自由騎士 1
踏み込むごとにパキパキと小気味良い音を立てて霜が折れ、ごくわずかに足が沈み込んでいくのを感じながら、ギャレットは剣を振り下ろした。鋼と鋼が激突して火花を散らし、冬の空気を振るわせる。剣を籠手で支えながら、その重く鋭い一撃を受け止めた帝国兵士はうめいた。ギャレットがさらに力を込め、帝国兵士に片膝をつかせる。波紋の浮かぶ名剣の刃に追い詰められた兵士の横顔が映る。
「き、きさまは何者……なぜ、こんな……」
苦し紛れの帝国語に、ギャレットは同じ言葉で返してやった。
「おれはファランティアの自由騎士だ。ゆえに、お前らの蛮行を見過ごしはしない」
ガチガチと鋼が拮抗する音を耳元で聞きながら、帝国兵士は勝てないと悟った。近くに倒れている二人の仲間が生きているうちに逃げればよかった。いや、それ以前に、野宿しているテストリア人の母娘を見つけて憂さ晴らしができるなどと思わなければよかった。女の悲鳴に騎士が駆けつけてくるなど、子供の頃に聞いた物語のような出来事が現実に起きるなんて。そのうえ、自分が悪役だなんて。
「くそぁぁああッ!」
自分自身への怒りも込めて咆哮し、帝国兵士は剣を完全に押し戻した――が、それはギャレットが斜め後ろに一歩半、退いたからだった。勢いあまって前のめりに両手をついた兵士は首を差し出す罪人のような姿勢になり、直後、自由騎士の一振りがそのように処した。男の瞳が最後に映したのは、蔑みの眼差しで見下ろす子供の頃の自分だった。
ギャレットは首を失った遺体が見えないように外套をめくり上げて隠したが、母娘はそんなものを見てはいなかった。母親は死んだ兵士から外套を剥ぎ取るのに夢中で、幼い娘のほうは所持品を漁っている。一年に満たないわずかな期間であっても、戦争と飢えが子供をそのように変えてしまうことを彼はよく知っていた。他の死体から二人が必要としそうなものを集めて渡してやる。
「大丈夫か?」
母親はギャレットの肌色を見ながら、外套の前をきつく合わせて乳房を隠した。
「あ、ありがとうございました、その、騎士さま……?」
「ギャレットだ。生まれは外国だが、正真正銘、ファランティアで自由騎士の叙勲を受けている。君らにはまともな服と食事が必要だな。ブラックウォール城へは行かなかったのか?」
母親はおびえた瞳で汚れた髪を左右に振った。「まさか! あいつら、そうやって私たちを誘い出して……城にいる帝国騎士は人間を串刺しにしてその血肉を喰らうって……」
「それはただの噂だ。城下の難民居留地には雨をしのげる天幕もあるし、わずかだが食事の配給もある」
とはいえ、そんな噂が現実味を帯びてしまうような光景をこの母親は――もしかすると娘も――見てしまったのだろう。今回の戦争で最も多くの略奪が行われ、鉄串が使われたのがこの南部だった。
「ここは……霜が降りる前なら良い隠れ場所だったかもしれない。が、火を使えば街道から煙が見える」
ギャレットは木立の中を見回した。かつてジョンがクララとともに行ってしまった、あの場所によく似ている。一つの農場で起きた惨劇があの娘を変え、ジョンや帝国兵士までも巻き込んで死を巻き散らし、友と呼べたかもしれない男たちを殺した。その責任は、やはり、自分にもあるのだろう。
「城に行くのが嫌なら……そうだな。放棄された荘園に何人かの地元民が集まっている。事情を話して合流するといい。おれも一緒に行こう」
娘を前に乗せてギャレットは馬上の人となり、木立を離れた。旧ファランティア王国南部は雪こそまれにちらつく程度だが、よく晴れた日は北部よりも寒くなる。今日はまさにそんな日で、雲一つない真っ青な空は地上からすべての熱を奪っていくかのようだった。昼になっても足の下で霜が鳴り、葉を落とした木々は立ち枯れたように不気味で、見渡す限り生命の気配は感じられない。ギャレットの腕の間で娘がぶるっと震えた。厚手の鎧上着を着ていても、その下の金属の冷たさが伝わったのかもしれない。
「もう少しの辛抱だ。ほら、あそこがさっき話した荘園の屋敷だ」
籠手をしたままの手で折り重なる黒々とした平野の先を指す。白っぽい道が廃屋と小川を越えて緩やかに上った向こうに、屋敷の中庭にある大きなカシの木の先端が見え始めていた。
