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竜去りし地の物語  作者: 権田 浩


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花の姫君 3

 青い瞳に決意をみてとり、夫婦もまた覚悟を決めたらしく、立ち上がって居住まいを正した。


「これまでの無礼をお許しください。ハイドフェルト家のリーリエ様」二人揃って言った後、ハンナが続ける。


「姫様と出会ったのは偶然ではございません。わたしたち夫婦はファランティア義勇団の一員です。地下牢から解放される者がいないか、日々、見張っていたのです。そしてあの日、姫様をお見掛けして後を付けました。人目のない場所でお声がけするつもりでした」


「ファランティア義勇団!?」


「はい。わたしたち夫婦は以前から王都で暮らしておりますが、出身は西部です。今まで義勇団の一員として行動したことはありませんが、その時が来れば、と決心しておりました」


「でも……でも、どうやって?」


 その疑問にはクラウスが答えた。「抜け道を使います。ずっと昔に密輸業者が使っていた抜け道があることは、この地区に暮らす者ならみんな知っています。肝心の鍵がなかったんですが、西部の騎士たちが密輸業者の隠れ家を探し出し、手に入れてくれました」


「西部の、騎士……」


 いまさら、という想いがリーリエの小さな胸の奥で膨らむ。屋敷を帝国軍に徴発された時、プレストン市内の滞在用邸宅へ逃げるように移り住んだ時、そこをも取り上げられようとした時、西部の騎士たちは誰も助けに来なかった。だからリーリエは一人で王都まで来なければならなかったし、帝国の執政官に取り入ろうとしているマルティンの思惑に気づかぬふりをして、差し出された贈り物のように、恐怖を押し殺して、ヴィジリオに会ったのだ。そしてその結果がまさに、今なのだ。


 目をむいたリーリエの表情を驚きと誤解したか、クラウスは平然と話を続ける。「はい。西部の騎士が三人、王都に潜伏してます。いつも姫様のすぐ近くにいたんです。ともかく、計画はこうです……」




 いつものようにリーリエは汚物でいっぱいの桶を運んで廃棄場へやってきた。今日、リーリエはここで汚水の渦の中に落ちる。我が身を(はかな)んだか、単に足を滑らせたか、ともかくそういう話になる予定だ。ここへ敢えてやって来るような者はまずいないし、倉庫の裏手にある階段を下りた先の行き止まりなので、偶然の目撃者もないだろう。


 近くには手押し車から木箱や道具類を上げ下ろしている若者が三人いた。言われてみれば、解体作業場やここへ来る途中にちょくちょく見かけていたような気もする。三人は水掘のふちに立つリーリエをちらりと見てから、周囲にさっと視線を巡らし、素早く行動した。足元に降ろした長持を開いてゴミをかき分け、長剣を取り出し、足早にリーリエのもとに参じる。


「姫様。お助けに上がるのが遅くなってしまい、お詫びのしようもございません。エルンスト・キルシュでございます。いかなる叱責も受ける所存でございますが、ひとまず脱出が叶うまでは、わたくしにお命をお預けください」


「キルシュ家の……」もちろんその家名はよく知っている。ハイドフェルト家三本槍の筆頭。しかしリーリエの印象に残っているのは前当主のアンゼルムと長男のトーマスだけで、エルンストは何かの折に見かけたかもしれない程度だった。思い出せたのは、キルシュ家の次男は騎士にならず家名を捨てるのではないかという噂くらい。他の二人も続けて名乗る。三本槍の残り二家、アレンス家とボアマン家の者だ。


「では姫様、お急ぎを」エルンストが汚物の入った桶に足をかける。リーリエは思い出したように手袋を外し、エプロンとともに汚水の中へ投げ捨てた。エルンストが桶を蹴りだし、汚水へ落ちて音を立てる。目撃者は無くとも、この音を聞く者はいるかもしれない。


 その間、二人の騎士はリーリエが入る木箱を準備していた。密輸業者の抜け道は汚水路を通るため、リーリエの入った木箱を浮かせて騎士らが押していく計画になっている。内側は皮張りしてあるが、汚水が浸み込んでくるのを完全には防ぎきれないだろう。


「姫様、お手をどうぞ。少々窮屈ではございますが、しばらくのご辛抱を……」アレンスが手を差し出し、ボアマンが足場になろうと片膝をついた時、周囲から金属の擦れる音がした。三人の騎士はさっと顔を上げて剣に手をやり、リーリエを守るように立つ。


