009 帰還
レオナルドに名を呼ばれたベネディッドは、自身を指差し首を傾げた。
「私が? いや。私は別に。……そうだな、アレクシアの好きにするといい」
「な、何だと? わざわざここまで来て、別にとは……」
素っ気無いベネディッドの言葉に、レオナルドは面食らった様子で狼狽えた。ルナステラへの道中、ベネディッドからアレクシアを助け出す計画は聞いていたが、その後の話は一切聞いていなかった。
「この国に興味はない。めぼしい交易品も特にないからな。それに、家族間の騒動にも懲り懲りしていたところだ。深入りするつもりはないから、後は好きにしてくれ」
「あら、そうなのですか? てっきり、お兄様を追放してこの国を乗っ取るおつもりかと」
口には出さなかったものの、マルクも同じ様に考えていたようで、アレクシアと共に驚いている。ベネディッドはそんな二人を残念そうに見やり、ルゥナへ助けを求めた。
「おお。本物のアレクシア様は随分と失礼な方ですね。私を何だと思ってらっしゃるのですか? ルゥナ、何とか言ってやってくれ」
「はい。ベネディッド様はお優しく、打算的な考えの出来ない方です。アレクシア様の意思を尊重してくださいます」
「そう。……でも、そうで無ければ、私もロンバルト王家を欺いた罪で訴えられていた筈ですものね。ルゥナの言う通りの方なのかもしれないわ。――でも、お兄様に命を狙われたのはルゥナなのよ。ルゥナは、お兄様にどんな罰を受けて欲しいのかしら?」
ベネディッドの言葉は警戒していたアレクシアだが、ルゥナの言葉は素直に受け入れ、ルゥナの意見を求めた。皆に視線を向けられ、ルゥナは廊下にへたり込むレオナルドを見据えた。
確かにレオナルドに命を狙われたけれど、何だか彼が可哀想に見えた。アレクシアを守りたいと思う気持ちは恐らく本物で、彼なりに善処したつもりだったのだろう。しかしその方法も、アレクシアを尊重する気持ちも、何もかも自分中心で間違ったものだったけれど。
「私は人を罰する様な立場になった事がありませんので、どんな罰と言われましても分かりません。ですから、アレクシア様に、二度と危害を加えないと誓ってくださるのでしたら、その後の処罰はお任せします」
「ルゥナ。お優しいのですね。分かりました。では、兄の事は、私に一任ください。ベネディッド様も、よろしいですか?」
「私は口を出すつもりはない。ルゥナはこの国に残らない事だし――」
「えっ? ルゥナには、一番街にお店を用意する約束をしているのですが、もしかして……お二人は」
ベネディッドとルゥナの関係を勘繰るアレクシアに、ベネディッドは満更でもない笑顔で応えているので、ルゥナがアレクシアに説明した。
「アレクシア様。それは誤解です。私は、誰かを騙して報酬をもらうことは出来ないと気付いたのです。ですから、お店はいりません。ユーリと二人で働いて、いつかお店を開く為の資金を貯めようと思っております。アレクシア様が立て替えてくださった借金も必ずお返しします」
「そんなもの返さなくていいに決まっているでしょう。ルゥナには、こんなに助けていただいたのに」
「ですが……」
「不満そうだな。そうだ。ルゥナが作った解毒薬の支払いがまだだったな。金貨千枚でどうだ? それともニ千枚か?」
「え。ちょっ。そんな大金……」
笑顔でとんでもない金額を提示するベネディッドにルゥナが困惑していると、ヴェルナーが口を挟んだ。
「あの。その話は、後程されたらいかがですか?」
ヴェルナーの視線の先には、憔悴したレオナルドがいた。
◇◇◇◇
夕日が落ちる頃、ルゥナはユーリと二人で城を後にし、第四地区の小さなボロボロの雑貨店へ帰った。ここは、もうすぐ取り壊される懐かしの我が家。もう自分の物ではないけれど、アレクシアが特別に許可をくれた。
何も無い店内の棚を見回して懐かしんでいると、店の奥でユーリが声を上げた。
「あー。こっちは雨漏りで酷いことになってますね。寝室は問題ないので、一泊くらいなら平気そうですね」
「そう。良かった」
今夜はここで、この国で最後の夜を過ごそうかと話していた。明日には国を出て、薬草や薬を売り歩きながら、住みよい国を探そうと思っている。
久しぶりの我が家だけれど、取り壊しのため家具は全て処分されているので、とても殺風景だ。
店の奥から戻ってきたユーリと隣合わせに立ち、空っぽになった備え付けの商品棚を眺めた。
「やっと帰ってこれたわね。ユーリ」
「はい。やっと日常に戻れましたね。アレクシア様も、ご無事で何よりでした」
「ええ。アレクシア様が無事で安心したわ。レオナルド様も、きっとこれ以上アレクシア様を苦しめるような事はなさらないでしょうし」
アレクシアが、兄を許す事は出来ないけれど、兄が唯一の心の支えであった事は確かだったと伝えると、レオナルドは、王位を弟に譲り、アレクシアを暗殺しようとした罪で裁かれることを自ら求めた。
「そうですね。明日はどうしますか?」
「明日はアレクシア様に挨拶をして、それからこの国を出ましょう。ロンバルトの本で見た、海の近い街へ行ってみたいわ」
「ロンバルトにも港があると聞いていましたが、一度も目にすることは出来ませんでしたしね。いいと思います。ルゥナの事は、私がちゃんと守りますから」
マルクから貰った片手剣に手を掛け、ユーリは自信満々に微笑んだ。元々腕の立つユーリだけれど、近衛騎士の訓練を受けてから、前よりも逞しくなった気がする。
「ありがとう。でも大丈夫よ。ただの私に戻ったのだから。誰かに命を狙われることもないわ」
「それもそうですね」
『モッキュ!』
モッキュがルゥナの頭の上で元気よく同意を示す。最近はヴェルナーやベネディッドと遊んでばかりで、ルゥナの頭の上にいるのは久しぶりだ。
「モッキュも海は好きかしら?」
『モキュ?』
「知らないのね。見てからのお楽しみね」
『モキュ!』
「フフッ」
ユーリにモッキュは見えないけれど、モッキュを囲んでユーリと二人で笑い合っていると、雑貨屋の扉が開かれ、聞き慣れた青年の声がした。
「ほぅ。ここがルゥナの店か」
「べ、ベネディッド様?」
「趣のある良い店だな。今宵は、ルゥナ=パストゥール殿に話があって参りました。お時間よろしいですか?」
ルゥナの前に跪き手を差し伸べるベネディッドは、王子様そのものに見えた。




