夜中の訪問
魔王が封印されている間、魔族は集団という概念を失い、ただ、個として野に下る。
魔王が復活することで、それに傅く思想が芽生え、間もなく、城に参集する。
魔族とは、そういう本能なのだ。
ヴォルフガングは自分が復活したことで、急速に形成されはじめた集団を取りまとめるため、忙しく過ごしている。
「アレはどうしている」
ふと、部屋に『聖女』につけた侍女が現れたのに気付いて、休憩がてら話を向けた。
「……格闘しておられます」
「格闘?」
リーシェナの言葉にヴォルフガングは首を傾げる。
「朝食にお出ししたオートミールと」
ヴォルフガングは無言で時計を見上げる。11時。
「……もう昼だが」
朝食の準備をさせたのは8時前ではなかったか。
「残すのはもったいない。昼もいらないので、食べきる、と」
「……次から量を減らせ」
「畏まりました」
頭を下げたリーシェナを見やって、ヴォルフガングは深くため息をつく。
「まぁ、いい。食事以外は、何をしている」
「何も」
「……は?」
「一切、何も。寝台に横になり、ぼうっとされておられます。たまに、バルコニーから景色を眺めておいでですが」
ウルルを攫って一週間になる。一週間、その過ごし方をしていたというのだろうか。
アイツは気狂いなのか?
そんなことを考えて、一応、リーシェナに確認を取る。
「……それは、一般的な過ごし方なのか?」
「全くそうは思いません」
リーシェナの言葉に、だろうな、と頷く。
「今夜、様子を見に行こう」
「……」
「なんだ」
自分の言葉に無表情のまま、何か言いたげな様子を見せるリーシェナに言葉を催促する。
「また、騒がれますよ」
「……」
リーシェナと2人でため息をついた。
―――……
ガチャリ、と夜中に、部屋の扉が開いた。
その音に、ウルルは寝台から上体を起こして、部屋の入口を振り返る。
リーシェナがノックもなしに、部屋に入るとは思いづらい。ので。
「……魔王様?」
灯りを落とした部屋よりも、廊下の方が明るくて、姿ははっきりと見えないが、その影だけでも予想がついて、驚いた。
もう、リーシェナしか、部屋に来ることはないと思っていたから。
生涯、会うこともないかもしれないとすら、思っていたから。
「……夜這いでしょうか」
「阿呆」
こてり、と首をかしげたウルルに、ヴォルフガングはいきなり頭痛を覚えた。
「でも、そうする理由はあるでしょう?」
「あぁ?」
揶揄っての言葉ではなかったようで、ウルルは真剣な様子だった。意味は相変わらず分からないが、話は聞いてやることにする。
「聖なる力は乙女のものだと言われています。それを散らせば、そうですね、その力が失われるかも。首輪で封じるより、確実かもしれません」
「……」
「とはいえ、その役目を魔王様本人が為さるのは危険では……? 失われんとする聖なる力が最期に暴走し、御身を傷つけたらどうするのです。万が一、そういう考えがあったとしても、別の魔族を差し向けるべきと思います」
「んっ!? ……っ!?」
ヴォルフガングはムカついた。
ムカつきすぎて、ヴォルフガングは、気が付いたらウルルに口づけしていた。
そんなつもりで、部屋に来たのでは、なかったのに。
「犯されたいなら、そう言え、アバズレめ。昼も夜も分からなくなるほど、汚され続ければいい。いくらでも、色狂いの魔族を宛がってやる」
ウルルの肩に置く手に力が入る。
「いっ……!」
その、薄い肩が、あっさりと外れたのが分かった。
「嫌ならば泣け。泣いて詫びろ。俺の気まぐれの寵に縋れ」
ヴォルフガングの言葉どおり、ウルルは涙を流していた。
ヴォルフガングの言葉に従ったのではない。おそらく、それは外れた肩の痛みからだろう。
『聖女』の体は易々と傷つかない。聖なる力を持って生まれたからには、転んでも、指を切っても、痛くなかったはずだから。初めて訪れる痛みかもしれない。
「っ……泣くなっ!!」
自分でも、言っていることが滅茶苦茶だということは分かっていた。
それでも、彼女の涙を見ていると、胸の奥がざわついた。
前の『聖女』を思い出す。あれは……なによりも、気高かったと。
「見苦しくて、申し訳ありません。生理的なものが」
ヴォルフガングの魔法で肩を治療され、ウルルは指で目元を拭った。
「えっと……他に、何かおっしゃっていましたよね。私、何をすれば? 何か、お詫びしたらよろしいのでしたっけ」
「もうよい」
きょとん、として見上げるウルルにため息をつく。
泣いて詫びろといえば、そのとおりにするのだろう。
……意味も理解せぬままに。
「……結局、何の御用で?」
寝台から立ち上がり、部屋から出ようとするヴォルフガングに、ウルルの訳が分からない、という声が届く。
バタン、とヴォルフガングはそれに答えないまま、ドアを閉めて出て行った。
「……」
ウルルは今はもう、閉じられたドアを見つめて、無意識に唇を指でなぞる。
「それで本当に、この力が無くなるのなら。……私は構いませんよ、魔王」
ウルルの返事は、暗い部屋に溶けて消えた。