 倉庫と小屋の両側、そして階段の上に帝国軍兵士が姿を現した。濃紺の陣羽織(タバード)と、身長の二倍はある鉄製の串を携行した彼らは、紛れもなく鉄串隊。一〇人以上の隊員が周囲を取り囲み、西部の騎士らと睨み合うなか、どっしりした尻を白馬に乗せた男が小屋の影から姿を現した。帽子型鉄兜の下は脂ぎった丸顔で、尖った口ひげを指先で弄んでいる。


「ヒューバート隊長」妙に淡々とした声でリーリエが呟く。


「ばかな。どうして連中がここに」


「計画が漏れていた?」


「ありえん。このことを知っているのは我々とあの夫婦しかいないのだぞ」


 長剣の柄を掴んだまま騎士たちが囁き合い、最後にエルンストが絞り出すように言う。


「まさか、ハンナとクラウスが裏切ったのか?」


「そのような考えは捨てなさい」リーリエの毅然とした声が袋小路に響く。「あの夫婦が誰かを裏切ったり、陥れたりするはずがないでしょう?」


 馬上から悠々と見下ろすヒューバート隊長はにやりと笑った。


「リーリエ嬢のおっしゃるとおり。仲間を疑うものではありませんぞ。さて、こうなれば抵抗は無意味です。剣を捨てて投降なさい。閣下も恩情を下さるかもしれません」


「いいえ、騎士たち、ヒューバート隊長の言葉に惑わされてはなりません。無抵抗で投降したからといって閣下が恩情を下さることは決してない。あの御方は自らの言葉を決して違えず、信念を貫き通す。叛徒は鉄串と決まっているのです。せめて最後は騎士らしく戦いなさい!」


 彼女の言葉はハイドフェルトの声だった。三本槍の騎士は互いに視線を交わして剣を抜き、鬨の声を上げて駆けだした。アレンスとボアマンが先陣を切り、エルンストは一歩遅れてリーリエの手を引く。


「さぁ、姫様!」


「まって、わたくしは……」


 戦いが始まった。想定外の展開に目を丸くしたヒューバート隊長は「い、生け捕りにしろ!」と命じたが、それを実行するにはむしろ、この地形は包囲側に不利だった。戦意を喪失しない相手に対して鉄串はまさに無用の長物でしかなく、狭い街中では取り回しが難しい。クロスボウで殺さないように射撃する自信のある者もおらず、全員が小剣に持ち替えたが、そんなことをしているうちに二人の騎士は階段をほとんど駆け上がっていた。立ちふさがった鉄串隊員二名を斬り払って階段下へと落とす。


 倉庫の反対側にいた鉄串隊員が回り込んできたのを見て、ボアマンは身を挺して敵を防いだ。アレンスがうおーっと叫びながらヒューバート隊長の前にいる二人組に飛び掛かり、地面に押し倒す。


 二人が作った道を駆け抜けてエルンストは馬上のヒューバートを狙った。ひぇっ、と情けない声を上げつつ刃をかわしたヒューバートだったが、長剣のきらめきが目に入った馬は後ろ足立ちにいななき、どすんと馬から転げ落ちる。


 エルンストは強引に手綱を引き、「失礼つかまつる!」とリーリエの腰に手を回して鞍に放り上げ、自身は片足を(あぶみ)に掛けたまま馬の尻を叩いた。白馬は混乱するその場から抜け出し、エルンストは残った足を振り上げて立ち乗りのような姿勢になる。


「姫様、危のうございます、御身をもっとこちらへ。わたしの首にしっかり腕を回して」


「話を聞いて……」


 徐々に速度を上げていく馬上では従う以外になく、リーリエはエルンストの首に腕を回した。騎士は姫を腕の間に抱えて白馬の背に収まった。


「舌を噛みます、黙っていて。このまま白竜門を突破します!」エルンストは叫び、馬の腹を蹴る。


 白馬はぐんぐん速度を上げながら狭い路地の間を駆け抜け、汚水路を飛び越えて、その先の環状道路に飛び出した。街の人々が何事かと目を剥く。ぼろをまとっているものの、可憐な乙女を抱えて白馬の騎士が駆けていくさまは、陰鬱な時代を切り裂く吉兆のように思われた。追いかける鉄串隊が止まれと叫ぶ。ヒューバート隊長は顔を真っ赤にしてひぃひぃとそれに続く。蹄鉄を鳴らしながらブレナダン通りを右へ曲がれば、白竜門まではまっすぐだ。


