彼女の正体
夜中。
静まり返った執務室でヴォルフガングは1人、頭を抱えていた。
どうせ余らせているだろうと、菓子の残りを回収に行かせたリーシェナから、それでもいくつかは手を付けたようだと聞かされて安堵のため息をついたのは数時間前。
リーシェナに呆れた視線を向けられたが、今となっては彼女も同じ悩みの種を抱えているのは知っている。だからこそ、王の立場で、目の前でため息などをつけるのだから。
なぜ、仇に手を焼かされるのか、と思いはするが、放っておけないので仕方ない。
今日の分の仕事を片付け終わったヴォルフガングは、ふと、昼間にウルルの部屋から回収した羊皮紙を思い出した。
仕事が立て込んでいたので、丸めて執務机の端に乗せたままだった。
自分が部屋を訪ねるまで、真剣にペンを走らせていた、ウルル。
何を書いていたのだろうと、羊皮紙を広げる。
「こ、れは……」
それが何か。他の魔族は、きっと分からないに違いない。
魔族はその魔力にモノを言わせて魔法を使うので、魔法陣や詠唱をそもそも必要としていない。そのために、そのあたりへの理解が少なかった。
魔王であるヴォルフガングも得意ではないが。それでも、その魔法陣は当然のように読み解くことができた。
なぜなら、それは、600年前、自分に使われたものなのだから。
そう、思い至って、急激に違和感を感じる。
「なぜ……知っている?」
ウルルが『聖女』であるということは、人間には知られていない。
だからして、聖なる力はあっても、『聖女』としての力の使い方は習っていない、はず……なのに。
「いや、そもそも、なぜ……」
なぜ、『聖女』として人間に知られずに済んでいるのか。
『聖女』は生まれたと同時に、聖なる力が光を放つ。
それをもって、その赤子は『聖女』であると認められ、その力の使い方を学ぶために、高位の魔法使いに預けられる。……筈なのに。
ウルルは、聖なる光を抑え込んだのだ。
なぜ、それができたのか。
それは……彼女が、その力の使い方を、知っていたから。
生まれた直後の、何も分からない、ただの赤子が。
「……それは……」
彼女が、『聖女』の記憶を引き継いでいることの証左である。
「……そんなもの……確かに、『呪い』ではないか……」
ヴォルフガングは600年前、前の『聖女』に刺し違える形で封印された。
だから、彼女がそうであるように、ヴォルフガングもまた、前の『聖女』の最期を見届けた、存在なのだ。
その、聖女の最期の言葉を知っているから、最期の表情を知っているから。
「……っ」
ガタンと、椅子が後ろに倒れた。
そんなことにも気を留めず、ヴォルフガングは執務室を出た。
廊下を進み、幾度か通った部屋に辿り着く。
そのドアをあけて、どうするのだろう。
今までは、ただの『生まれ変わり』だと思っていた。
それが、正真正銘、自分を封印した『仇』であると気付いてしまった。
「だから、なんだ」
がちゃり、とドアが開いた。
本日、2度目の来訪である。
「魔王様、どうされました?」
ウルルは、ベッドから上体を起こして、ヴォルフガングを見上げている。
夜中だというのに。
彼女は、いつ来ても、起きている。
その異常さにも、ようやく気付く。
「夜這いですか?」
以前と同じ質問をされて。
バタンと、後ろ手に扉を閉めた。
「あぁ、そうだ」
頷けば、少し驚いたようなウルルの顔が見れて、優越感を感じる。
「えっと……他の魔族の選択肢は、ないんですね、分かりました。力が万が一にも暴走しないように、気をつけます。骨と皮のような身体で、抱き心地はよくありませんが」
相変わらず、紡がれる言葉は阿呆の一択だが、それも間違いなく、彼女の一面だと知る。
前世は、ただただ気高かった、触れることすら許されないと思わされた存在に、こんな可笑しな一面があったなどと。
「ウルル」
名前を呼べば、今度こそ、驚愕したようにウルルが固まった。
「あ、の。何か、悪いものでも食べました?」
「ウルル。……一緒に、お前の呪いを解こう?」
ウルルの細い体を抱き寄せて、その耳にささやけば。
「ど……う、して?」
ビクリ、と腕の中でその体が震えるのがわかった。
体に少しだけ間をあけて、ウルルの表情がよく見えるように、のぞき込む。
僅かに見開かれて動揺に揺れる瞳に、いつもの軽薄な色はない。
『ウルル』として取り繕われたものが取り払われて、前世の『聖女』がそこに居た。