場では遠慮するな。誰にも、何にも。あそこにお前を縛るものはない」
「はい、上位王」とは言ったものの、フロレンツの瞳はその意図をはかりかねて父を頼った。しかしバルトルトの表情にも答えはない。
「さて、と!」ブランは大きな両手をバチンと叩き合わせた。並の人間ならそれだけで頭を潰されてしまいそうな勢いで、大きな音が響く。「お楽しみの時間だ」
上位王は馬に乗り、前線をゆっくりと往復した。北方の戦士たちは次に何が起こるかを理解していて、にやにや笑いをやめ、王に注目する。その後方にいるファランティアの兵士たちはずっと緊張の面持ちで固まったままだ。
「北方の戦士たちよ!」巨体に見合った大声が草原を渡る。「ここが次なる戦場だ。敵の数は七五〇〇、いやもうちょいいるか?」
何人かの戦士がニヤリとした。
「こちらもファランティアの同胞を加えてほぼ同数だ。お前たちの父もその父も、遥か祖先に遡っても、こんな大戦はやってない。しかも、我ら父祖の地を侵略者どもから奪還するための戦いだ。これぞまさしく勇者のための戦場。大地の神ノウスはもちろん、大海の神オルシスも御身を乗り出してご覧になるだろう!」
ブランは馬上から大地を、続いて南のハスト湖を指差して続ける。
「偉大な祖先もうらやむ戦いがこれから始まる。命を燃やして戦い抜け。勇者として胸を張って大地の館へ、水の宮殿へゆけ。だが、これだけは言っておく。こんなもんじゃない! おれが王として、お前らに約束する戦場はこんなもんじゃない。こいつはただの前哨戦。この先にはもっとすばらしい戦場が待っている! 楽しみだろ? 楽しみだな? ならば、おれについてこい。前人未踏の栄光の果てまで連れて行ってやる!」
北方の戦士たちは興奮に鼻を膨らませ、ついに堪えきれないというように盾を叩き始めた。一人また一人。まばらな音はやがて一体感をもってリズムを刻む。ドンドンドン、ドンドンドン。ファランティアの兵士たちも最初はためらいがちに、それに加わっていった。その様子を満足げに眺めていたブランはついに斧と盾を手にして戦場に向きなおり、両手を天に掲げて叫ぶ。
「大地の神ノウスよ、大海の神オルシスよ! この戦いをご覧あれ! 生き延びた者には勇者の名誉を、死した者には〈大地の館〉へ、〈水の宮殿〉へ、招かれる名誉を授けたまえ! いくぞ、北方の勇者たち。我と共に栄光の道を歩もうぞ!」
北方連合王国軍は地を揺らして気合とともに突撃を開始した。もしも遥か上空から眺めることができたなら、一部の北方人らが突出したその軍勢はさながら一頭の巨大な猪のようであったろう。興奮に突き動かされて止まることを知らぬがゆえに、目の前で待ち受ける罠へと飛び込んでいく猪に。
※(補注)活動報告「北方人の信仰」
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