私、死んだら異世界転生するんだ
「私さ、死んだら異世界転生するんだ」
夕日に包まれる公園の中。隣でゆくりゆっくり、ブランコを漕いでいた絵美ちゃんが唐突にそう話す。「何言ってんの?」という私の冷たい返事にも負けず、絵美ちゃんは話を続けた。
「よくあるじゃん。死んだと思ったら物語の世界に転生してて、自分は悪役令嬢になってるってやつ。転生した私は王太子から婚約破棄を言い渡されている最中で、このままいくと破滅まっしぐら。そんな時に前世の記憶を取り戻して、なんとかしようと頑張るの」
「何それ最悪じゃん。っていうか、なんで婚約破棄なんかされるわけ?」
「私は自分の婚約者にベタベタ近づくヒロインを注意しただけなのに、ヒロインが王子に泣きついたから勝手に悪者扱いされたの。だから私は全然何も悪くなくて、でも王子にはとっくに愛想が尽きていたから、『かしこまりました』ってだけ言って大人しく舞踏会からさっさと出て行っちゃうんだ」
宙を見ながら、歌うようにそう話す絵美ちゃんはどこか楽しそうだ。一方、私は「ドレス」「屋敷」という華やかな響きのある言葉の登場につい絵美ちゃんの今の姿をじっくりと見直してしまう。
絵美ちゃんの家は、たぶん貧乏だ。絵美ちゃんは華奢で、同年代の女子と比べても小柄だ。学校に着てくる服はいつも同じものばかりで、しかもちょっと薄汚れている。前に遊びに行った時、招待されたお家は古いアパートで絵美ちゃんのお母さんやお兄ちゃん・お姉ちゃんが姿を見せることはなかった。
仕方なく、私は手土産のポテチを開けて絵美ちゃんと一緒に大して面白くもないテレビを見ながら二人で色々とお喋りして帰ったのだけれど……私はわざわざ絵美ちゃんの「もしも」を否定するほど冷たい人間じゃないし、絵美ちゃんのことが嫌いでもなかった。夢見がちで、ご機嫌な表情をしている絵美ちゃんに私は「それで?」と続きを促す。
「婚約破棄された絵美ちゃんはどうするのさ。結局、王子はそのヒロイン? の方に盗られちゃったんでしょ」
「大丈夫。だってその婚約はもともと王家が頭を下げて結ばれたもので、私は王子のことなんて全然好きじゃなかったんだもの。貴族だから、政略結婚だから、ってずっと我慢してたけど婚約破棄されたら晴れて自由の身。だから私がお屋敷に戻ったら、代わりにお父様とお母様がものすごく怒って王家に抗議してくださるの」
「ふーん、それは良かったね」
絵美ちゃんのお父さんとお母さんがどんな人なのかは知らないが、娘が一方的に婚約破棄されて怒らない親はいないだろう。この場合の両親は絵美ちゃんの本当の家族じゃなくて、あくまでも絵美ちゃんが描く妄想世界の登場人物だが……転生予定の絵美ちゃんは「それでね」と自分の展望を話す。
「屋敷には『私たちはお嬢様の味方です』って言ってくれる優秀な侍女や侍従がたくさんいて、私はみんなを引き連れて次々に新しいものを作り出していくの。美味しいものとか、便利な商品とか。その世界になかった新しいものを、前世の記憶を使ってどんどん作り出していくんだ」
「へぇ、例えば?」
別に、興味があって聞いているわけではない。
ただなんとなく、相手のペースに合わせて耳を傾けているだけ。ありふれたテレビ番組を、ダラダラ惰性で見ているようなものだ。けれど話す絵美ちゃんの方にとってはそうでもないらしく、上機嫌で地面を蹴るとブランコの風に揺られながら「転生した」自身のそれからについて語る。
「まず、マヨネーズ! 酢と、卵と、油と塩コショウ。これさえあれは、世の中のものはだいたい美味しくなる! 値段が高いのがネックだけど、貴族向けに限定発売して大ヒット商品になるんだ!」
絵美ちゃんに負けじと、私もブランコを漕ぎ始める。心地よい風と共に、運ばれていく浮遊感。その合間に、私と絵美ちゃんの「異世界転生後ビジョン」を重ねていく。
「あれ、混ぜ合わせるの結構大変だけどね。他は?」
「次は社会保障! お金がなくて困ってる人が、きちんと働けるように学校を作ったりちゃんと治療を受けられるように医療制度に力を入れたりする! ついでに町の治安維持とかにも力を入れて、平民の人でも楽しく幸せに暮らせる社会を作るの!」
ブランコが勢いを増せば、風を切る音も強くなる。私と絵美ちゃんはそれに負けじと、ブランコのリズムに合わせて声を張り上げた。
「そこまでするのに周囲からめっちゃ反発されそうだけどね! それから!?」
「そうやって自分の領地を繫栄させた私は色んな人から愛されるようになり、そのうち『あの婚約破棄した王子の方が悪かったんじゃ……?』って空気になる! それで私を貶めた王子たちは、どんどん評判が悪くなっていくんだ!」
「まぁ、人前で婚約破棄する時点で相当だからね! それで!? やっぱり『ざまぁ』やっちゃうの!?」
「もちろん! でもその前に味噌とか醤油とか作って、日本食を再現したいな! その美味しさに目を見張った他の国の王子が、私に急接近してそのうち溺愛してくるようになるの!」
