表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/35

スパイク谷の女王 1

 旧ファランティア王国北部総督管轄地の大部分は山岳地帯で、北の大森林と、南の平野との間に横たわる天然の境界だった。街道は山間をうねうねと蛇行しながら走っており、数少ない交差点には町が、自然の地形の許す形で存在している。北へ伸びる街道はやがて一つになり、山脈の裾野を上って〈剣の峠〉へと至る。そこから先は北方だというのが北方人とファランティア人の共通認識だが、正式に取り決められた記録はないので、慣習的な国境と言えよう。関所などもないため、今後もこの地域が北方連合王国の一部であり続けるならば、そのことも忘れ去られていくだろう。


 代々総督であり続けたターンベルク家の居城はソルトレーンの町を見下ろす小高い山頂にあり、峰の一部を利用して築城されている。窓からは燃えるような赤や黄金に紅葉した山々を眺めることができ、それは素晴らしい景色なのだが、ほとんど紅葉のない北の果て、長らく人類最北の地と信じられてきたスパイク谷の最奥エイクリムからやってきたヒルダにとっては奇妙で、少し不気味な美しさだった。夏の間は渓谷や切り立った岩山に故郷の面影をみることも叶ったが、今ではもう別世界のようだ。南の土地の景観は季節によって全く変わってしまうのだな、とヒルダは席上で腕を組みながらぼんやり思った。


 謁見場を兼ねるその部屋には大きな窓があって、外がよく見える。秋の花々が放つ独特の甘い香りが鼻腔をくすぐると、訳もなくそわそわしてくるのでヒルダはあまり好きではない。一本に編んだ金髪を前に持ってきたり後ろに払ったりしているのはそのせいだった。


 部屋の中央には長方形のテーブルが置かれ、そこに彼女を含めて五人が座っている。上座の立派な椅子には、北方連合王国の上位王ブラン。一言で形容するなら、鎧を着た赤毛の熊。武装しているのは先ほどまで練兵をしていたためだ。


 上座に次ぐ左右の席には北方四王の一人であるヒルダと、この城の城主であり旧ファランティア王国北部総督バルトルト・ターンベルクが座している。目つきは鋭く、白髪交じりの黒髪で、生え際はかなり後退している。騎士らと手合わせしている様子をみるかぎりなかなかの剣士のようであるが、ファランティア人の例にもれず、彼も戦場を知らない。


 ファランティア王国なき今、バルトルトは単に北方連合王国の一地方領主に過ぎず、スパイク谷の王であるヒルダと向かい合っていられるような格の持ち主ではないが、彼女はそれを許してやった。ブランは去年のファランティア紛争以来この城でやっかいになっているから彼の顔を立てたいだろうし、〝上位王に免じて許してやりなされ〟とスパイク谷の留守を任せてきたマグナルなら言うだろうから。あの丸々とした巨体の好々爺が懐かしく思えるとは。うるさい小言さえも。


 冬空と同じ色の瞳を我知らず北へと向けて、ヒルダは故郷の谷に思いを馳せた。谷を離れてたった半年。だが、まだ齢二〇の彼女には十分に長い半年だった。今頃は迫る冬を前に人も獣もできる限りのことをしなければならない時期だ。男手である戦士たちを五〇人も連れてきてしまったので苦労していることだろう。


 しかも今年は珍客がいる。春の雪解けとともにドワーフのギブリムが連れてきたコー族とかいう、世界の果て山脈の北側に住んでいた異邦人たち。古のドルイドの子孫だというがそんな面影はほとんどなかった。いや、唯一言葉が通じる若き族長ロジウにはどことなく懐かしい雰囲気があった。胸の奥に残る、触れ得ぬ記憶の残滓のような……あれはなんだったのだろう?


「――どう思う、ヒルダ?」


 突然にブランが話を振ったので、ヒルダは内心慌てた。故郷のことを考えていて話を聞いていなかったなどとは言えない。彼女は威厳たっぷりに答える。


「……同感だ」


 ブランはエール酒の入った木製マグを握ったまま、大きな手のひらを見せてお手上げというふうに動かした。


「ほらな? 王は王たるを知る。王者同士の約束事というのはそんなに軽々しく扱っていいものじゃあない。しかも停戦を申し出たのはおれのほうなんだぞ?」


 まるで、〝お前のほうがよくわかっているよな?〟とでも言いたげな声音に、下座にいる自由騎士ギャレットは苦々しい表情をみせた。腰にある〈勝者の剣またの銘を敗者の剣〉と、その反応は、この騎士がブランを決闘で打ち破り、停戦を強要したという噂が真実であると証明している。しかしたとえ真実であっても、これは噂でありつづけるだろう。少なくとも上位王ブランが存命であるかぎりは。


「では、兵は出せないと?」


 テストリア大陸人でもエルシア大陸人でもない日焼けした褐色の肌の自由騎士は母国語のようにファランティア語でそう言った。ブランは彫刻に縁どられた背もたれに寄りかかる。


「おれは自ら停戦条約を破棄するつもりはない」


 白々しい空気が会議室を漂う。それはこの城とソルトレーンの町を見れば誰しも感じたことだろう。


 ソルトレーンの町は北部における流通の要であり、豊富な鉱物資源と塩湖で採れる塩を南へ輸送する拠点でもあった。輸送先が帝国属領となり、新たな国境付近で街道が封鎖されている現状、輸送隊はこの町で足止めを食らう。それらの人足や荷車を上位王が借り上げ、鉄と塩の代わりに武器防具、矢の束、さらには麦や塩漬け肉や酒を積み込ませているのは、どう考えても商業保護のためではないだろう。そのうえ戦時であるかのごとく徴集兵を集めて熱心に教練しているから、町は兵士で溢れている。城の鍛冶場は連日最大稼働。これが戦争準備でなくてなんだというのか。


