お買い物
「支度しろ」
とカスパーに言われたのはある日の午前中だった。
俺の部屋にやってきたカスパーは、片手に畳んだ布を抱えて面倒くさそうな顔をしていた。
「なんの?」
「街に出るぞ」
「え!?」
今までカスパーの屋敷の中から出たことがなかったものだから、彼のその言葉にひどく驚いてしまった。
「外出ていいのか!?」
「いいから言ってんだ。服はとりあえずこれを着ろ」
カスパーは俺に持っていた布を放り投げる。慌ててそれをキャッチする。その布はシンプルな白いYシャツと黒いスラックスだった。
「無課金!!!」
「課金しにいくんだよ」
通じた!!!!
課金するもんなんかあんのか!?
俺は特に持ち物などもないのですぐに準備が終わった。街が楽しみすぎて、屋敷のひっろいエントランスで一人ソワソワ待っている。
が、カスパーが来ない。
全然こない。
すごい遅い。
待ち疲れてきたときに、やっとカスパーが上の階から降りてきた。階段に座っていた俺はその靴音をきいて上を振り返った。
「おいカスパー、遅い……ぞ……」
降りてきたのは確かにカスパーと同じ銀紫色の髪の男だった。褐色肌で長身で、カスパーの特徴と一致していた。
だがいつもの前髪おばけが出てくることを想像していた俺は、目の前に現れたその男を一目見て凍りつく。
そこにいたのはヤクザだった。
ワインレッドのカラーシャツ、光沢がすごい黒いネクタイ、それに真っ白なスーツというめちゃくちゃにやばいカラーリングの服を着た男だった。
紫銀色で長い前髪はオールバックに固められ、外から覗いても目が見えないくらい濃い色のサングラスをかけている。両手には指十本全部にごてごてと大きな宝石のついた指輪をつけ、よく見ればでかいピアスやネクタイピンをつけていた。
趣味悪!!!!!!
「誰だお前!?!?」
「あ? 俺だ」
片手でサングラスを外したその男の瞳は、きらきらと虹色の光を放っていた。
どう考えてもそのヤクザはカスパーだった。
いやわかっていた。そんな珍しい目の知り合い……というか俺に知り合いは一人しかいない。わかっていたのだが。
「カスパー……」
「おう」
「ヤクザみたいな……オシャレだな……?」
「あ? なんだそれ」
「いつもそんな感じの服着てんのか……?」
「まあ外ではな」
「そうなんだ……」
い、いや、似合う。似合うのだ。カスパーは背が高くてスタイルがいいからスーツとかめっちゃ似合うのだ。
ただ、ものすごく厳つい。怖い。めっちゃヤクザ。完全に堅気じゃない。道ですれ違ったら絶対に目を合わせないようにするタイプのお兄さんだ。
俺今日一日街うろついてたらカスパーの子分みたいに見えるんじゃないだろうか。
というかこんな格好で街をうろつく錬金術師って一体。わからん。世界観がとっ散らかってる。
「行くぞ」
「……ハァイ」
カスパーの屋敷は郊外にあるようだった。
半山の中みたいな静かな所から、胴長リムジンを思わせる無人運転の車みたいなのに二人で乗り込む。
「なにこれ?」
「自動車」
「自動車……」
まあ時空を超える船があるなら車もあるか……。
向かい合って設置された後部座席に顔を突き合わせて二人で乗り込むと、車は走り出した。
「どこ行くんだ?」
「最寄りの街だな。シトリルって街だ」
その名前は旅行雑誌で見た。確か黒の国の街だった気がする。買い物するならこの街と書いてあった。
「カスパーはよく行くのか?」
「まあな、仕事に」
「錬金術師の仕事か?」
「まあ……そうだとも言えるし、違うとも言えるか……?」
どっちだ。
シトリルの街に着くと、カスパーはサングラスをかけなおして車を降りた。俺も降りようとするとカスパーがさっと手を延べてくれる。驚いて彼を見上げていると、カスパーは怪訝な顔をしていた。
天然で、自然にやってるんだこいつ。モテそう。
俺はありがたく手を借りて車を降りる。
俺の耳に街の雑踏が流れ込んできた。
「わっ」
賑やかな街だった。どこかヨーロッパの都会を思わせる情緒だが、高いビルみたいな建物もある。
ビルの壁にはでっかいパネルがあってCMがながれ、向こうの広場では噴水が水を吹いていた。
なんか、ファンタジーというよりは俺が住んでた現代日本にすっごい雰囲気が近い気がする。
建物が海外風の渋谷というかんじ。
車は勝手に帰ってしまったが、カスパーは「呼べば来る」と言って片手をポケットに入れて歩き出した。
慌てて追いかける。
賑やかで人通りの多い町並みを見回す。