その屋敷の持ち主がどうなったかは分からない。略奪し尽されているが、建物は無事で、逃げたニワトリが数羽戻ってきていた。果樹は無事に見えるし、春になれば踏み荒らされた畑からも何かが採れるかもしれない。老若男女一〇人ほどが避難しており、ギャレットもここを拠点にしていた。接近してくる馬影を見て三人の男が間に合わせの武器を手に集まったが、自由騎士だと分かると安堵してそれを下ろした。
「どうも、自由騎士様。また人助けですか」禿げ頭の小柄な中年男がぺこりと会釈する。「おや、その子は……」
「街道の向こうにある木立に隠れ住んでいたが、帝国兵士に見つかってしまったんで、連れてきた」
「……エレーゼちゃん? もしかして後ろにいるのはドリスか?」
馬の尻に隠れていた母親がその声を聞き、ひょいと顔を覗かせて素っ頓狂な声をあげる。
「あれっ、アヒムおじさん! 戦争に行って死んだんじゃなかったの!」
「おお、やっぱりドリスだ」
「知り合いか?」
ギャレットが口を挟むと、ドリスという若い母親は瞳を潤ませてうなずいた。
「ええ、アヒムさんはご近所さんで……皆でお葬式までやったのに!」
アヒムは欠けた歯を見せてニカッと笑った。「へへへ、そりゃ悪かった」
ギャレットは幼いエレーゼを母親に預け下ろした。アヒムと顔見知りなら安心だ。すっかり警戒を解いた母親に対して娘のほうはあまり表情を変えず口も利かない。その理由には触れないほうがいいのだろう。
その晩は暖炉のある部屋に集まって野菜の皮と卵のスープを飲み、人々は互いの事情を語り合った。貴族の屋敷には十分な広さがあったが、無事な椅子は少ないため床座りだ。とろとろと燃える暖炉の火が、ほつれた毛織の服と、まだ緊張感を残す避難民たちの顔を赤く縁どっている。ここに身を寄せた人々のほとんどが何らかの形でギャレットに助けられたと知ってドリスは驚き、暖かい場所で娘を寝かせられることに改めて感謝した。ギャレットはぎこちなく「どういたしまして」とその感謝を受け入れる。
〝人々の感謝を受け入れ、己が誉とすることを学んでほしい〟
かつてのフランツの教えをギャレットはやっと実践し始めたばかりだった。
前途多難な人々のささやかな会食が終わり、暖炉の前から一人二人と去っていった。わずかな温もりを得てそれぞれの寝床へと向かう彼らを見送るギャレットの隣にアヒムが腰を下ろした。
「しっかし、こうして話してると騎士様は騎士様らしくないねぇ」
「おれはファランティア生まれのファランティア人じゃないし、生まれながらの騎士でもないんでね」
「やってることは昔話の騎士様みてぇなのに」
へへへ、と笑うアヒムにつられてギャレットの口元もほころんだ。
「で、明日からも人助けの旅を続けるんですかい」
「まぁ、そうだな、冬のあいだは。春になったら北へ戻る。そういう約束なんだ」
「あやや。騎士様にこの館の主になってほしいって言うつもりだったんだけど」アヒムは禿げ頭をぱちりと叩いた。「いや皆がそう言ってましてね。おれが伝える役になっちまって……けどま、そうですか。ずっとここにいてほしかったけど、お願いしても無理なんでしょうね。騎士様は誓いを破れねぇんでしょ」
ギャレットは目でうなずき、二人は互いにニヤリとしてみせた。酒杯でもあれば合わせているところだ。
「ここの連中のことはあんたが面倒を見てやってくれ」
「えっ、おれですか? おれは一介の農夫ですぜ」
「生まれながらの村長じゃなくても村長にはなれるだろ。なぁ、もし本来の持ち主が戻ってきたり、帝国軍がこの農場を接収しに来たりしたらどうする?」
「ここにいるのは行く当てもねぇ連中だから勘弁してくれってお願いしてみます」
「それは聞いてもらえないだろうな」
アヒムは力無く肩をすくめた。「でしょうけど。言うだけ言ってみて駄目ならもう、出ていくしかねぇです」
「それでいい。戦争は終わった。血を流して争う必要はない。来年は厳しいかもしれないが……できるだけ、その時に備えて蓄えを隠しておくといい」
「へへっ、そりゃ賢いわ」
やがて、柔らかな雲と暖かい雨がやってきた。盟約暦一〇〇六年も冬とともに終わろうとしている。地面に水たまりが残る雨上がりの朝、荘園の人々に見送られてギャレットは北へと旅立った。
※(補注)活動報告「ギャレットと剣」
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