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竜去りし地の物語  作者: 権田 浩


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自由騎士 3

 帝国兵の視界の中へ飛び出そうとするアンネを捕まえつつ、ギャレットは剣を手に夜の寒村を静かに駆け抜けた。家の中には人の気配もあるが息を潜めている。身を隠せる場所は少なく、におい立つ畑の(うね)の間を腹ばいになって進むこと三度、アンネとともに村の西端までたどり着くと、そこからモミ林へと忍び込んだ。


 昇り始めた月の明かりが薄っすらと、重なるモミの葉と春の草花をふちどっている。夜の森でもアンネは迷わずに進んでいった。目をつぶっても歩けるほどに熟知しているようだ。


 ギャレットは少女の背中を追いながら、これから何が起こるのかをこの娘は理解しているのだろうかと、ふと思った。否。しっかりした足取りは自分が重要な任務に就いているという自覚の表れだが、何が起こるか分かっていないからこそのものでもある。子供の頃、剣を抱えて戦場へと行進していく自分もきっと同じだったに違いない。


 モミ林はそのまま山麓へと続いている。獣道を辿り、茂みのトンネルを抜け、岩の間を登っていくと、突然アンネの姿が消えた。立ち尽くしたギャレットに、「こっち」と少女の声がする。見れば岩と岩の間から白く小さな手が伸びていた。子供なら頭を低くすればいいが、大人では四つん這いでなければ通れないような隙間をくぐっていくと、水と人間のにおいが漂ってきた。


 いち早く抜け出たアンネがギャレットの顔に土をかけて駆け出していく。


「父ちゃん!」


「アンネ!?」


 土を振るい落として外へ出ようとしたギャレットだったが、出口を刃で塞がれてしまった。


「待て、おれはファランティアの自由騎士でギャレットという者だ。馬宿の女将から伝言を頼まれた」


 村人でその名を知っている者はおらず、身の証はアンネの「本当だよ!」という言葉だけだったが、村人たちはいちおう信じた。ギャレットは剣を先に外へ放り出し、抜け道から這い出る。そこはいわゆる隠れ谷だった。


 上にいくほど狭まっていくような切り立った崖に挟まれた谷底は意外に広く、数十人はゆうに入れる。清流を一部堰き止めて造った人工池のほか、転落防止に渡された縄や幅一人分の板の橋、開墾された一角など明らかに人の手が加えられていて、奥まった崖下には作業用の道具や寝具などもあった。そうした様子が点々と置かれた小さな火によって闇の中にぼんやりと浮かび上がっている。


 飢饉などの非常事態に備えてこうした場所を密かに整備している村もある、と聞いたことはあったが、目にするのは初めてだった。しかし本来であれば魚で溢れているはずの池も、作物が育っているはずの畑にも、何も無い。代わりにこんな場所では見慣れない袋や包みが積んであった。村人が素早く視線を遮ったが、ちらりとでも帝国の紋章を見逃すギャレットではない。


 武器を手にした村人たち一一人に囲まれても、前に手を組んだまま動じないギャレットの態度は彼らを不安にさせたようだった。そわそわと落ち着かない様子の男たちの向こうから、アンネを抱え上げた背の高い男が問いかける。


「伝言ってのは?」


「今夜は村に戻るな、だそうだ」


「なんだって? そりゃどういう……」


「村に帝国軍の兵士が来ていた」


 ざわり、と明らかに村人たちは動揺した。互いに顔を見合わせる。


「そこにある物は……帝国軍から盗んだのか?」


 それに答える村人はいなかった。彼らは武器を手にしたまま慌ただしく抜け道へ飛び込んでいく。アンネも父の腕から飛び降りてそれに加わり、父親もまた心ここにあらずという表情のまま後に続こうとした。ギャレットはその腕を掴む。


「待て、行くな。他の連中も止めるんだ。女将さんはもう覚悟していた……」


 アンネの父は乱暴に腕を振り払うと、抜け道に飛び込んでいった。仕方なくギャレットも自分の剣を拾って追いかける。


 隠れ谷を出てさらに山麓を登ると、異変は誰の目にも明らかとなった。黒々としたモミ林の向こうで夜空を照らす赤色光。星を隠す白煙。微かに届く、キツネの鳴き声に似た甲高い声。村の男たちは全員が我先にと駆け下りていく。


「おい、待て。もう……」無理だ、と言っても無駄だろう。ギャレットは口を真一文に結び、彼らを追いかけた。


 村まで全速力で駆けていく彼らはモミ林を抜けるまでにバラバラと解けていった。前方にはつい先ほどまで家だった篝火が燃えさかり、断末魔の軋みを上げて崩れていく。炎を背にして立つ三人の人影は、先行した足の速い村人ではない。それは彼らの足元に倒れているほうだ。


 長い距離を走ってきたにもかかわらず、故郷を焼かれた村人たちは怒声とも悲鳴ともつかない叫びを上げて突っ込んでいった。前衛を構成する三人に向かっていく者もいれば、自分の家に向かう者もいる。完全に統制の取れていない集団の中で冷静なのはギャレットだけだった。燃える家々――またこんな場面を目にするなんて、という想いは心の外側に置かれ、感傷から皮肉へと変わる。


 帝国軍の班構成は六人が原則。前衛が三人ということは、後衛がどこかに隠れているはずだ。さっと目を走らせると、一番手前にある物置小屋が目についた。敵を避け、村の中へ向かおうとするならその前を通過する位置にある。現に村人が二人、そちらへ走っていた。


「待て!」と呼びかけても止まるはずがない。ギャレットは離れていこうとする近くの村人の腕を掴んで強引に引き留め、「来い!」と有無を言わさず命じた。その瞬間、ババンと聞きなれたクロスボウの発射音が重なり、見ると二人の村人が身体を不自然に折って倒れゆくところだった。予想通り、物置小屋の影に三人の伏兵がいる。隠れている必要もなしと判断したか、三人は物陰から姿を現して次矢の装填に入る。


 目の前の出来事に足を緩めた村人の背を叩き、ギャレットは二人を引き連れてクロスボウ兵へ突進した。物置小屋は少し高い位置にあって斜面を駆け上がらなければならない。次矢は阻止できないだろう。狙いは村に戻ってくる後続の村人たちだったが、接近するギャレットたちに気付いた敵兵の一人が声をかけて三人とも狙いを下向きに変えた。


 死をもたらすクロスボウの発射音が響き、ギャレットは衝撃とともに打ち倒された。太矢が上腕部を貫通している。痛みを無視して立ち上がろうとしても身体がそれを拒否した。苦痛が電撃のように全身を走って目の前で火花が散り、うめき声がもれる。


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