 検問は厳重だったがこのような事態を想定したものではなく、向かってくる騎馬から逃げようとする市民の動きもあって、門前広場はにわかに混乱した。エルンストが驚くほど優れた乗り手であることはすでに証明されていたが、それでも避けきれずに何人か、通行人を跳ね飛ばしていた。


「止まって!」


 やっと口にしたリーリエの制止を騎士は聞いていなかった。興奮に目を血走らせ、口角泡を飛ばして叫ぶ。「いける、いきますよ!」


 槍を手にした衛兵たちが迎え撃とうと横一列に整列したが、エルンストはまたも見事に馬を操って槍を飛び越え、彼らを置き去りにした。まだ門が閉ざされる気配はなく、白馬の騎士を阻むものはもう何もない。と、その時、検問中だった荷車の牛が向かってくる騎馬に驚いて突然前進し、道を塞いだ。間一髪、馬体を横向きにして衝突は回避したものの、二人は白馬から放り出されて荷車に突っ込んだ。


 荷の野菜が衝撃を和らげてくれたが、白馬はそのまま門前広場をぐるりと回って街の中へと戻っていってしまった。追手はすぐそこ。エルンストはリーリエの手を痛いほど強く握り、腕が抜けそうなほど引っ張って、それでも門の外へ出ようと彼女を引きずっていく。


「やめなさい! やめて!」


 エルンストは強引にリーリエを抱え上げた。


「自由騎士団の仲間が待っているんです! 迎えに来てくれるはずです!」


 その血走った目は、もはや冷静な判断力を失っていた。たとえ仲間がいるにせよ、こんなにも予定外の行動をして対応できるはずがない。そんなことはリーリエでも分かるというのに。しかし彼は前しか見ていなかった。口元には笑みさえ浮かべていた。


「わたしはキルシュ家の当主です。最後のキルシュとして姫様をお助けする――」


 彼の賢そうな額を破って太矢の先端が飛び出ても、リーリエは悲鳴など上げなかった。血走った目が、瞼を閉じるように赤く染まっていく。クロスボウの一撃は後頭部から彼の頭を貫いた。リーリエに覆いかぶさるようにして、エルンストは前のめりに倒れた。


 リーリエがやっとのことで死んだ騎士の下から這い出た時には、鉄串隊も追いついてきていた。肩で息をするヒューバート隊長は発射済みのクロスボウを部下に放り投げ、のしのしと歩み出て手を差し出す。その汗で湿った手を取って、リーリエは立ち上がった。


「あ……ありがとうございます、ヒューバート隊長」


 二重顎に溜まった汗を滴らせ、鉄串隊の隊長はにんまりと微笑んだ。


「いえいえ、こちらこそ。よくぞ通報してくださいました、リーリエ様。おかげで義勇団の夫婦と叛徒二名を逮捕し、一名を処分できました。あなた様が地下牢の闇の中で誓われた言葉を、我輩はよく覚えております。閣下を裏切ってなどいない、これからも裏切ることはない、と……見事にご自身のお言葉に嘘はないと証明なさいましたね」


 リーリエはぎこちない笑みで応えてぬるぬるする手から逃れようとしたが、ヒューバートはがっちり掴んだまま離さず、笑みを貼り付かせて話し続ける。


「それから、こうもおっしゃっておられた。これからも閣下のお側を決して離れないと。もし……」


 ヒューバートはリーリエの足元を見た。


「閣下のいるこの都から、理由の如何を問わず……」


 リーリエも、ゆっくりと視線を足元に向ける。


「一歩でも門の外に出ることあれば……」


 ああ、今立っている場所は――


「陛下への裏切りと見做してくださっても結構です、と」


 ――門の外だ。


 リーリエは素早く手を引き抜き、バッとスカートをひるがえして全力で逃げ出した。軍靴の音が背後から迫り、肩甲骨の間に衝撃を受けて前のめりに倒れる。腕を押さえ込まれ、縄をかけられ、彼女は絶叫した。その叫びはいくつもの丘を越えて、遠く遠く、遥か西部にまで届いたかもしれなかった。


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