雇い主と告白
恵未は雅弥を壁際へ寄せ、その前に立つと、銃弾の出所を探る。騒然としている会場内では、泰騎がゲストを会場から出し、避難誘導している。潤の姿は見えない。
ピンポイントに雅弥を撃ってきたのだ。会場に居た他のゲストたちは無関係と考えられる。
「あーあ。やっぱり」
と嘆息しているのは、雅弥だ。恵未は、やっぱり? と眉間を狭めた。
雅弥は肩を竦めると、穴の開いた壁に視線をやる。
「このパーティーに呼ばれてる企業の名簿を倖魅にネットから抜き出して貰ってたんだけど、見た時に、おかしいなって思ったんだよねー。見事にコスメ系の企業が集められてる中で、《P・Co》だけ薬品系の企業だったし」
うーん、でも撃たれる程の事をした覚えもないんだよねぇ……。とも呟いている。
ともあれ、つまり撃ってきた犯人は主催者側の人間という事なのだろう。
「社長」
会場から姿を消していた潤が、声を潜める事も無く近付いてくる。
「一般の方の会場外への避難が完了しました。狙撃手の場所も特定したのですが、現場へは外部から行けませ――」
潤が背後に手を翳したと同時に、会場の中央で小さな爆発が起きた。飛んできた銃弾の火薬が爆発したのだ。潤はその程度の事を気に留める事もなく、続ける。
「そこで、恵未に頼みがある」
「あ、はい」
恵未の手にある、ザッハトルテの載った皿を受け取りつつ、潤が向かいの壁上部を指差した。
「あそこに、カーテンが見えるな? その裏に、照明点検用の足場がある。そこに狙撃手が居るわけだが……跳べるか?」
恵未は、潤の指差すカーテンを見やる。高さは五メートル程。
「そうですね……ちょっと床にヒビが入っちゃうかもしれないですけど、行けます」
恵未はヒールの高いパンプスを脱ぐと、向かいの壁へ向かって歩き出した。
潤は恵未と入れ違いで、雅弥の斜め前に立った。
自分が撃たれるかもしれない状況下にあって、雅弥は変わらず呑気なものだ。手にあるワイングラスに口を付けている。と、ワインが空になった。
「恵未は、先輩の目から見てどうかなぁ?」
「あの狙撃から社長を避ける事が出来たんです。優秀ですよ。生まれながらの勘の鋭さというものは、訓練ではどうする事も出来ませんから。正直、羨ましいくらいですね」
「ふふ。それって、誰と比べて言ってるのかなぁ? 潤?」
「……さぁ」
潤は肩を竦めて嘆息すると、編み上げられた背中を見据えた。
恵未は何となく違和感を抱きながら、会場内を歩いていた。銃口が見えるのだが、自分の方を向いている。
(社長を狙ってるわけじゃないのかしら……。それにしても銃口を向けられるのって、すっごくヤな感じ)
恵未が右脚に力を入れて床を蹴って跳んだ瞬間、恵未の立っていた床に穴が開いた。恵未の蹴った跡は蜘蛛の巣状にひび割れ、その中心に銃弾が刺さっている。
跳んだ恵未はカーテンを開き、足場に乗った。長距離狙撃用の銃を持っている相手は、その長い獲物を持て余し、構えられずにいる。その隙に銃を奪い取り、数十メートル離れた位置に居る潤に向かって放り投げた。
狙撃手は三十代程の男だった。銃を奪われた男は、何かを取り出そうと右手を腰に回した。だが、何かを掴む前に恵未に腕を掴まれ、次の瞬間、腕は力を失くした。肘から下が、完全に分離してしまっている。男の悲痛な叫び声と共に血が噴き出し、恵未は目をぱちくりさせた。
「ぅわっ。腕を折るだけのつもりだったのに、ちぎっちゃった……」
えっと、えっと……と、取り敢えず肘上を掴んで血を止め、背中の編み上げに使われている紐を引き抜いて巻き付けた。
あまりの痛みに戦意を喪失している男を、そのまま下へ落とす。そこは鍛えられている体だ。五メートルの高さから落とされても、男は生きている。
恵未は足場に置いていた男の腕を拾うと、飛び降りた。
「恵未。もう少し、汚さずに対処出来なかったのか?」
男の様子を伺いながら、潤が唸る。雅弥はその隣で、持参していた収納バッグを広げ、銃を入れている。訓練用の銃にでも回すつもりなのだろう。
恵未は申し訳なさそうに視線を泳がせる。
「すみません。つい力が入っちゃって……」
「あと、ドレスが……だな……」
潤に指摘されて視線を落とすと、支えを失くしたドレスがベロンと捲れていた。ささやかな双丘が丸出しになっている。
「…………」
恵未は無言で、ドレス生地を体に押し付けた。
数分後。
任務継続中の泰騎が、にこやかな顔で木下照美を連れて現れた。
