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竜去りし地の物語  作者: 権田 浩


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自由騎士 10

 黒衣のギャレットは部屋に入ると、本棚の間を抜けて、大股なら数歩で行き着いてしまう奥の机の前に立った。まだヘルゲンの気配に満ちているここでは、積み上げられた書物と巻物の山の影、あるいは本棚の裏から、老紳士がひょっこり姿を現してもおかしくないと思える。しかし、そんなことは決してない。教授はギャレットの腕の中で息絶え、最後に星をみた丘の上で火葬されたのち、遺骨はプレストンの町の墓地へと納められた。


 葬儀を執り行った六大神の司祭によれば、彼の魂は客人(まれびと)の神の手によって死後の世界へと運ばれるらしい。そこがどんな世界かは、同じ神を信仰していても土地によって認識が異なる。善人は楽園のような世界へ、悪人は地獄のような世界へというのが一般的だが、神の気まぐれで決まるという人もいる。ミリアナ教では、善人の魂は神の御許で安らかな眠りにつき復活の日を待つが、悪人の魂は贖罪の雷に打たれて永劫に苦しむという。


 この二大陸から一括りに東方と呼ばれている地域では数多ある部族や民族ごとに神がいて、死後観も異なる。人間の肉体から解放された魂は黒馬に乗り移って世界を駆け巡るとか、魚になって海の果てで大口を開けている世界クジラに会いに行くとか。


 ギャレット自身は、信じる信じない以前にどうでもいい。自分が罪人でないとは思えないし、もし地獄に送られるとしても、生まれ育った戦場より酷い場所など存在しない。少なくともこの世界において、死んだ人間がそれっきりだというのは事実だし、救いだ。前世の記憶があるとか(うそぶ)く連中が何を考えているのか全くわからないが、もし本当だとしたらそれこそ地獄だろう。一度きりの人生なら耐えられても二度目は無理だ。


 机の上は、ついさっきまで教授がいたかのように散らかっている。古い椅子に腰を下ろすと、一冊の本が目に付くように置いてあった。タイトルは古ファランティア語だが現代語から推測できる……『君主』だ。作者はアルク……いや、アルキュロス。ここを読め、とばかりに紙が比較的冒頭に挟まっている。


 開いてみても中は古語で判読は難しいが、紙に現代語訳で抜粋が書かれていた。


『(……)民の怒りを利用して己が理想を叶えようとする君主は、民に矯正を強いる暴君となるか、民に背を向けた愚王となるか(……)必然的に国家を衰退させる(……)このような人物が君主たる権力を得てはならない』


 本を閉じて脇へ除けようとした時、粘土板があるのに気付いた。みると、二つの点が一本の線でつながれ、片方の点にはそれを中心とした円がある。その円線上に、さらに二つの点――おそらく太陽と月――があった。天体の話をした時の思い付きを、教授はこのように解釈したらしい。こんな他愛のない、現実離れした空想を巡らせていただけの人が太矢に胸を貫かれて死ぬなんて、そんな世の中は間違っている。


 ギャレットは散乱している粘土板を積み上げて、紙とペンを用意し、清書作業を始めた。指をインクまみれにしながら何度も書き直して、やっと作業を終える。これで教授が最後に考えていたことが、人生の欠片が、未来に残せるかもしれない。あとは――


 〝あとを頼む〟


 不意に、彼の最後の言葉が蘇った。声は出ていなかったが、唇の動きは間違いなくそう告げていた。


 ギャレットはペンを置いて立ち上がり、部屋をあとにした。翼廊はすでに青白く宵闇に沈んでいる。


 大学本堂の別室には、ヴィルヘルムとマリオン、エルンストが集まっていた。議論を尽くしたのか、いまはワインをちびちびと飲みながら各々が物思いにふけっている。ギャレットが入ってきたのを見てエルンストが顔を上げた。実質的にこの若者は義勇団のまとめ役に近い立場になってしまっている。


「ギャレット卿。我々は教授の作り上げた連絡網を利用して、彼の死を伝えることにしました。同時に自重するよう指示し、違反した者には支援を停止することにします。いま過激化した一部が暴発すれば、義勇団はバラバラになってしまう」


「現に、マリオン卿は独自行動をとると言っているしな」と、ヴィルヘルムが疲れた口調で付け足した。


「我々ファランティア騎士団が暗殺者を見つけ出す。この陰謀の黒幕を明らかにし、断罪するのだ。貴卿も同じ考えと思いたいが……」


 ギャレットの決意が宿った鋭い眼光を前に、マリオンは続く言葉を飲んだ。


「マリオン卿、以前の申し出だが、お受けする」


「では……!」


「しかし、おれは暗殺者にも黒幕にも興味はない。教授の仇討ちをするつもりもない」


 口を開きかけたマリオンをギャレットは手で制し、エルンストに目を向ける。


「自重を求めるだけではだめだ。はっきり伝えてほしい。義勇団は今後も戦い続ける。そのためにファランティア騎士団の旗下に入る、と。希望する者は小姓に取り立て、いずれは従者や従騎士に、そして騎士に叙任もする」


 エルンストは一呼吸置いてから、「なるほど」と合わせた手を顎に添えた。「確かにそれなら……自重を求めるだけでは無理だろうと思っていました。騎士に憧れる者は多い。罰するよりも効果的です。封土を与えられればもっとよいのでしょうが、代わりに褒賞でも……」


「まってくれ」とマリオン。「義勇団を組織化する必要があるのは理解できる。だが……農民を騎士に叙するというのは……彼らは本来、守られる者だ。そして騎士は守る者。その矜持を傷つけたくない」


「では、矜持を傷つけぬような新しい規範を作ってほしい。身分を問わず叙任した例が過去にもあったはずだ。素性の知れぬ外国人のおれでさえ、ファランティア王国は騎士位を授けた」


「貴卿は例外だ。トーナメントで類まれな実力を示し、将軍が直々に取り立てた。それでも反対はあったのだ。ゆえに正統な騎士としてではなく、土地を持たぬ自由騎士として叙された」


「おれはハイマン将軍からマントを与えられている。ストラディス家の紋章の前で、その名のもとに自由騎士として叙すればいい」


 口を横一文字に引き結んだマリオンに代わって、ずっと黙っていたヴィルヘルムが杖をコツンと床に打ち付けて皆の注意を引いた。


「なるほど。自由騎士団というわけか。しかしギャレット。組織には目標や目的が必要だ。最初にそれを示す必要がある」


「おれが生まれ育った世界では一つの土地にいくつもの民族が暮らしていて、常に紛争と停戦を繰り返していた。平和とは、紛争の合間を意味するものでしかなかった。ここはまだ間に合う。この地をそんな場所にしないために、今こそ我々は行動しなければならない。ファランティア自由騎士団は未来のために戦う。第一目標は、この戦いを停戦ではなく終戦させることだ。この大陸から帝国軍を叩き出す」


 三人はその大言壮語に唖然とした。騎士団と義勇団を組織化して軍隊にできたとしても、せいぜい一〇〇人規模。どうやって帝国軍と渡り合うつもりなのか。


「そのために」静まり返った室内にギャレットの決意が響く。「ブランに会う」


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