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竜去りし地の物語  作者: 権田 浩


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自由騎士 6

 西部でも西端にあるシアスノーの町の郊外まで行くと、大陸の終わりと形容するに相応しい景色がみられる。巨大なスコップで削り落としたかのような断崖絶壁が五〇〇マイル以上続く不自然な地形。打ちつけられては砕ける波飛沫が崖上にまで届く灰色の断崖は植生に乏しく、荒涼として寂しい。長い間、これより西の海には島も無く、いずれは世界の果ての大瀑布に至ると信じられてきた。この世界が球体だと知られてからは、イスタニア大陸の東の果てに到達するはずだと分かってはいるものの、それを確かめた者はいない。


 年間を通して日照の少ない地域で、ギャレットが戻ってきたその日も空は雲に覆われていた。断崖へと続く下り斜面の上までぽつぽつと届く白い泡飛沫は、見た目こそ名残り雪のようだが、強い潮の香がする。この殺風景な場所に相応しく廃墟同然だった風車小屋もだいぶ修繕が進んでおり、外壁の隙間はふさがれ、折れて歪んだ羽の骨組みは新品と取り換えられていた。窓から漏れる暖かそうな光は、この風車と所有者が〝生きている〟証だ。


 風車の陰に馬を寄せて、まだ吊ったままの左腕を庇いながら下馬したギャレットは旅の埃を払い、正面扉をノックした。反応がないのでもう一度。


「失礼。ザックス商会の当主どのがこちらにおられると聞いて伺いました」


 室内で物音がして、しばらく待つと、扉がわずかに開いた。ギャレットでも見上げる位置にある細長い顔を見ると一年前の色々な出来事が脳裏をかすめる。が、それはお互い様のようだった。苦い表情を浮かべつつ、ザックス商会の当主ヴァルター・ザックスことヴィルヘルム・ベッカーはうなずいた。


「ギャレット……世間的には、お前は騎士で私は平民なのだ。もっと貴族らしい態度で接せねば」ギャレットが何か言う前にヴィルヘルムは扉を押し開いた。「さっさと入れ。今日はまるで冬に戻ったような風だ」


 中の様子は外観以上に変わっていた。蜘蛛の巣だらけだった風車の軸は綺麗に磨かれ、古い軸受けは溜まっていたネズミの糞ごと破棄されて新しくなっている。小さな暖炉は元々あったかどうか覚えていない。その反対側の壁際に折り畳まれて積まれた大きな帆布は風車の羽にかけるものだろう。中二階の端には材木が立てかけられ、通路には職人の物と思しき大工道具が置かれている。


 ヴィルヘルムは杖をついて木くずを蹴散らしながら資材の間を抜け、作業台の小さな椅子に腰を下ろした。扉を閉めたギャレットは杖で指示された腰掛椅子に落ち着く。


「どうだった、南部は?」


「一言でいうなら、占領地ですね。帝国軍はブラックウォール城を拠点に徴発したものを再分配して、新たな属領民に誰が支配者なのかを理解させようとしています。彼らの手を掴もうとしない一部の人民は寄る辺なく取りこぼされていました。占領初期にありがちな、下種な兵士も何度か目にしましたよ」


 話を聞きながらヴィルヘルムは木製マグを引き寄せ、ワインを注いで差し出した。


「で、その下種な兵士を相手にそんな怪我を?」


「あ、いや、これは戻ってくる途中に竜割山の古道近くの村で。むしろ南部よりこちらのほうが深刻ですよ。村人が帝国軍の物資を盗んで、村を焼かれる事態に」


 ヴィルヘルムは額に手をやってため息を吐いた。


「はぁ、やはり、村が焼き討ちされた現場に自由騎士が居たという噂は本当だったのか……」


「え、もう話が伝わってるんですか」


「だから言っただろう。情報を集めてやるからここで様子を見ろと。だのにお前は王都の戦いから戻ってきてすぐに出て行った。高い授業料を払ったな。動けばいいというものではない」


 思わず、ギャレットはヴィルヘルムの不自由な脚に目をやった。赦された過去かもしれないが責任を感じなくなるわけでもない。だがその話はもう、お互いに掘り起こすべきではない。受け取った木製マグをあおると、皮ではなく木の香りがするワインは久しぶりなのに、苦く感じた。


「おれは……ブランに停戦を強要して戦争を終わらせた。だからその結果を自分の目で確かめなければいけないと思ったんです。時代の節目で犠牲になる人々がいるなら、彼らのために剣を振るうべきだと」


 眉間にしわを寄せてヴィルヘルムは木製マグを奪い取った。


「ずいぶん鼻息の荒いことだ。騎士になったばかりの頃のゴットハルトを思い出す」


 その名もまた、二人の間に横たわる影を色濃くする。ギャレットの脳裏に浮かぶのは、燃える街を背負って馬上に佇む甲冑の騎士。苛立ちと後悔が胸の奥で燻る。ヴィルヘルムはもう弟の死を、棚に記念品を並べるかのごとく思い出へと変えてしまったのだろうか。


「お前の合理的な判断は、くやしいが、いつも正しかった。自分の命さえ他人事にしていて……いや、きっとそれゆえに。しかし王都の戦いから戻ってからというもの、まるで何もかもが自分の責任であるかのように言う。お前は自分が戦争を終わらせたと言うが、客観的にみて、どうだ。本当に戦争は終わったといえるのか。本当に南部を走り回ることがお前のやるべきことだったのか?」


