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竜去りし地の物語  作者: 権田 浩


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自由騎士 7

 ファランティアでは珍しくないが、プレストンは西部の中心都市でありながら街を囲う外壁がない。街道から町の中心へと続く道の途中にある関所は柵で囲われ、街道側と町側と二つの門を備えているが、街を守るためというよりは足止めされる商人と旅人のための待合所といった雰囲気。避けて忍び込むこともできそうだが、さて、と見渡せば、関所の外側で花を売る屋台があった。ギャレットはヴィルヘルムを信じて屋台の女性に近づく。


「ええと、その、ザックス商店の者ですが……シアスノーの」


「ああ、はい、話は聞いています。風車の修理の件ですよね?」


 これは口裏を合わせろということか。ギャレットはうなずいてみせた。


「お待ちしてました。ご案内しますね。馬と荷物は預かりましょう。義姉さん、店番をお願いできる?」


 馬と武具を手放すことにギャレットは躊躇したが、信じる以外にないと心を決めて手綱を渡す。彼女はそれを屋台の支柱に引っ掛け、頭巾とエプロンを整えて関所へと歩き出した。緊張を隠して追うギャレットは風車の大工である彼女の兄を訪ねてきたという設定で、顔見知りらしい関所の番人はすんなりと二人を通した。税金の計算か何かで待たされている商人たちの視線が刺さる。


 プレストンは花と風車の町として知られている。町の中心部へと伸びる道は花畑と果樹園の間を抜けていくから、季節の花と甘い香りが旅人を出迎えてくれる。大聖堂に併設された風車が花畑の向こうに見えてくれば、誰しもその有名を思い出すだろう。しかし、街の中心部は件の大聖堂を囲う壁があった頃の名残でぎっちりと圧縮されており、人々を見下ろす高い建物と、その隙間を縫うように走る路地が、都会の暗所を生み出している。


 迷いなく路地を抜けていく女性の背を追いながら、本当に兄を紹介されるのではないかと心配し始めていたギャレットだったが、案内されたのは一際暗い行き止まりにある扉の前だった。酒と小便が混ざったような、すえた臭いが側溝から立ち上っている。


「あたしはここで。中でお待ちください」


「ありがとう、その……」


 女性は名を尋ねられているのに少し驚いたようだった。礼儀正しく腰を折る。


「クリスティンです。騎士様」


「クリスティン。ありがとう」


 クリスティンは会釈して路地を出て行った。


 その扉は案の定、酒場の裏口だった。台所の奥にあって外からは見えない狭い物置に通じている。籐の籠や瓶などが並ぶ棚、大きな麻袋、樽や箱がある。中を見てまわるわけにもいかず、樽に腰かけて待っていると、しばらくして二人の男が入ってきた。立ち上がったギャレットと、入ってきた年配の男が向き合う。男は庶民の格好をしてはいるが騎士であることを隠せていない。鍛えられた胸板を張り、相手を睥睨するような威厳のある態度。不可視の剣がそこにあるかのように腰へ当てられた拳。生粋の騎士なのだろう。


「わざわざのご足労痛み入る、ギャレット卿。王都ですれ違ったことはあったやもしれぬが、挨拶を交わすのは初めてだろう。わたしはマリオン。こちらはエルンスト卿」


「ギャレットです」


 ギャレットはマリオンに続いて、若きエルンストと握手を交わした。物腰柔らかく、騎士というよりは貴族の子息という印象。


「お会いできて光栄です、ギャレット卿。エルンスト・キルシュと申します。兄とはブラックウォール城でお会いになられていますよね?」


 そう言われて初めてギャレットは記憶を探った。赤みのある金髪、賢そうな青い瞳、大人らしく振舞おうとしているがまだ未成熟な若者の顔。その面影よりもキルシュという家名のほうで思い出した。トビアス公の旗を預かるキルシュ家の騎士トーマスの弟ということか。彼はどうなったのだろう……いや、あの混乱を生き延びていたのなら、この場には彼もいたはずだ。


「はい。トーマス卿のことは残念です」


「いいえ。最後までトビアス公の騎士として生きられた兄は幸運でした。主君なき世界で道を見失わずにすんだのですから」


「それは……」そうなのだろうか? いや、そうなのだろう。それが騎士というものだ。


「ギャレット卿」マリオンはエルンストの肩に手を置いて一歩下がらせた。「我々は一生の忠誠を捧げた主君を失った。ファランティア王国の王統はブラン上位王が継承したということだが、はいそうですかと上位王の下へ行くような恥知らずにはなれん。ましてや剣を捨てて帝国に下るなどもっての外。とはいえファランティア騎士団などと称してみたものの、実態は道を見失った騎士たちの寄せ集めにすぎん。それでも、いやだからこそ、我らは頂くべき御旗を必要としている」