人通り……? 人通り……。俺は冷や汗を垂らした。
あっちに人間が歩いている。こっちにツル植物のモンスターがうにょうにょ歩道を歩……這っていた。そっちに車輪で動く陽気なガトリング砲が誰かと話しており、ここではスライムが店番してる。
すごく、なんというか、グローバルでカオスな街だった。
あまりにも色々な人……モン……モノ……人? が通りを当たり前のように闊歩していて、俺はおっかなびっくり一歩進む。
俺がキョロキョロしているのをカスパーが無言で見て待っていてくれたのに気がついた。俺は慌ててカスパーの後ろに駆け寄る。
心強い。めっちゃ心強い。
ここは完全に未知の世界だった。いくら見た目がヤクザだからってカスパーはカスパーである。人型で言葉の通じる、言うなら俺を保護してくれる人だ。
俺はカスパーの背広のお尻のあたりに左右入っているスリットの片方を捕まえた。よし、これではぐれなそうだ。はぐれたら詰む。食われる気がする。
向こうで「しゃげー」と大きな口を開いた二足歩行のワニを見てびくりと肩を震わせた。やべえ。思ったよりやばいとこだここ。
俺が背広のスリットを捕まえたのをカスパーは無言で見下ろしていた。サングラスのせいでどんな顔をしているのかよくわからないが、許してくれたらしく黙って前を向いて歩き出す。よかった。放せって言われたらどうしようかと思った。
カスパーが道をゆくと、こちらに気がついた人々がざわつきだした。
「カスパーだ」
「カスパーさん」
「会長」
「珍しい」
「今日なんかあったか?」
「後ろの誰だ」
まるでモーセの海割りのようにカスパーを人が避けていった。人もモンスターもメカもである。
「……なあ、もしかしてカスパー……」
「あ?」
「有名人?」
「さあな」
もしかして本当に街のヤクザなんだろうか。どきどきしてきた。
カスパーは人が避けていくのなんて気にもしないで道の真ん中を堂々と歩いていった。背筋の伸びた歩き方がどこか品を感じさせるのだが、俺がびくびくついていっているので台無しになっている気がする。
人波の視線がめちゃくちゃ痛い。
カスパーはこの辺で一番でっかいデパートみたいなビルに入ると、俺を服屋に連れて行った。
テーラーというのだろうか。とっても高級そうな服屋だった。
「よお、今日はどうだ」
カスパーが店員さんに話しかけると、こちらを振り返った店員さんはびしりと姿勢を正して嬉しそうに声を上げた。
「会長!」
その店員さんは、頭がレトロなミシンだった。体はどう見てもモデル体系の人間なのに、首から上がミシン。
もはやメカなのかモンスターなのかわからねえ。
俺はカスパーのスリットを手放して店の入り口でじっとしていた。
もうやだよ怖えよここ!
しかもデパートのお客さんも他のテナントの店員さんもあれやこれや皆俺とカスパーのことチラチラ見てるよ!
助けてくれ!
「お陰様で……お元気そうで何よりです。今日はお連れ様の採寸でしたね?」
「ああ、頼む」
カスパーは店の人となにか話していた。よく聞こえないが、やがて二人で俺を見た。
うわ! こっちみた!
「スーツでよろしいですか?」
「なんでもいいが……。フォーマル、礼服、普段着、その他似合いそうなやつを数着ずつ拵えてやってくれ」
「かしこまりました」
カスパーと店の人はこちらによってくる。やたらにこにこした店員さんと目があって、とりあえず笑い返しておいた。顔が引きつった気がする。
「ねえなんの話?」
「てめえの服の話。じゃ、俺は一時間ほどうろついてくるから、後は頼んだぞ」
「え!?」
「お任せください」
「え!?!?」
「そういうことで」
「え!?!?!?」
ひらりと手を振ってその場を立ち去ろうとするカスパーを呼び止めようとするが「取って食ったりしねえから安心しろ」と適当にあしらわれてしまった。
「嘘だろ俺をこんなトコで一人にするなよめっちゃこええんだようわあああああん!!!!」
「うるせえな……なあ、こいつ訳あってヒューマンしか見たことないらしくてな。少し他の種族に慣らすためにも、採寸時間かけてくれていいぞ」
困った様子だったミシン頭さんは「よろしいので?」と首を傾げていた。
「よろしくなぐえ」
「いい。頼んだぞ」
「かしこまりました」
よくないんだがああああ。
カスパーは俺の首根っこを猫みたいに掴むと、軽々持ち上げて置いてあった椅子に座らせた。
「待っ……」
ひらりと手を振ると、カスパーは俺を置いてさっさと行ってしまった。
鬼! 薄情者!