 ギャレットが腰を浮かせる。「王都の惨状は上位王もご存じのはず。一〇日ほど前ですが、ファランティア自由騎士団のエルンスト・キルシュと二人の騎士が元西部総督トビアス・ハイドフェルト公の息女リーリエ様を救出するため王都に潜入しました。そんな無謀をするようなやつではないと思っていたのだが、家名の重さか、周囲の声か……」


「自由騎士どのは家名の重さを知らぬとみえる」腕組みしたままバルトルトが口を挟んだ。「個々の考えや人生など簡単に圧し潰してしまうほどの重みが、家名にはあるのだよ」


「そうなんでしょうね……ともかく、全員が捕えられ、リーリエ様共々処刑されてしまいました。しかし、この事件は民に我々の存在を知らしめ、希望を与えることにもなった。王都にいる親類縁者を助けてほしいという嘆願は日に日に増え、危険を顧みずに王都の中から救助を求める手紙を流す者までいる。いま動かなければ、我々は王都の民を見捨てたと(そし)りを受けるでしょう。逆にいま動けば、民の信頼と支持を得られる。外国にいる皇帝との約束を守って得られるものより、ずっと得難いものであることは、上位王陛下なら分かるはずです」


 ブランは天井を見上げたまま、髭に覆われた顎に触れていたが、しばらくしてテーブルに手をつき、立ち上がった。


「停戦条約は破棄しない。そう言ったはずだ」


「上位王……」


「くどいぞ、自由騎士。おれは練兵に戻る。同行したければ許そう。お前の腕が鈍ってないか見てやる」


 反対にギャレットは、どさり、と椅子に尻を落とした。「またの機会に。陛下」


 ふん、と鼻を鳴らしてブランはどかどかと部屋を出て行った。バルトルトは何か言いたげに上位王を目で追ったが、結局は無言のまま、息子のフロレンツを従えて退室した。ギャレットも立ち上がりかけたが、「ギャレット卿、少しいいか」とヒルダに声をかけられて座りなおした。


「なんなりと。女王陛下」


「二度目の謁見でも上位王は動かせなかったが、まだ続けるのか」


「ええ、もちろん」


「気になっていたのだが、卿はどうやって国境を突破した?」


「突破はしてないです。密輸業者に手引きしてもらいました」


 ヒルダは呆気にとられて、思わず苦笑した。それはギャレットに対してではない。彼は、この世で唯一彼女が桁違いの怪物と認めるブランを殺さずに倒したような勇者だ。そんな彼の最新の武勇伝を期待する子供っぽさがまだ自分の中にあったことに気づかされたからだった。


「しかし、その必要もなかったかもしれません。国境線はスカスカですよ。地元の人間なら簡単に行き来できるだろうと密輸業者も言ってました。帝国軍は国境警備にあまり人員を割いていないようです」


「そうか。しかし帝国軍は精鋭揃いと聞いた。少数でも主要な街道さえ押さえておけばよいという考え方もある。先の紛争では数で勝るファランティア王国軍を圧倒したのだろう?」


「うーん、陛下のいう精鋭とは少し違うといいますか。帝国軍の強さは、特定の役割に特化させた複数の部隊を複合的に動かす戦術にあります。個人の戦闘力よりも部隊の一員として命令通りに動ける練度が求められます」


「ふむ……」それでは北方連合王国軍も同じ轍を踏むのではないか。ブランには何か考えがあるのだろうか。直接聞いてもいいが、今の自分は一介の戦士ではない。教えを乞うような真似をするのは抵抗感がある――そんなヒルダの考えを読んだかのようにギャレットは話を続けた。


「なので、実力を発揮するためには、優秀な指揮官と大きな戦場が必要になります。帝国軍が真価を発揮するのは野戦というわけです。それにこれはあくまでも一つの戦場での話です。ファランティア王国軍は一つの戦場での勝利にこだわり過ぎて、招集した兵を逐次ぶつけていきましたから、連戦連勝の帝国軍がものすごく強いように見えた。ですがもし、複数の戦場に戦力を分散しなければならない状況だったら違っていたはずです。複合部隊戦術を運用できる優秀な指揮官だってそうそう何人もいやしないでしょうし。上位王陛下もそれはわかっているみたいで、物量で対抗するつもりのようですよ」


「上位王が?」


「ええ。傭兵団と契約したいから紹介しろ、と言われました。おれは元傭兵ですが幹部でも何でもないうえに脱走兵なんですよ。突然ばかみたいなこと言うんで驚きます……」


 最後のつぶやきをヒルダは聞き流した。〈黒の門〉でのオークとの戦いは常に一つの戦場の中の出来事で、戦術のようなものはほとんどない。大勢の個人がオークと乱戦していただけだ。歴代の王と戦士たちが連綿と繰り返してきた聖なる戦いをそんな視点で捉えたのは初めてで、さも禁忌に触れてしまったかのように慌てて思考を打ち切る。そんな考えはスパイク谷の王として相応しくない。偉大な先人たちへ不敬を働いてしまったような不快感が胃の腑に残る。


「一つ話がまとまりそうな先があるとかで……」


「え?」


「ああ、いえ、すみません。ただの愚痴です」ギャレットは遠慮して腰を浮かせた。「あと何回かはわかりませんが、ま、上位王の気が済むまでこの茶番に付き合うとしましょう」


 そんなギャレットの捨て台詞のとおり、その後三回目の謁見でブランはファランティア自由騎士団を支援して軍を動かすことを決定した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