気絶の理由
「あー、やらかした」
その日、ウルルの目覚めは快適だった。
すごく、よく寝た気がする。それはそうだろう。意思の及ばないところで意識を失い、そのまま体の求めるままに眠り続けたのだから。
とはいえ、やらかした自覚はあった。まさか、吐いただけで、体力を使い果たして気を失うとは。
やはり、もう少し体を鍛えた方がいいかもしれない。
その鍛える過程で、また倒れるかもしれないが。
ダラダラと考えながら、いつもどおりベッドに横になる。
ぼうっと、天井を見上げる。
そうするだけで、すごく楽しく、時間を潰すことができた。
それは、病弱を装って、屋敷に引きこもっていた間も同じだ。
気持ち悪くなって、本を読むことすらできなかったから、屋敷でも同じ過ごし方をしていた。
日本人の学生だった遠い過去の自分からすれば、なんて退屈な過ごし方なんだろうと思うに違いない。
それでも、ウルルはそれが幸せだった。
「おはようございます、リーシェナさん!」
ドアが開き、振り返れば、リーシェナが入室してきた。
どうやら、意識があるとは思ってなかったようで、ノックもなかった。
いつもどおり挨拶をすれば、驚いたように目を瞠られる。
「失礼しました。お気づきでしたか」
「すみません、ご迷惑をおかけしまして。……まさか、食べ過ぎるとは思いませんでした。しかも、嘔吐で体力を使い果たして倒れるとは……」
「……5日、経っています」
「あら、どおりで! 体が軽いと思いました!」
夜はほとんど眠れていなかったから、5日も寝れば、それは快適なはずだ。
にこにことリーシェナを見つめれば、彼女はいつもの理解できない、と言わんばかりのしかめ面で、湯あみを勧めてくれた。
予想外の5日の絶食で、ウルルの胃は更に小さくなってしまったらしい。
5日前は完食できた量が、全然減らない。
「ご無理はなさらないように」
「はい。また、昼食もこれにします」
食べ過ぎて吐いたと告げた手前、食事を口へ運ぶ手がすっかり止まってしまったウルルに、リーシェナが厳しい視線を向ける。
それに笑顔で頷けば、リーシェナは苦い顔をして、また昼に来ると告げて部屋を出て行ってしまった。
「……あれ、紙がない」
ウルルは腹ごなしに部屋の中を歩こうとして、ふと、机の上に広げていた羊皮紙がないことに気付いた。もちろん、リーシェナから渡された紙は1枚ではないので、丸められたままの新品の紙ならまだあるのだが。
「……インクでも零れたかな?」
突然の吐き気に、手元に気を遣う余裕もなかった。インク染みでも落ちて、リーシェナに回収されたのだろう。
昼の時間まで暇だった。ベッドに戻ってもいいが、そうすると、きっと、昼も食べられない。
仕方なしに、机の前に座ると、巻かれた羊皮紙を広げた。
『聖女』のことは、どうやら書けなさそうだと諦める。
だとしたら、聖なる力のことはどうだろう。
聖なる力と、それによってのみ行える魔王の封印術。
もちろん、実践で詠唱や魔法陣を書くなどという真似をすれば、魔王を相手にできる筈もないので、聖女はただひたすらに、その封印を無詠唱で行う訓練のみをする。
思い出しかけて、再び視界が眩んできたので、急いで頭を振って思考を変える。
とはいえm実践では決して使わないが、封印術に詠唱や魔法陣が存在するのは事実であった。
ので。
「……」
ただ、無言で、黙々と、羊皮紙の上に魔法陣を書く。
魔王を封印する魔法陣を、魔王城で書いているなどとは可笑しいが。
その魔法は聖なる力以外では発動しないので、ウルルが首輪をしている限りは安全だ。
以前は、その魔法をどうにかしようなどという思考になったこともなかったが。
その魔法に対抗するならば、どうすればいいだろう。
呪詛返しのように、反する魔法は使えないだろうか。
余りにも足りなさすぎる知識を、『聖女』の直感で補いながら、魔法陣を読み解いていく。
魔法の知識はあまりに足らなかったが、魔法を無詠唱で使うために、封印術の理解だけは深めていたので、少しずつ、解読を続ける。
時間は、いつもよりも早く過ぎていった、気がした。
昼になり、部屋に訪ねたのは、リーシェナではなかった。
「魔王様?」
ノックなく、部屋に入ってきた姿に、驚いて視線を上げる。
ヴォルフガングはリーシェナが机に向かっていたのに気付くと、無遠慮に近寄って、その紙を取り上げた。
「え、あの……?」
「机に向かうのは禁止する」
「申し訳ありませんでした! ご迷惑をおかけして……」
原因は食べ過ぎだと伝えた筈だが、初めて机に向かった日に倒れたのだから、因果関係は疑われても仕方ない。
机に向かうために、急いで朝食を食べ終えた、とか、そういう可能性は残るだろうから。
ウルルはぴょこん、と椅子から立ち上がって、深々と頭をさげた。
「……」
その様子に、ヴォルフガングは無言で朝食が乗ったままのテーブルに近寄ると、魔法でそれらを消してしまった。
「あぁっ!」
「なんだ」
「もったいない!!」
ヴォルフガングには、そもそもウルルのいう『もったいない』という感覚は分からなかった。
腹を満たすのに十分な食事だったことを示すため、食事は残すのが文化である。
ヴォルフガングにとっても、ウルルの育った国でも。
それを、なぜ、ウルルは食べきろうとするのだろうか。
「これを食え」
代わりに、ヴォルフガングがテーブルに並べたのは、可愛い、コロコロとした焼き菓子だった。
栄養が偏るのはよくないが、ウルルが食べられる量では、そもそも栄養の前にカロリーが足りない。
それを手っ取り早くどうにかするため、菓子を与えることにした。
「……お菓子?」
「残れば、召使に下げ渡す。奴らも喜ぶので、要らなくなったら遠慮なく残せ」
「……い、いやいやいや! お菓子って、高価ですよね! 砂糖もバターもたんまり入ってますよ! 捕虜に与えるものじゃないです!」
ウルルの遠慮に知らぬ顔をして、ヴォルフガングはさっさと部屋を出て行ってしまった。
「……」
ウルルは机の焼き菓子を振り返り、深くため息をつくと、ベッドに戻るのであった。