「それでストラディス家のマントを探していたと」


「うむ。そしてそれをまとう者、すなわち貴卿を」


「おれを?」


「ここで戦うのをやめてしまえば、ファランティア騎士の伝統は潰える。団長には強く、そして何よりも戦い抜く意志と覚悟のある者こそが相応しい。集った騎士の中にはクライン川の会戦や王都の戦いで貴卿の戦いぶりをみた者も多く、彼らは貴卿を推している。強く印象に残っているようだ」


 ギャレットは腕を組み、マリオンを正面から見据えた。


「貴方はどう思っているんです。ファランティアの名を掲げる騎士団なら、王の騎士団で副団長だった貴方以上に相応しい者などいないように思いますが」


 しかし、彼は自信無げに視線を落とした。


「……マントを探す過程でヴィルヘルム卿と会った折、貴卿のことを聞いた。王都の戦いの後、再会の約束を果たすとすぐに南部へ行ってしまったと。道に迷う我々と違い、貴卿にはまだ仕えるべき主君と規範がはっきり見えているようだ」


「自由騎士とはファランティアの地に住まう民に仕える騎士であると、そうハイマン将軍に教わりました。おれの主君はこの土地の民であり、規範は失われていません」


「それは……冗談ではないのか? ファランティア人の九割は平民だぞ。彼らを主君と見做すなど……にわかには受け入れ難い考え方だ。そのような突飛な考えを持っている方には見えなかったが、ハイマン将軍はなぜ突然そんなことを君に……」


 驚きのあまり口元を手で覆い、眉間にしわを寄せたマリオンの横から、エルンストが口を挟む。


「そろそろ移動しましょう、マリオン卿。教授が待っています」


 しかめ面で考え込むマリオンの代わりにギャレットが反応した。「教授?」


「ファランティア義勇団の実質的な指導者です。我々も彼の要請で動いているのが現状でして、わたしがおもに連携を担っています。我々と同じく、彼もギャレット卿に会いたがっています。ご同道願えますか?」


 渡りに船とはまさにこのこと。ギャレットは若き騎士に先導を任せた。辞去したマリオンと別れた二人は再び暗い路地へと戻る。レンガに挟まれた路地は人間の生活臭に満ちているが、戦場の臭いよりは遥かにましで、今はむしろ守るべきもののように感じた。見上げれば一階部分よりも幅広い木造の二階部分が青空をさらに狭めていて、入り組んだ路地のどこからか遊ぶ子らの声が響いてくる。井戸端で洗い物をしながら談笑していた女性たちは横目に二人を警戒して声を潜めた。路地を抜けて大通りに出ると同時に大聖堂の鐘が夕刻を告げる。「急ぎましょう」と、エルンストが足を速めた。


 プレストン大学は町の中心部から離れた郊外にあり、大聖堂と比べれば新しいが歴史ある建造物だ。石積みの壁に囲まれた敷地は広く、鐘楼のある大きな建物が本堂で、他にも数棟の家屋に畑や家畜小屋もある。外界と隔たれた小さな荘園といった雰囲気はギャレットに東方の修道院を思い起こさせた。鉄枠の門をくぐった二人は道に沿って本堂へと進む。学内には徒弟らしき若者の姿もあるが、エルンストは人目を避けようとせず、軽く会釈しながら通り過ぎていく。なるほど、彼が連携役を担っている理由の一つは学内を歩いていても全く違和感がないからだろう。


 先導するエルンストは本堂の大階段を上がり、西日の差す翼廊の途中にある扉の前で立ち止まった。


「教授。エルンストです。客人をお連れしました」


「おお、入ってくれ!」


 返事とともに、ドタバタという物音。一拍置いてからエルンストは扉を開いて、ギャレットに道を譲った。「わたしは外で待っています」


 その部屋の中へ入るのをギャレットは思わず躊躇した。本棚と巻物棚が並ぶ狭い部屋。机の上から床にまで本や巻物が領土を広げている。足の踏み場に迷うというのもあるが、あまりにも場違いなところに来てしまったように感じられたのだ。ここには血も、鉄も、死臭もない。あるのは本と、インクと、羊皮紙と紙のにおいだけ。嗅ぎなれない空気にむせってしまいそうだ。奥にある小さな円窓は茜色に満たされ、室内は薄暗い。机で何か作業していたらしい白髪の中年男性が先端に眼鏡の付いた棒を握ったまま出迎えた。


「おおお、貴卿が噂のギャレット殿か。ささ、どうぞ中へ」


 今まで全くの無縁だった異世界に恐る恐る足を踏み入れながら、ギャレットは扉を閉めた。


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