「……あの」
声をかけられて、俺は思わず肩を震わせた。ゆっくり振り返ると、少し離れたところからミシン頭さんがおずおずと声を掛けてきてくれている。
「私ジャノと申します。お名前を伺っても?」
「ジウです……」
「ジウ様でございますね」
ミシン頭のジャノさんは柔らかな雰囲気で俺に少し待つように言うと裏からカップを持ってきてくれた。紅茶だろうか。いい匂いがする。
「よろしければお飲みください。気分が落ち着けばよいのですが……」
「……ありがとうございます……」
悪い人(ひと……?)ではなさそうだ。
一口口に含むと花のようないい香りが鼻を通った。
「おいひいれふ」
「それはよかった」
ジャノさんは頭がミシンなのになんとなく笑ったのがわかる。
「少しお話をしてから始めましょうか」
「は、はい……」
「ジウ様は会長と仲がよろしいのですね」
「会長って、カスパーのこと?」
「おや……ええ、そうですよ。会長はジウ様には自分のことをなんと?」
「錬金術師だって」
「左様でございますか」
ジャノさんの周りにほわほわ花が飛んでるようにみえた。
「会長はそれはもう凄腕の錬金術師なのですよ」
「そうなんですか?」
ただの金持ちの引きこもりじゃなかったんだ。
「というか……会長って、なんの会長なんですか? 引きこもりみたいなのに」
「確かにあまり人前に出られる方ではありませんね」
ジャノさんは楽しげだ。そんなに面白いこと言ってるつもりはないんだけどな。
「では、そろそろ始めましょう」
「あ、はい」
紅茶を飲み終える頃にはもう全然ジャノさんが怖くなくなっていた。
ジャノさんは俺の好きなものや故郷のことなんかを質問しながらメジャーを当てて採寸してくれた。
「なるほど、ではジウ様はカズサのご出身で、ご先祖様がバンリの方なのですね?」
「そういうわけじゃないんですけど……似たようなとこです」
旅行雑誌で見た。カズサが日本っぽいとこでバンリが中国っぽいとこだ。微妙に地名が俺の世界と被ってるの変な感じだな。
「確かにカズサやバンリのお衣装がよくお似合いになりそうですね」
ジャノさんはほくほくした声色でメモを取り切ると、紐みたいなメジャーを折りたたんだ。
「終了です。お疲れさまでした」
「ありがとうございました」
気がついたらカスパーが椅子に座って待っていた。
「終わったか」
カスパーは睨んでいた手帳を閉じるとジャノさんにお礼を言った。
「いいえ、お安い御用ですとも。そうです会長、今度会長によくお似合いになりそうな生地が届きますので、よろしければまたお立ち寄りください」
「そうする。こいつの服のデザインや生地についてはすべて任せる」
「ご連絡はいつものところへ?」
「ああ、頼んだぞ」
あれ? もしかしてカスパーのスーツってジャノさんが作ったのだろうか。
似合うけどすごい色のカスパーのコーディネートを見て、俺は食い気味でジャノさんに言った。
「俺落ち着いた色味が好きだなぁ!!!」
「ふふ、かしこまりました」
「いくぞ。ジャノ、また来る」
「ありがとうございます」
俺はカスパーのあとを追いかけて店を出るが、一度振り返ってジャノさんに礼を言った。
ジャノさんは俺達が見えなくなるまで頭を下げてくれていた。
数時間後、俺はカスパーに色んな店を連れ回されてくたくたになっていた。
「なんでこんなことすんの!?」
「色々と入用だろ」
服の次は靴、装備品、道具屋、宝飾店、ありとあらゆる店を周り、なんだかよくわからないままなんだかよくわからないものを買い与えられた気がする。
術屋って書いてあった店はなんだったんだろう。今度聞いてみよう。
「帰ったら手元にある商品については説明してやる」
「というか、俺お金ないからな。こんなに買ってもらっても返せないからな」
「ガキに払わせる気はさらさらねえよ」
店を回るたび、なんだかお店の人や通行人も随分驚いたような顔をしていた。周りを見るとちらほら俺と同じ黒髪もいるし、俺に珍しいことなんてないと思うが……。
いや、ここがカスパーの馴染みの街なら、珍しがられているのはカスパーの方で俺はついでかもしれない。というか多分そうだ。
カスパー友達いなさそうだし。
「おい、次行くぞ」
「ええ……」
カスパーはどこか楽しそうだけど、正直俺は疲れた。
初めての外なのだ。見るものすべてが初めてで興味深くて、すでに脳みそがパンクしそうだ。
「ちょっと休憩……」
「あ? ……しゃあねえな。少し待ってろ」
カスパーは俺と荷物をベンチに残してどこかへ行ってしまった。俺は大きくため息をつく。とても疲れた。買い物についてもそうだけど、視線もである。カスパーのではない。道行く人々の、である。
広場の端だというのに、とんでもなく人に見られている。助けてくれ。
カスパー早く帰ってきてくれー。
心細くて死にそうになっていると、「こんにちは〜」と誰かに声をかけられた。
その人は(人?)さっき見た車輪のついたガトリング砲だった。
「ひぇ」
銃口のいくつかがカメラに置き換わっているらしい。くるくる、と銃口が回るとカメラがフォーカスしたようだった。
撃たれるんじゃない?
