002 本当の名
『マルクは兄に脅されルゥナを暗殺しようとしています。逃げてくださ』
手帳に文字が浮かび上がる。しかし、不穏な言葉は途中で止まり、しばらく待ってもそれ以上文字が綴られる事はなく、手帳は急に真っ二つに引き裂かれた。
「きゃぁっ。ど、どうしたのかしら……」
ベッドから飛び起きたルゥナは、アレクシアの身に何かあったのだと察し、手帳を抱きしめユーリに伝えようと思い立ち部屋を飛び出すと、またヴェルナーと遭遇してしまった。ヴェルナーはやけに驚いていて、ルゥナも驚き危うく手帳を落としそうになった。
「あっ、……ど、どうされましたか?」
「えっと、ユーリに話があるのです。急いでおりますので失礼します」
「ま、待ってくれ」
「きゃっ!?」
ヴェルナーに腕を掴まれ振り返ると、彼は困惑した様子で何か言いかけるも、言葉を詰まらせていた。
またベネディッドが何かやらかしたのだろうか。
それとも、護衛をしてくれる約束についての話だろうか。どちらにしろ、今はそれどころではない。
「あの。明日では駄目でしょうか? 夜も遅いですし、私――」
「貴女は……。貴女は誰ですか?」
瞳を不安そうに揺らめかせ、ヴェルナーはルゥナに尋ねた。何故そんな事を聞くのか分からず返答に困っていると、ヴェルナーは更に言葉を続けた。
「ビリーから聞きました。貴女は偽物の王女だと。今まで、アレクシア様の指輪の力で、捻じ曲げられた真実しか話せなかったと言っていました」
「えっ?」
「婚約を破棄する為に、王女の代わりをしていたのですか?」
「それは……」
ルゥナには王家の証がある。明日、マルクが迎えに来るまで、証を盾にアレクシアだと言い通せばいい。きっと、ビリーの言葉など信じた訳ではないのだろう。だから、ヴェルナーはこうしてルゥナに尋ねているのだ。
「俺も、ベネディッド様の代わりをしていた。王族を偽ることは罪になるが、ベネディッド様も俺も、それを咎めることはない。ただ、本当のことが知りたい」
ヴェルナーは、思案するルゥナの瞳を真っ直ぐに見つめ、諭すように優しく語りかけた。でも、本当の事を言う訳にはいかない。
「私は……」
「貴女の本当の名は、ルゥナ……ですか?」
「ど、どうして私の名前を。あっ……」
ルゥナはしまったと思い口元を手で覆うが、ヴェルナーの表情は変わらず優しかった。怒ってはいない様子だ。
「ユーリが一度、そう呼んでいたから。そうか。本当にアレクシア様ではないのか」
「ごめんなさい。騙していて。私は、助けてくださったアレクシア様に恩を返すために、この任務を受けました」
「謝らなくていい。俺もベネディッド様も、君を責めるつもりはない。たが――」
「ベネディッド様は……」
「喜んでいたよ。はぁ……」
ヴェルナーは困り顔でため息をついた。喜ぶとは、何故だろう。もしかして――。
「アレクシア様との婚約破棄を撤回されるおつもりですか?」
「は? それは無いですが、ベネディッド様の事は、明日本人に会ってから確認してください。それで、どうしたのですか? こんな夜更けに」
「あっ。アレクシア様に。本物のアレクシア様の身に何かあったご様子なのです」
ルゥナが手帳を手に声を上げると、ユーリの部屋の扉が開き、寝ぼけた様子のユーリが現れた。
「あの。どうかされましたか?」
「ユーリ」
ルゥナに名を呼ばれると、ユーリは瞳をこすり廊下の二人を凝視した。
「ちょっ……。ヴェルナー。アレクシア様から手を離してください」
「す、すまない。それより、アレクシア様がどうしたのだ?」
「は? アレクシア様はここに。……えっ? もしかして」
ユーリはルゥナを見て顔をしかめ、差し出された手帳を横目に言葉を濁した。
「ユーリ。大変なの。アレクシア様に何かあったご様子で」
「お、落ち着いてください。それは私の部屋で話しましょう」
「ええ。それと、ヴェルナーに、私がアレクシアではないと知られてしまったの。ビリーは私が偽物だって知っていて、ベネディッド様とヴェルナーに話したそうなの」
「それって……」
ユーリは恐る恐るヴェルナーへと視線を伸ばした。
◇◇
スーザンは破れた手帳を調べ終えると、アレクシアの最後の文字が皆に見えるようにテーブルの上に置いた。
「まさか、レオナルド様がこのような行動を起こすとは思いませんでした。ですが、レオナルド様がアレクシア様を傷つけることなど有り得ませんので、文面から察するに、アレクシア様の替え玉であるルゥナを暗殺することで、アレクシア様を亡き者とし、本物のアレクシア様を一生ご自分の側に置いておきたいのだと思います。レオナルド様はアレクシア様を溺愛しておりますから」
「本物のアレクシアが危害を加えられる可能性は低いのだな?」
スーザンに言葉を返したのはベネディッドだ。ベネディッドの隣にはヴェルナーが腰を下ろし、ルゥナとユーリ、そしてスーザンはテーブルを挟んで向かいのソファーに座っている。
ヴェルナーとユーリと一緒にスーザンの部屋を尋ねると、ベネディッドに相談することをスーザンは薦めたのだ。
「はい。限りなくゼロに近いかと思われます」
「よし。明日、ロンバルドに来たルナステラの騎士を縛り上げて話を聞き出そう。それで、そのレオナルドという奴が主犯だと分かれば、そいつを縛り上げてアレクシアを助けよう!」
ソファーから立ち上がり意気揚々と胸を張り宣言するベネディッドは、他の四人とは温度差が見られた。不安な要素など微塵も感じていない彼の様子に、スーザンは呆れた顔で苦言を呈した。
「あの。随分と簡単に仰いますが、ルナステラのマルク様は黒騎士と呼ばれる腕の立つ騎士ですよ。それに、レオナルド様は次期国王にあらせられます。そう簡単には……」
「大丈夫だ。いくら腕の立つ騎士と言っても、ここはロンバルドだぞ? ルゥナを狙うなら、帰路の途中で事故死にでも見せかける筈。先手を打って一網打尽だ! ルゥナ、名案であろう?」
「は、はい。ベネディッド様」
ソファーの肘掛けに腰を下ろし、その横に腰掛けるルゥナの手を取り熱い視線を向けるベネディッドに、ルゥナは圧倒されつつ苦笑いで返事をした。




