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竜去りし地の物語  作者: 権田 浩


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執政官 9

「城門前の暴徒は鎮圧しました。逮捕者は三〇名。取り調べておりますが、都民ばかりで義勇団とのつながりは見えません」


 ヴィジリオは青白い顔で、ダンカン将軍から報告を聞いていた。


「しかし、扇動した者が必ずいるはずです。教授の主張は正しいと思ったなどと申しておりますが、そんな理由で為政者に盾突くなど考えられません」


 ひどい顔色をしているのは怪我のせいではない。額の傷は実際のところ、派手な出血のわりに軽傷で、すでに血も止まっていた。傷ついたのはむしろ心のほうだった。命を狙われるという初めての経験。押し寄せる群衆の恐怖。信頼しあえる関係になりつつあると実感していたファランティアの人々――それが言い過ぎなら少なくともドラゴンストーンの人々――が突然反抗してきたこと。もしかしたら自分のほうが間違っていて、教授の言い分は正しいのかもしれないこと……。


「各門は封鎖し、都内には外出禁止令を出しました。暗殺者の狙撃地点もすでに押さえてあります。屋根の上で、使われた帝国製クロスボウもその場にありました。建物の所有者は拘束済みですが何も知らぬと申しております。現場は隣接する建物と距離が近く、高さも揃っているため、飛び移って移動することは可能とのことです」


 自室の応接間にあるソファで肘掛けに寄りかかり、ヴィジリオは昏い目でじっと床を睨んだままぽつりと言った。


「ダンカン将軍……わたしのしたことは正しくなかったのだろうか」


「自分は閣下のなさりようを評価する立場にありません」


「参考までに聞かせてくれ。将軍はずっと思うところがあったのだろう?」


 部屋の入り口に立つダンカンは少しだけ躊躇(ちゅうちょ)してから、侍従を外へ出し、扉をしっかり閉めた。


「では、無礼を承知でお答え申し上げます。閣下のなさりようは弱腰と取られても致し方なかったかと。懇親会に集まるファランティア人どもは閣下を利用し、操れると思い上がっているように見えました。叛徒どもの指導者と会うにしても対等な立場で話される必要などない。相手は犯罪者です。話すなら投獄してからでもよかったではありませんか。敵を増長させて良いことなどありません」


「敵か……」


「言うまでもなく閣下への攻撃は帝国ひいては皇帝陛下への攻撃です。もはや犯罪行為の取り締まりという段階ではありません。軍を動かし、徹底的に鎮圧すべきです。そのための部隊編成を許可いただきたい」


「それは――」


「もはや猶予はございませんぞ。対応の遅れは敵を利するのみ。次の攻撃の機会を与えてはなりません」


「つ、次の攻撃? まだわたしを狙ってくると?」


 当然でしょう、と言いたげに将軍は鼻を鳴らした。「ではせめて、マルティンを拘束して尋問する許可をください。今回の件にあの銀行家が一枚噛んでいるのは間違いありません」


 それを許してしまったら、今まで自分のしてきた全てが無駄になってしまうような、何かを決定的に失ってしまうような、そんな気がした。


「一日……いや半日……」ダンカンの表情は明白だ。「わかった、昼まで、考える時間をくれ……」


 将軍は言葉を飲み込み、さっと敬礼して退出した。


 ため息を吐きながらいつものように額に手をやって、包帯の感触に指先が驚く。額の裂傷は熱を帯び、ピリピリと引き攣るような痛みが残っているものの、大したことはない。だがもし、あと一歩前に立っていたら……。


 〝ひいては皇帝陛下への攻撃〟というダンカンの一言が、ファランティアの人民に裏切られたという失望に引火して燃え上がり、野火のように胸の内で広がってゆく。その中で苦しむ愚民たちは自業自得だ。差し出したこの手を愚かにも跳ね除けたのだから。しかしその暗い炎はやがてマルティンや懇親会の常連たち、リーリエ、そして自分自身の良心をも焼き焦がすだろう。


 〝そうしたファランティア人をファランティア人たらしめる文化を、あなたの融和政策とやらは土足で踏みにじる〟


 では、どうすれば良かったというのか?


 〝全ての悲劇の元凶はな、お前ら帝国が攻めてきたからなんだよ〟と、地下牢の男が答える。


 〝自らを解放者などと(うそぶ)欺瞞(ぎまん)を許してはなりません! 彼らの征服戦争はまだ終わっていない。より密やかに、より陰湿な方法で続いている――〟


 戦争は終わったのだ。間違いなく。戦争を続けているのはお前たちだけだ。平和を望む善良なファランティア人たちを戦争に巻き込もうとしているのはお前たちのほうだ!


 ドン、とひじ掛けに拳を振り下ろすと、将軍と入れ違いに戻ってきた侍従は驚いて足を止めた。ヴィジリオがそのように感情を表現するのは初めてだったかもしれない。


「か、閣下?」


 額の傷の痛みが気持ちを苛立たせる。頭の奥がズキズキする。ダンカンはおそらく正しい。しかしそれを許せば、いずれはリーリエにも害が及ぶ。こんな時、皇帝陛下ならどうする。必要なのは覚悟だけだとアマンダは言った。では何を覚悟すればいい?


「頭がひどく痛む」


「お待ちを。ただいま痛み止めの水薬をご用意いたします」


 侍従がバタバタと足音を立てながら陶器の瓶を持ってきた。器に水薬を注いで差し出す。この白濁した液体は覚悟を決めなければ飲み込めないほど不味い。


 また覚悟か――


 器を受け取って、ぐいと一息にあおる。


 覚悟とは――


「……ぐっ、げっ」


 なんだ?


「閣下?」


 喉が熱い――


「どうかなさいましたか?」


 い、痛い、痛い痛い、息が……できない――!


 喉を押さえて舌を出すヴィジリオの異常に、侍従は目を白黒させた。首が異様に筋張って、赤黒く染まっていく。


「だっ、誰か……」


 身を引いた侍従に、ヴィジリオはソファから転げ落ちるようにしてすがりついた。白目を剥き、黒ずんだ泡を吹くその顔を見て、侍従は叫んだ。


「ひぃぃっ、誰か! 閣下が! 閣下がぁぁ!」


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