007 紅い瞳
ルゥナの手は大きな手に掴まれ、水上へと一気に引き上げられた。
暖かなその手に張り詰めていた気持ちが和らいでいく。視界がぼやけて、助けてくれた相手の顔がよく見えないが、右目に強い魔力を感じた。
また、ヴェルナーに助けられてしまったのだと、ルゥナはすぐに分かった。
「アレクシア様。大丈夫ですか!?」
「……はいっ。すみま……。ありがとうございます。ヴェルナー。花は――。ぁ……」
ルゥナは、湖へと視線を伸ばし絶句した。
水面は緑一色。バラバラになった藻と茎で埋め尽くされていた。しかし、黄色い花だけは岸に寄せられ、その隣には魔剣を手にしたベネディッドが、袋を裂きコリンを助け出しているところだった。
「早く部屋で手当を」
「私は大丈夫です。モッキュは……」
顔を上げてヴェルナーと目が合い、ルゥナは言葉を詰まらせた。右目の眼帯が取れ、煌々と紅く光る瞳が視界に飛び込んできたからだ。
左目はいつもと同じ落ち着いた深碧色で、ヴェルナーはルゥナが驚いていることに気付くと、右目を隠すように下へと顔を背けた。
「不快なものを見せました……忘れてください」
「い、いえ。とても綺麗です」
「……お気を使わなくて結構です」
溢れんばかりの魔力を帯びた瞳は美しかった。
ルゥナが引き寄せられるように頬へ手を伸ばそうとした時、駆け寄ってきたベネディッドにローブを掛けられ、ルゥナは手を引っ込めた。
「ヴェルナー。ずるいじゃないか。私が湖に飛び込みたかったぞ。さぁ、アレクシアは私が!」
『モッキュン!』
ベネディッドの肩でモッキュが元気よく相槌を打った。モッキュも無事でルゥナは安心したが、ヴェルナーは足を止めることなく進み早口で言葉を返した。
「濡れてしまいますので俺が部屋まで運びます。ベネディッド様はコリン様をお願いします」
「ええー。叔父上は花が手に入ったから嬉しくて興奮状態だから近づきたくない」
コリンは持っていた大きなハサミで花びらを一枚一枚丁寧に切り落としていた。気持ち悪いくらい満面の笑みでブツブツとなにか呟きながら。確かに近寄り難い。
「あれはベネディッド様の為の行動です」
「そうだな。だか今は!――アレクシア。怪我はないか? こちらへ来なさい」
「わ、私は自分で歩けますっ」
「そう言ってまた……」
ルゥナの言葉にヴェルナーが顔をしかめると、ベネディッドが怪訝そうに尋ねた。
「また? とは何だ?」
「……何でもありません」
替え玉をしていた事を知られない為か、言葉を濁したヴェルナーに、ルゥナはつい口を挟んだ。
「ドラゴンを討伐された後も、こうして助けてくれたのです」
「へ?」
ヴェルナーがルゥナの言葉に疑問符を浮かべると、ベネディッドが悪びれた様子もなく笑って答えた。
「あ。昨夜アレクシアに話したのだ。私とユーリの仲が疑われてしまってね」
「は?」
驚くヴェルナーに、ベネディッドが種明かしをするも、更に彼の顔は固くなるばかりで、再度疑問を口にした時、建物の方からユーリの声がした。
「アレクシア様っ!? ヴェルナー。ありがとうございました。後は私が」
「ここは俺が……」
「ユーリに任せておけ。女性同士なのだし」
「は?」
ヴェルナーは三度目の疑問を口にし、ユーリの顔を見て首を傾げるが、足は止めなかった。
◇◇
それから、ベネディッドは人体実験がしたいとコリンに言われ、どこかへ連れて行かれた。ユーリは手当が必要なルゥナを、同様に濡れて着替えが必要なヴェルナーに任せ、裏庭の片付けに人手が必要な為その場に残ることなった。
ルゥナは、色々聞かなかったことにして無心状態になったヴェルナーに部屋まで運んでもらい、待ち構えていたスーザンに介抱してもらった。湯で体を温め、足に出来た痣に湿布を貼ってもらい、スーザンは手当を終えるとルゥナへ厳しい目を向けて言った。
「アレクシア様。お気を付けください。ユーリがとても心配していたのですよ。私だって、アレクシア様にもしもの事があったら――」
「ごめんなさい。根が動くなんて想定外で……」
「はい。お怪我が無くて安心しました」
スーザンはルゥナを抱きしめてくれた。
◇◇
朝の騒動からコリンに捕まっていたベネディッドは、夕食の時刻にやっと解放されたそうで、夕食前にヴェルナーが部屋へ呼びに来てくれた。普段通りの眼帯姿のヴェルナーだ。
「先程はありがとうございました」
「こちらのミスです。危険な目に合わせてしまい申し訳ありませんでした」
「いえ……」
ヴェルナーは深々とお辞儀したあと、廊下を歩き始めた。
やはりベネディッドの代わりを務めていたことを話すつもりは無いようだ。
気持ちは分かる。ルゥナだって絶対に言えないのだから。