銃口の所が顔なの?
「シュバルツ会長のお連れさんですよね〜?」
「シュバ……誰のこと?」
「え〜、さっきまで一緒にいたじゃありませんかあ~」
カスパーのことだろうか。
「仲良しさんなんですか〜?」
「仲良しっていうか……ちょっと事情があって、あいつの家で世話になってるんだ」
「へえ〜。あ、申し遅れました。僕走行式ガトリング砲ß3と申します〜。ベタサンとよんでくださいな~」
「俺は、ジウ……」
ここのメカってこんな物騒な見た目でこんなフレンドリーなの?
「ジウさん〜。どこの出身の方ですか? あ、僕は見ての通りセントラルシャフトの出身で〜」
「え、えと……俺は……」
「あ〜、もしやそのお顔立ちはカズサですか~それともバンリ〜?」
「え、えーと」
また出たぞ、カズサとバンリ!
とりあえずアジア系の顔だとそっち出身だと思われるようだ。今度勉強しておこう。
「えへへ~、それにしてもシュバルツ会長にこんなデートするような相手がいたなんて驚きですね~」
「デート!?」
「同棲してらっしゃるなんて隅に置けないですね~。結婚も近いんですか〜?」
「結婚!? まさか! 俺男だし! そう言うんじゃ……」
「男性ですか~! 大丈夫ですよ、今どき異種族だろうとガンガン結婚してる時代ですからね〜。僕のかわいい奥さんも異種族なんです〜」
「ガトリング砲が結婚を!?!?!?」
「ええ〜、マイスイートはとってもぷるぷるふにふにでかわいいんですよ~。あんまりふにふにすると僕はショートしちゃうんですけど〜」
「それ大丈夫なのか!?」
ツッコミが追いつかないぞ!?
「あ! いや! まず俺は別にカスパーの結婚相手でも恋人でもない!!」
「え〜、そうなんですか〜?」
「そうなの!!」
「なのに会長はあんなに貢いで……なるほどなあ〜」
なにか誤解をされている気がする。
「これは応援するしか〜」
「なあ話聞いてくれる?」
「あっ、いけない〜。では僕はこれで〜」
「おいちょっと待……!」
軽くエンジンふかしてさっさと走っていってしまったベタさんを追いかけようとするが、この大量の荷物をここにおいたまま行くわけにもいかない。くそう、なんだったんだあいつ……。
「どうした」
振り返るとカスパーが帰ってきたところだった。
「い、今変なガトリング砲がっ!」
「ガトリング砲?」
「なんか……なんか!」
「そのくらいの兵器ならそのへんうろついてる」
そんなノリの存在なの!?
「ほら」
カスパーは両手に持っていたストローのついたドリンクカップを俺に手渡してくれた。
「……?」
「水分」
「あ、ありがと」
どうやらこの飲み物を買いに行ってくれていたらしい。先に口をつけて飲んでいるカスパーは大して表情が変わらない。とりあえずカップの温度から冷たい飲み物だということはわかったので、俺はベンチに座り直してストローに口をつけた。
トロピカルフルーツなかんじがして冷たくておいしい……。
「うまい。これなに?」
「人工甘味料ジュース」
身も蓋もねえ。
「……飲んだら帰るか」
「荷物も多いしなー……」
カスパーは休憩している間に車を呼んだらしい。車が着くとすぐに乗り込んでカスパーの屋敷に向かったのだった。