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竜去りし地の物語  作者: 権田 浩


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自由騎士 2

 旧ファランティア王国領の南部から西部までの道のりで最も一般的なのは、南部のブラックウォール城から王都ドラゴンストーンまで伸びる〈黄金の道〉を北上し、王都手前の大交差路から西部街道に入るというものだ。しかし〈黄金の道〉は帝国軍に支配されている古都キングスバレーを通るため、ギャレットには都合が悪い。


 北部から南部まで縦断する大河シオンタールを遡上して西部街道付近から上陸し、陸路を行く方法もあるが、定期便は動いていないし、いざという時に逃げ場もない。


 そうなると残るは竜割山の西側を通る古道しかない。伝説によれば、ドラゴンが山を割って〈黄金の道〉を開通させるより以前に使われていた街道だという。山麓に沿って蛇行する険しい道だが、主要な街道を避けて西部へ入れるというのも都合がいい。寂れた道で人里からも離れているため、食料と寝床の確保が難しく、危険も多いという不都合はあるが。


 乾物を口に含んで咀嚼するだけの食事と人気のない山道に嫌気がさしたギャレットは、南部へ向かう途中に見かけた村へ立ち寄ることにした。竜割山の西側の裾野にひっそりと佇む村は新緑の木々の合間に見つけることができる。古道が使われていた時代なら宿場になりそうな位置でもあるし、旅人を受け入れてくれる可能性はある。ギャレットは街道から伸びる寂れた小道に馬首を向けたが、これが不用心だった。


 夕暮れの小道、馬がブルルと鼻先を振る。よしよし、とギャレットは首筋を撫でながら耳元で囁いた。「大丈夫だ。落ち着け」それは自分自身に向けた言葉でもある。もっと注意深く様子を探ってから村の入口まで進むべきだった。いま反転するのは得策ではない。


 蒼い薄闇に包まれた寒村にはいくつか光が見えるものの、仕事を終えた男たちの姿も無く、軒先の洗濯物はそのままになっている。古道に近いほうを村の入口とするならば、近い場所に馬宿らしき建物があった。営業しているのかわからないが、窓の隙間から明かりが漏れている。


 ギャレットは馬を下り、屋根のある馬留に止めてから荷物を担いでキィキィときしむ扉を開けた。古ぼけてはいるが馬宿には違いない。何人もの人間が行き来して凸凹に歪んだ土間。奥に台所があって、その手前にカウンターがある。二階への階段と入口との間に取って付けたように真新しいテーブルとイスが置かれていた。


 カウンターの前にいる女将は三〇歳前後だろうか、愛嬌のある大きな目に笑い皺の残る、人好きしそうな顔をしているが、いまは驚きと緊張で凍り付いている。


「何が起こっている? 松明の炎がみえたが兵士のようだった」


 ギャレットの言葉で呪縛から解放されたように、女将はハッとして素早く身を寄せ、ささやく。「帝国の人じゃないの? なら早く行ったほうがいい」


「いや、もう遅い。不自然だ。後を追われたくない」


 女将はガチャガチャ音を立てるギャレットの荷物と腰の幅広直剣(ブロードソード)に目をやった。ファランティア騎士の長剣ではなく、北方の戦士が使うような剣だということまでは知らないだろうが。


「おれはファランティア王国の自由騎士でギャレットという」


「とにかく鎧と剣はまずい。帝国軍が来てるんだ。渡して。台所に隠しておく。アンネ!」


 台所からひょいと六、七歳の娘が顔を出した。女将が鎧の入った荷物を奥へ持って行ったので、ギャレットは剣帯を外して娘に手渡した。まだ少年と言っても通用する顔立ちの娘は両手に抱えた剣を興味深けに眺めたが、女将に呼ばれて奥へと戻っていく。入れ違いに出て来た女将は台所奥の通用扉を指差した。店先に人の気配がしたので、ギャレットはフードを被ってカウンター席に座る。剣を抱えた娘が裏口から出て行くのと、馬宿の正面扉が開かれたのはほぼ同時だった。女将が上ずった歓迎の声で出迎える。


「あらあら、どうも、お役目ご苦労様です」


 ギャレットは背後に気を配った。三人の武装した男たちが鎧を鳴らしながら新しいテーブルにつく。


『この店で出せる一番良い食い物と酒を三人分だ』


 帝国語が理解できずにきょとんとする女将に、男は片言のファランティア語で言い直した。


「食べ物、酒、最高」指で三を示す。


「ああ、はい、三人前ですね。少しお待ちを」


 女将は台所へ入っていき、三人は帝国語で会話を続けた。


『共通語は通じんようだ』


『テッサニアではあまり不自由を感じませんでしたが』


『おもての馬、あの男のものですかね?』


 うなじに視線を感じながら、外套の下でギャレットは腰に手をやった。そこに剣が無くとも気持ちが整う。一人が立ち上がりかけたが、上官らしき男が腕を掴んで止めた。


『やめておけ。話すだけ無駄だ。どうせ共通語は通じん。しかし思わぬ戦利品が手に入ったな。あの馬はこの村で一番の価値がある』


『確かに』


 そこへ女将が料理を持って出て来た。兎肉の入ったカブのスープとパンをテーブルに並べ、マグにワインを注いでボトルを置く。まさにギャレットが渇望していた温かい食事。思わず残り香を追って振り向きそうになる。


「どうぞお召し上がりください。ちょっとお客さんを二階に案内してきますんで。すぐに戻りますから」


 身振り手振りを加えて話す女将。エルシア大陸人たちも何となく理解したらしく、好きにしろといいたげに手を払った。カウンターへ戻って来た女将はギャレットの袖を引く。


「どうぞ、お客さん。部屋は二階だよ……さ、早く」


『おっと。女将のオトコだったか』


『最後のお楽しみってやつだな』


 下卑た薄ら笑いを無視して、ギャレットは女将に続いて階段を上がった。最後にちらりとフードの奥から覗き見る。三人とも間違いなく帝国軍で、剣帯の飾りは一兵卒のものではない。話しぶりから察するに一人が上官だとすれば、あとの二人は六人構成の班を率いている班長ということになり、少なくとも一三人の兵士がこの村に来ていると推測できるが、この場にいない班長がいてもおかしくない。


 二階は物置を片づけて寝床を用意した、というふうだが、散らかり具合からしてギャレットや下の三人のためというわけではなさそうだった。床に残る、見慣れた黒い染みが警戒心を煽る。女将に押されるようにして二人は窓際に近付いた。外は日の名残りも去り、地元の人間でもなければ明かり無しには歩けない暗さだ。


「騎士様、お願い」女将が小声で素早くささやいた。「近くの谷に男どもが隠れてる。村に戻らないよう伝えて。娘に案内させる」


「何をしたんだ?」


「それは男連中に聞いて。この高さなら飛び降りられるだろ?」


 窓の下を覗くと馬宿の裏だった。ギャレットの剣を抱えた娘がこちらを見上げて待っている。


「あんたが行くべきだ。下の連中はおれが何とかする。あいつらは……」


 女将は首を左右に振った。


「わかってる。アンネをお願い」


 暗闇の中でも、潤んだ瞳には覚悟が宿っているのが見て取れた。自分の運命を知っている目だった。


「……いいのか、本当に」


「うん」と女将がうなずくや否や、ギャレットは窓枠を飛び越えた。


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