「簡単に言うけど、異世界に大豆あるの!? っていうか、食べ物の話ばっかりじゃん!!」
堪らずそう答えれば、お互い示し合わせたように私と絵美ちゃんは笑い始める。
ありえない話を、大真面目に話すのが楽しい。くだらない話を、二人並んで面白おかしく考えてみるのが楽しい。ありふれた――だけど、だからこそかけがえのないこの時間。そのキラキラとした、宝石のような空気を噛みしめていれば絵美ちゃんがぴたりと動きを止める。
「もし、異世界転生したら――残された人はどうなるのかな」
さっきまでのはしゃぎっぷりが嘘のように、大人しくなった絵美ちゃん。そのトーンの低さに、私もつられて地面に足をつけブランコを止める。
異世界転生、それは言い換えればこの世界での「死」だ。誰かが死んだら、当然それを悲しむ人が現れる。絵美ちゃんだってそうだ、絵美ちゃんのお父さんとお母さん、それに絵美ちゃんの友達である私も。絵美ちゃんがいなくなったら、堪らなく寂しいしきっと涙も止まらないだろう。
絵美ちゃんは他のクラスメートに「貧乏」とか「汚い」とかいじめられたりすることもあるが、すごく優しくていい子だ。本が好きだから頭もいいし、絵を描くのも上手い。私に可愛い絵を描いてくれたり、面白い本を教えたりしてくれるのはいつも絵美ちゃんだった。二人組を作る時はいつも絵美ちゃんと一緒で、他のクラスの友達といるよりも絵美ちゃんといる時が一番楽しくて……それをぐっと飲み込み、私は絵美ちゃんに答えてみせる。
「――そうなったら、私も異世界転生するかな」
「……杏ちゃんも?」
驚いたような絵美ちゃんに、今度は私が自分の「異世界転生後ビジョン」を語る。
「ほら、いるじゃん。優秀な侍女とか強い女騎士とか。あとは、噂より自分の目を信じる王女とかさ。そうなって、私が『悪役令嬢』いなった絵美ちゃんに会いに行くの。転生前の、今の記憶まで持ってるかどうかはわかんないけどさ……そうやって、また私たち友達になろうよ」
「……そうだね。ありがとう、杏ちゃん」
それだけ言い終えると、絵美ちゃんが急にブランコから飛び降りて私の方に向き直る。
「今日はもう、帰らなきゃ。それじゃ杏ちゃん、また明日!」
絵美ちゃんは私に向かって手を振ると、ランドセルを背負って私に手を振る。それに合わせ、私も立ち上がれば絵美ちゃんは去り際に明るく言った。
「私たち、来世も友達だからね!」
そのままこちらに背を向ける絵美ちゃんへ、私は手を振りながら言葉を投げる。
「今もこれからも、ずっと友達でしょ!」
走り去っていく絵美ちゃんの背中に、私は精一杯そう叫んだ。
◇
<小学生女児死亡><母娘無理心中>
<シングルマザー周囲に漏らした貧困と生活苦>
そんな言葉が、テレビや新聞を飾っている。学校にもたくさん、マスコミが押し寄せてきていて私も何か色々と話を聞かれたが……どれもこれも夢のようで、私はなんとなく現実感を感じられない。
「……嘘」
絵美ちゃんが死んだ。この世からいなくなった。
「……嘘だよ」
<生活に困ってるとは聞いていたけど、可哀想にねぇ……>
<子どもに罪はないだろうに……>
「……違う」
<辛いだろうけど、泣いてばかりいたら絵美ちゃんも悲しむだろうから……>
<杏ちゃん、元気出して。私たちと遊ぼう……>
「……きっと」
絵美ちゃんはきっと、異世界転生したんだ。
今頃、絵美ちゃんは「悪役令嬢」になって色々新しいものを作り出したり他の国の王子と恋に落ちたりして、幸せになっているはずだ。
だから今は、悲しむことはない……きっと、きっと絵美ちゃんは楽しく暮らしているはず……
「……だから、私も死んだら異世界転生したら絵美ちゃんに会いに行かなくちゃ」
何年後でも、何十年後でも。
私も死んだら、絵美ちゃんのいる世界に転生しよう。そしたら約束通り、絵美ちゃんを見つけて絵美ちゃんと友達になるんだ。
だからこれは、一時の別れ。きっと転生して、また会うことができるから……涙を流すことはないんだ。悲しみすぎることはないんだ。
「っぐすっ……ひっく……」
泣くのをやめられない自分に、私は必死でそう言い聞かせる。それでも、私は絵美ちゃんのことを思い起こしては涙を流し続け――存在するかもしれない異世界転生に一縷の望みをかけ、絵美ちゃんがそこで幸せに暮らしていると信じることしかできないのだった。
◇
「エミリー様、お茶の用意ができました」
「アン、ありがとう」
お茶を淹れれば、エミリー様は優しく微笑んでみせる。
先日、王城のパーティーで婚約破棄されたエミリー様はそこで落ち込むことなく、新たな事業を立ち上げて領地の繁栄に務めている。斬新なアイデアを考えついては積極的にそれを採用し、実行に移すその姿は既にこの領地の人々からの信頼を得ていた。そんなエミリー様は、侍女である私に向かってどこか懐かしそうに目を細めている。
「……ありがとう、杏ちゃん」