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竜去りし地の物語  作者: 権田 浩


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自由騎士 9

 夜風に夏草が香って、季節が巡ったことを知る、そんな夜。ランタンの明かりだけで草原を進む教授の背中を追ってギャレットは歩いた。足元の暗がりがどうなっているか気にも留めない少年の足取りでずんずん進んでいく彼に一言物申したいが、止めても無駄だ。だからこんなところにいるのだ――


 プレストンでは大学内の宿舎に滞在していたが、宿舎はもちろん学内も若い徒弟や学者たちが往来していて人目を避けるのは難しい。しかしギャレットの存在が問題になるようなことはなかった。自治独立の気風が強いプレストン大学の伝統的精神は、帝国統治に対しても無言の抵抗を続けている。とはいえ帝国軍にしてみれば面倒事を後回しにしているだけなので、いずれは軍靴で踏み込んでくるだろう。


 そんな危うい、つかの間の平和をギャレットは剣を振って過ごした。左腕の回復訓練とこれからの戦いへの備えとしてだったが、エルンストや血気盛んな徒弟らが教えを乞いに来たり、ヴィルヘルムが訪ねて来たりして、意外と退屈ではなかった。


 やがて春の蒼天が夏の色へ変わりはじめた頃、学内にいる縁者を通じてマルティンという銀行家から義勇団に接触があった。帝国の執政官が義勇団の指導者と直接対話を望んでいるという内容だったが、驚いたのはむしろ、この申し出を受けると教授が言い出したことのほうだった。当然何らかの(はかりごと)があるに決まっていると全員が反対したにもかかわらず教授は頑として譲らず、これを唯一無二の機会として受け入れてしまった。


 もちろんギャレットも到底納得などしていないが、じゃあ勝手にしろと一人で行かせるわけにもいかない。もし今ヘルゲン教授を失えば、やっと輪郭が出来つつある義勇団は再びバラバラになってしまう。


 ――そういうわけで大変に不服ながら、ドラゴンストーンへ続く西部街道の旅の途中、夜に馬宿から出かけるという教授のお供までしているのだった。


 緩やかに盛り上がった草原の真ん中で教授は立ち止まり、ランタンの窓を閉じて明かりを絞った。ギャレットにも同じように求めたが、窓付きのランタンではなかったのでしぶしぶ消す。周囲が暗闇に包まれたのは一時のことで、目が慣れてくれば、月明かりだけでも夜の草原が見渡せるようになった。


 教授は満天の星空を見上げ、ギャレットは周囲に気を配る。竜の加護を失ってもまだファランティアで魔獣の噂は聞かないが、野生動物が忍び寄っている可能性もなくはない。足元の草むらに毒蛇が這いまわっていても何ら不思議はないのだ。


 ギャレットがそうして地を探っている間に、教授は円盤の組み合わさった道具を使って天を探り続けた。天体観測なら後で好きなだけやってくれ、と言いたいところだが、今回の件で老学者の頑固さを存分に味あわされたギャレットはすっかり諦めてしまっていた。


「ギャレット卿、頼みがある」


 右手で吊るした円盤に取り付けられた指針の先に目を凝らしながら、左手で手招きしている教授にギャレットはしぶしぶ応じる。


「なんですか」


「このアリダード……指針の先に星を探して欲しい」


 円盤に顔を寄せ、天に向けて斜めに止められた指針の先を片目で見る。


「赤い星がありますけど」


「そのすぐ隣にも星があるはずなんだ」


「あー……ええ、ありますね。小さくて白いのが」


「そうか……よかった。ありがとう」


 まるで命の危機が去ったように胸を撫で下ろした教授は、じろりと向けられたギャレットの視線が説明を求めていると誤解した。


「いや、天体観測を始めるきっかけになった星でね。若い頃からずっと見てきたせいか、まるで自分の半身のように感じていて……ああ、いやいや、頭は大丈夫だ。まったく、なぜ皆そんな顔をするのか。しかしここ数年はすっかり見えなくなって、もしや無くなってしまったのかと。それならそれで価値ある発見だが、わたしの目が衰えただけだったんだな。はは」


「……だから、ですか」


「ん?」


「ずっと追いかけていた星が見えなくなったから、平気でこんな無謀を?」


 教授はあっけにとられたように目を丸くして、それから笑った。ギャレットはむすっとして腕を組む。


「いや、はは、わたしはそんなにロマンチストではないよ。皆の心配は理解できるが、本当にこの会談は千載一遇の機会なんだ。執政官殿の人柄を伝え聞くに、十分現実的な選択肢だと思うしね」