「社長。木下さんにお越しいただきましたよ」
抵抗があったのか、木下の髪は少し乱れている。だが、今は観念しているらしく、大人しいものだ。
雅弥は項垂れている木下に歩み寄ると、泰騎が背後から後ろ手に固定している木下の両手を解放させ、両手で握った。大振りなブラックダイヤモンドの着いた指輪だらけの手を包み込み、真っ直ぐ、木下のダークブラウンの瞳を見詰める。
「今回の件、もしかして、我が社が美容関係の薬品に着手するのがお気に召しませんか? こちらとしては、そちらと協力関係にありたいと思っているのですが……。まさか、狙撃手を雇う程嫌われていたとは思いませんでした」
木下の瞳が大きく揺らいだ。顔は化粧とチークに隠れて分からないが、耳が真っ赤だ。木下はその場に崩れ落ちた。弱々しい声で、違う、と呻く。
「違う……んです。あの、わたし……」
木下は鼻に掛かった涙声で、続きの言葉を紡ぎ出す。
「二条さんが、好きなんですぅぅ……」
肩を震わせ、両手で顔を覆った木下の声はくぐもっていたが、その場に居る全員には聞き取れた。
呆然と立ち尽くす面々の中で、雅弥だけが「そうなんですか」と、この状況を受け入れている。
「いや、社長……『そうなんですか』って、命狙われたんですよ?」
これは任務継続中の泰騎の発言だ。
雅弥はにっこり笑った。
「だって、嫌われてたと思ってたけど、実際には好かれてたんだから嬉しい事だよ?」
「というか、木下さんは何故社長を撃たせたんですか?」
全く理解出来ないといった表情で、泰騎が問う。すると木下は恥ずかしそうに体をくねらせた。
「それも、あの……撃とうとしたのはそっちのお嬢さんの方で、二条さんを撃つ気は無くて……。元々、別の社交パーティーで二条さんに言い寄って来ていた女を撃ち殺そうと思って雇ったスナイパーで……あの……」
この場に居る全員が、それこそ見事な満場一致状態で、且つ、同じタイミングでこう思った。
この女、思考回路と行動がヤバイ――と。
落ち着いて話を聞き、木下照美の出した結論は、こうだ。
「こんなロリコン趣味の方とはお付き合い出来ません」
雅弥からは何のアプローチもしていないのに、何故か雅弥が振られるという形になっていた。それに関する発言を雅弥は完全に無視すると、ちゃっかり商談へ話を持って行き、書類を挟んで企業間の良好な関係を約束させ、大団円を迎えて終わった。
後日。
恵未は、自分のデスクに座って震えていた。それを不思議に思った潤は、書類から顔を上げて隣の恵未に視線を向ける。
「どうしたんだ?」
恵未が見ているのは、自分の給与が振り込まれる口座の通帳だ。
「あ、あの……工作業務って、一度の仕事でこんなにお金が貰えるんですか?」
流石に、他人の通帳を覗き込むのは気が引けるので、潤は自分の経験から金額を割り出した。
(今回の仕事内容だと……多分、三万円くらいかな……)
他の、それこそアメリカなどにある裏工作業務を行っている企業からすると、超低価格なわけだが――それは伏せ、答える。
「あぁ。恵未の場合、武器の維持費や消耗品もないから全部小遣いに出来るぞ」
この潤の発言に、恵未は瞳を輝かせた。
「潤先輩、あの、今週の土曜日、暇ですか!?」
「土曜日……あぁ。特に予定はない」
「夕方のテレビで紹介されてたんですけど、新しく出来たコーヒーショップのパンケーキが美味しいらしいんです。一緒に行きませんか?」
そういえば、なにやら有名コーヒーチェーン店の名前を捩った店が出来たとかどうとか言っていたな、と潤は記憶を掘り起こした。
潤の向かいに座っている泰騎が、勢いよく挙手する。髪の毛はいつも通りの灰色に戻っている。
「はいはーい。オレも行くー。今度女の子連れてったげるって約束しとるから、下見ついでに行くー。ついでのついでに、倖ちゃんも呼んでええ? 今回、恵未ちゃんの衣装コーデに協力して貰うたし」
恵未の返事は待たずに、泰騎はデスクに備え付けられている電話の内線を繋げた。
「倖ちゃん、お疲れー。うっわ、声が死にそうじゃがん。でなでな。今週の土曜日、時間があったら、すなの珈琲行こうで。…………。いやいや、オレとふたりだけじゃねぇって。潤と恵未ちゃんも居るよ。因みに、倖ちゃんの分はオレのおごりな。よっしゃ。詳しい時間はメール送るわ。んじゃ」
というわけで、週末は四人で外食する事となった。
これが後に出来る《P×P》の、初の幹部会食となるわけだ。




