自由騎士 4
クロスボウ兵は鋭く尖った小剣を抜き、倒れた三人に止めを刺そうと近寄ってくる。ギャレットは無事な右手がまだ剣を握っているのを確かめ、いま動かなければ死ぬんだぞと身体に言い聞かせて目を見開く。そこに映るは炎を背負って立つ敵兵の影と、手にした刃の輝き。絶体絶命の窮地に陥った時、恐怖ではなく怒りに支配されるようギャレットは訓練されている。
敵兵の膝めがけて横から渾身の蹴りを入れると、ぐきゃ、という異音とともに曲がってはいけない形に曲がった。敵兵は悲鳴をあげてギャレットの上に倒れこむ。「ああ、脚が……脚がぁぁ!」
異変に気付いた敵兵の一人が仕留めた村人の死体を飛び越えて、「おいおい、何やってんだよ」などと声をかけながら覗き込んだ。膝を押さえてうめく敵兵の身体の下から、不用意なそいつの喉に剣を突き刺す。ごぼごぼと自分の血で溺れる敵兵ごと剣を手放して、小剣を奪い取り、わめくのを止めて恐怖に凍り付いた眼窩へ深々と突き入れた。
うなり声をあげて死体を押しのけたギャレットは猛然と立ち上がった。あとはとどめを刺すだけと思っていた直後、あっという間に二人の仲間を失ったクロスボウ兵はすっかり怖気づき、なぜか小剣を捨ててクロスボウに次矢を装填し始めた。それが間に合うわけもなく、ギャレットの小剣に急所を三突きされて倒れる。
後衛の三人が倒されたことに、獲物を前にした前衛は気付いていない。ギャレットは太矢が貫通した左腕をそのままに自分の剣を取り戻し、大股で接近すると、とても大雑把に、振り上げた〈勝者の剣または敗者の剣〉を敵兵の頭めがけて振り下ろした。直前で気付いた敵兵は、あっ、という顔のまま兜ごと顎まで両断された。
倒れ行く敵兵の背後を回り、草でも刈るように剣を斜め上へと切り払う。隣にいた帝国兵の肘を半ば切断するほど深々と切り裂き、血と悲鳴が派手に上がった。残る一人の帝国兵は帽子型兜の下で目を見張る。右腕一本でそんなことができる人間はそうはいない。踏み込んでくるギャレットに防御の構えをみせたが、突きと見せかけたフェイントに対応できず喉を切り裂かれて倒れた。腕を切られた帝国兵は何とか逃れようと足掻いたが、村人たちに殺された。
視線を感じて顔を向けたギャレットは、三人の帝国兵をつれた分隊長と思しき男――馬宿にいた――と目が合った。自ら火をつけて回っていたのか、松明を手にしている。
次の獲物を定めたギャレットがふらりと向かってくるのを見て、「ひっ」と後退り、『おっ、おまっ、お前は何だ、何者だ!』と帝国語で誰何する。どうやら一部始終を見ていたらしい。
『おれはファランティアの自由騎士だ。ゆえに、お前らの所業を赦しはしない』しかし、その声は届かなかっただろう。
『動くな!』分隊長は叫んで、背後の兵から子供を受け取って抱え込んだ。小剣を抜き、小さな顎の下に突きつける。『剣を捨てろ! こいつを殺すぞ!』
炎に照らされて恐怖に歪んだ二つの顔が浮かび上がる。
一つは分隊長の――エルシア大陸人の顔。
もう一つは少女の――アンネの顔。
我に返ったギャレットは、怒りに任せて暴走した自分に気付いた。帝国兵は盗賊の正体が農民と知っていて侮っていた。隊を細かく分けて女、子供、老人ばかりの村を焼き討ちし、慌てて戻ってきた村の男たちを待ち伏せして殺すだけの簡単な仕事だと思っていた。だのに六人が殺されてしまい、しかも、そのほとんどを片腕しか使えない男が一人でやってしまった。返り血に塗れ、冷たい殺意をみなぎらせたギャレットの姿は炎の中から突然現れた怪物のように映っただろう。
『は、早くしろォ!』
こんな時どうすべきかを、ギャレットは理解している。
しかし、自由騎士とは民に仕える騎士だ。
そして、戦争は終わった。
未来に残すべき命を選択するとしたら、それは――。
ギャレットは剣を差し出すようにして、ゆっくりと、柄を掴む手を開いていった。近くの村人たちはどうしていいか分からず、ただ成り行きを見守っている。その時、鋭く、切実な声がすぐ後ろで聞こえた。
「許せ……!」
いつの間に構えていたのか、ビィンと弦が鳴った。ギャレットの耳をかすめて飛んだ一本の矢が、軸を回転させながら飛んでいき、アンネの胸に吸い込まれていく。その一射に動揺しない者はその場に一人もいなかったが、最初に反応したのはギャレットだった。剣の柄を握りなおして、だっと駆け出す。
帝国軍分隊長は、ぐったりした子供が腕の中から滑り落ちていくのを見ていた。左右にいる二人の槍兵は迫るギャレットに反応して槍を突き出したが、右の兵士は狙いが定まっておらず、揺れる穂先は空を突く。だが左の兵士の突きは的確で、身を捻って躱さなければ腹部を貫いていただろう。躱されたとみるや、槍をぐるりと回転させて石突でギャレットの頭部を打ち据えようとし、自由騎士はその一撃を剣で受け止めた。衝撃が腕を伝い、脈動する左腕から全身に激痛が走る。少女まであと数歩という所で足を止められてしまった。
「なにしてる! いけ! 自由騎士に続け!」
矢を放った男が、アンネの父親の声で叫んだ。村人たちは我に返って鬨の声を上げ、わーっとギャレットに合流すべく突進する。乱戦へと突入する直前の、一瞬の隙をギャレットは見逃さなかった。石突を戻す動きに乗じて左の兵士に接近し、吐息が触れ合うほど肉薄すると、カミソリのように鋭い鋼の刃を相手の首筋に押し当てて一気に引いた。兵士は槍を手放して、血の溢れ出る首を押さえながら両膝を付く。
隙ありとみたか、背後から斬りかかってきた帝国軍分隊長の動きは予想通りで、ギャレットは身体を半回転させて〈勝者の剣または敗者の剣〉を気合の声とともに横薙ぎに振りぬいた。夜空に帝国軍分隊長の首が舞う。
残った帝国軍兵士は顔を見合わせると慌てて逃げ出し、怒りに燃えた村人たちは追いかけようとしたが、散っていた帝国兵士らが合流してきたのを見て踏みとどまった。班長らしき一人がすばやく惨状を見て取り、『退却、退却ぅ!』と叫ぶ。帝国兵たちは盾を構えたまま、逃げてきた味方を迎え入れつつ後退していった。
そうして戦いは終わった。心身ともに限界を迎えたギャレットはその場に膝をつき、地面に横たわるアンネを見つめて「くそっ!」と己に悪態をついた。