 ギャレットは吊った左腕に視線を落としたが、それほど長くは考え込まなかった。


「戦争がまだ終わっていないのだとしたら……おれが果たすべき役割が他にあるかもしれません」


「そうだな。そして、そう思っているのはおれだけではないようだ。マリオン卿がお前を探していた」


 ギャレットが目線を上げた。「……誰です?」


 さすがのヴィルヘルムもがくりと肩を落とす。「おい。本気で言っているのか。王の騎士団の団長候補にもなった、副団長のマリオン・マンハイム卿だ……まぁ、お前の非常識は今に始まったことではないが。いいか、剣を返上せよとの通告に反発して出奔した騎士は多い。マリオン卿は今、彼らを集めてファランティア騎士団と名乗る集団を率いている。おそらく、お前を団長に迎えるつもりなのだと思う」


「あのマントのせいですか」


 ヴィルヘルムに預けてあるストラディス家のマントは将軍――すなわちテイアラン王その人を除けばファランティア王国軍の最高指揮官――の証である。それを授けられたギャレットには後継者の資格がある、と考える者がいてもなんら不思議はない。


「それだけではないと思うがな。どうせお前には自覚などないのだろう」


 ヴィルヘルムは古傷がうずいたようにしかめ面をして、ギャレットから奪い取った木製マグをあおった。上下する喉ぼとけにギャレットは問いかける。


「もしかして、ファランティア義勇団についても何か知っていますか」


「義勇団に関心があるのか? ならば、いずれにせよマリオン卿と会うべきだ。ファランティア騎士団は義勇団と協力関係にあるらしい。お前が会いにいくと連絡しておこう」


「連絡できるんですか!?」


「むろんだ。お前が馬に乗って剣を振り回している間、風車の修理をしていただけと思うか」


 ギャレットは上背を起こして頭を下げた。「感謝します。ヴィルヘルム卿。とりあえずプレストンに行ってみるくらいしか考えていませんでした」


「その場合、彼らより先に帝国軍がお前に目を付ける可能性もあっただろう。おれも後から合流するつもりだから言っておくが、素性を知らぬ人前でその名を呼んでくれるなよ。それと……」


 ヴィルヘルムは木製マグにワインを注ぎ足して、ギャレットに突き出した。


「……おれは必ずブラックウォール城を取り戻し、ベッカー家の名誉を回復する。お前に手を貸してやるのはそのためだ。途中で倒れることは許さんぞ」


「わかりました」


「その誓い、守れよ、自由騎士」


 木製マグを受け取ったギャレットはその一言に目をぱちくりさせた。ヴィルヘルムが怪訝な表情をしても何も説明せず、ただニヤリとしただけだったので、訳が分からず彼は肩をすくめた。




 しばらくして手筈(てはず)が整い、ギャレットはストラディス家のマントを忍ばせてプレストンへと出発した。土地勘のない旅人がシアスノーの町からプレストンまで行くには二つの経路がある。西部高地の南の縁を回るように東へと向かってから北上する道と、北上してから東進して西部高地を横断する道だ。ヴィルヘルムに後者の経路を薦められ、ギャレットはそれに従った。帝国軍の西部支配の中心はあくまでも本隊のいるキングスバレーで、プレストンに駐留している部隊は小規模だが、人員や物資の往復があるため運悪く鉢合わせる可能性も無くはないからだ。


 荒涼とした西海岸の崖上を旅する間に目にするものといえば、点在する大小の岩石とわびしい草の緑、灰色の雲、砕け散った波の泡、そして羊飼いとヤギの群れだった。孤独を愛する羊飼いもいれば、耐えかねている羊飼いもいる。同道して同じ火を囲んだ羊飼いにそれとなく暮らしぶりを尋ねてみると、去年――つまり戦争前――と今とで大した違いはないということだった。この大陸の西端では戦争など遠く聞こえる対岸の喧騒に等しい。戦争に関する体験談といえば、知り合いの息子が召集に応じたものの、プレストンまで行って待機している間に停戦となり、何もせぬまま帰ってきた、というくらいだ。


 まだ群れを集めている途中だという羊飼いに別れを告げて東進し、高地に入ると、灰色の世界が突然に色彩を帯びる。どこまでも見渡せそうな澄んだ青空の下、遠く続く高地山脈の稜線。碧くさざめく草原に点々と咲く小さな花々が風に揺れるその様は、さながら地上で瞬く星々のよう。高地の花の控えめだが凛とした佇まいは西部人の気質を思わせる。春から夏にかけて生命力のままに繁茂する南部の草花とは違う命の有様が、ギャレットの目には新鮮に映った。


 高原の旅は穏やかに過ぎていく。そこに帝国の影はみじんも無かったが、プレストンへ近付くにつれて人々の話題はより明確になっていった。帝国軍による略奪――特別徴発という彼らの言葉を民は使っていない――と、村の焼き討ちの話は明らかに意図的な広まり方をしていたし、そこには必ずファランティア義勇団の名が付いて回った。


 低地のほうが季節は一歩先をいく。高地を下って森を抜け、ギャレットが川向こうにプレストンの町を見た時にはもう初夏の装いであった。


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