「仮に執政官が本気だったとしても、周りの人間までそうとは限りません。拘束されて、相手の勝手な理屈で裁かれてしまうかも」


「その可能性はある。だとしても、会談に応じないという選択肢は無い。我々は未来のために戦うのだ。そのために、今を犠牲にすることを恐れてはならない……ああ、もうこの話はよそう。さんざん繰り返したじゃないか」


 そしてこの話はいつも次の言葉で終わる。ギャレットはすっかり覚えてしまったので、つい口を突いて出た。


「先人の遺産を未来へ手渡す。それが我々の使命……ですか」


 教授はにっこりと笑い、ギャレットはその真意を図りかねた。ヘルゲンが両手を掲げて満天の星空を背負う。


「ほら、話はやめだ、やめ。空を見たまえ、こんな観測日和はめったにない。ああ、君の目にはわたし以上に素晴らしい星空が見えているのだろうなぁ」


 翌朝、馬宿の前でギャレットは義勇団員二名とともに出発しようとしていた。会談の件がどこまで周知されているのかは不明だが、教授の護衛として同行した場合、行動を制限される可能性がある。怪しまれず、自由に行動するためには先立って都入りする必要があった。共連れの二人とはこの旅で初めて知り合ったが、その寡黙さや時折身にまとう気配はギャレットにとって馴染み深く、安心できるものだった。それは、だらだらと集団行動するだけの農民兵にはない、単独で任務を遂行する類の職業兵士のものだ。元は王国軍の斥候か、森番などをやっていたのではなかろうか。


「おはよう」


 呑気な挨拶とともに、ひょっこりと教授が姿を現した。三人がぺこりと会釈すると教授は一人ずつ手を取って、「面倒をかけるが、よろしく頼む」と熱心に握手した。最後にギャレットの前に立った時、その瞳に宿る真剣さが早朝の空気のように顔を打った。


「ギャレット卿、念を押しておくが、今回は傍観者に徹してくれ。わたしを守るためであっても武器を持ち込んだり、使ったりすることのないように。君に何かあっては困る」


「自分を棚に上げて、よくそんなことが言えますね」


「冗談ではなく、本気だ」


 そんなことは言われずともわかった。敵地に乗り込もうというのだからそのくらいでなければ困るが、なんとなく、それ以上の覚悟があるように思えて、ギャレットはため息でかわす。


「はぁ、わかりました。何があっても手出ししません」


「騎士として、誓えるか」


「はい」と肩をすくめる。教授はにっこりと笑った。


「よろしい。では、現地で会おう」


***


「これが侵略でなくてなんだというのでしょう! 我々は今まさに文化的侵略、文化的民族浄化の渦中にいるのです!」


 皆の予想に反して執政官と教授の直接対談は問題なく実現した。ブレナダン通りと内環状道路の交差点広場。取り囲む人垣の中心で、教授は両腕を広げて演説をぶった。その言葉も身体も目の前の執政官にではなく、民衆のほうへと向けられている。人々の気運を操る指揮者のように両手を振りながら、熱弁は続く。


「自らを解放者などと嘯く欺瞞を許してはなりません!」


 民衆を見回す老教授の瞳がそこに紛れたギャレットの姿を捉え、両者の視線が一瞬交わる。その声が一段と勢いを増す。


「彼らの征服戦争はまだ終わっていない。より密やかに、より陰湿な方法で続いている――」


 その時、激しく板を叩いたような音とともに、太矢が空を切った。執政官の額をかすめて石畳みを砕き、突き立つ。誰もが驚きに目をむき、空気さえも凍り付いたような一瞬に、動き出していたのは二人だけだった。一人は反射的に飛び出そうとしたギャレット。もう一人は、まるでこうなることを知っていたかのように振り向いた教授。


 来るな――そう言わんばかりに向けられた手のひらと鋭い眼光に制止されたギャレットは一瞬、誓いの言葉に縛られた。続くクロスボウの発射音と同時に太矢が教授の胸に深々と突き刺さる。


 そして、時が動き出した。


 人々の悲鳴と叫びが雷鳴のごとく地を揺らし、濁流のようにうねって、混乱がその場を支配する。立て続けに響くバンバンという発射音が民衆をかき回す中、がっくりと膝を折って倒れゆく教授の身体をギャレットはぎりぎりで受け止め、糸が切れた人形のように腕の間から零れ落ちていこうとする老体を石畳の上に横たえた。惑う人々に足蹴にされながらもギャレットは教授の状態を確かめる。


 ――致命傷だ。


 教授の瞳はあの印象的な光を失い、開かれた口から血がごぼこぼと吹きこぼれていく。


「教授! ヘルゲン教授!」


 ギャレットの叫びに答えるように、血まみれの唇がぴくぴくと痙攣しながら動いて、最後の言葉を紡いだ。


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