社交パーティー
今回の現場は、兵庫県郊外の山中にある、ホテル。それほど大きくはなく、五階建てだ。
会場は五階の大ホールとなっている。結婚披露宴にも使われていそうな内装や装飾だ。四面ある壁の内、二面に沿って長テーブルが並び、その上に様々な料理が置かれている。
受付を済ませ会場へ入ると、疎らに男性も居るものの、やはり若い女性が多い。
今回のパーティーは、美容、スキンケア関係の仕事をしている人物が多く参加している。勿論、雅弥は仕事関係で、普段からの顔見知りも多い。参加者の大半は、仕事上の情報交換をするのが目的だ。
パーティー主催者も女性。年齢は三十代後半らしいが、かなり若く見える。整形をした痕も見られない。仕草は上品なのだが、身に着けている装飾品の宝石は大振りで、あまり上品とは言えない。ただ、宝石は全てブラックダイヤモンドのようだ。
「二条さん、こんばんは。今日は可愛いお嬢さんをお連れなのね」
「木下さん、本日はお招きいただき、有り難うございます。この子は、娘のように可愛がっている僕の愛人ですよ」
『娘のように可愛がっている愛人』というのも、とんでもない誤解を招きそうな発言だ。が、朗らかに笑っている雅弥の横で、恵未が片脚を引いて会釈した。
恵未とは反対側に居る泰騎と潤は、主催女性――木下照美の笑顔が一瞬引き攣ったのを見て「ドン引きされたな」と確信を持った。
「ところで、そちらのおふたりは初めまして、よね?」
木下が、興味を泰騎と潤へ移してきた。
泰騎は頭を下げ、木下に綺麗な微笑を向ける。
「挨拶が遅れて申し訳ありません。《P・Co》の研究室に所属している、二泰騎と申します。こっちは条潤。訳あって言葉が話せませんが、音は聞こえています。彼女にお話の際には、お手数ですが私を通してください。本日は木下様のご厚意でこのような素晴らしい会に参加出来、嬉しく思っております。ありがとうございます」
流暢に標準語で言い終えると、泰騎は再度、木下に向かってにっこりと微笑んだ。木下は満更でもないといった様子で返事をすると、楽しんでいってくださいね、と言い残して去って行った。
泰騎の物言いに、恵未は本日何度目かの驚きに襲われていた。勿論、顔には出さないが。胸中で、盛大な溜め息を吐く。
(なんか……今の泰騎先輩を見てたら、工作員でやっていく自信なくなったわ)
というのが、今の恵未の素直な感想だ。かといって、他の業務が出来るかと問われれば――あまり良い答えが出来ないのも現状だ。
取り敢えず、今現在の恵未は、にこにこしながら雅弥の腕に手を添えているのが最良の状態だ。という事は、間違いない。
パーティー開始から三十分が経過しようとしていた。特に何も起こらない。平和なものだ。
料理が無い面の壁際で、二十代の若い女性を眺めながら雅弥はワイングラスに口を付けていた。元々たくさん注がれていない赤ワインは、あまり減っていない。
「若い子が沢山居ると、華やかだし良い匂いがするし、気持ちが高揚するよねぇ」
デレデレとしている雅弥に、にこにこ笑ったまま、恵未が小声で話し掛ける。
「社長、若い女の人が好きなら、何で女避けが必要なんですか?」
「え? だって、こうやって遠くから眺めるのと、言い寄られるのとじゃ意味合いが違うでしょ? 僕は、可愛い子を遠くから見てるだけで結構満足なんだよ」
分かったような、分からないような。恵未は、そうですか、と言ってまた黙った。にこにこ顔はそのままだ。
恵未は、華やかな女性たちに囲まれている先輩ふたりを眺めてみた。遠目から女性たちの表情を見るに、泰騎目的と潤目的で会話をしている者が半々くらいだろう。
今の泰騎は物腰柔らかで、いかにも、こういう場に居る“お上品な女性”受けしそうな立ち居振る舞いなので、納得するしかない。というか、普段の泰騎は今と一八〇度違う印象なわけだが、私生活でも女性と出掛けているイメージが強いので、その面でも納得だ。
で、この会場内の女性中、頭ひとつ分飛び出しているのが潤だ。ヒールの高さは、確か三センチほどの低いものを履いている筈だが、それでも一八〇センチ近い身長になる。パッと見、でかい人形が歩いているようにしか見えない。若しくは、テイラー・スウィフトだ。それでも、数十人居る女性の中で、男である潤が一番綺麗だというのも、皮肉な話だ。と恵未は思った。
潤に寄っている女性の興味対象は、大半が顔面に集中しているようだ。その中でも、瞳の色だろう。青いパライバトルマリンのような瞳の真ん中だけが、赤紫のルベライトトルマリンのように輝いているのだ。光物が好きな女性が引き寄せられるのも頷ける。
あとは、使っているスキンケア用品は何だとか、使っている化粧ブランドはどこだとか、そういった話だろう。ただ、潤は今日話せない設定なので、ビジネススマイルと筆談のみで対応している。
成る程、この質問攻め状態は、反対に情報を聞き出すのにも適している。
恵未はまた、小声で雅弥に話し掛ける。
「潤先輩の声、変声機や変声剤を使うんじゃ駄目なんですか?」
「変声機は、敏感な子なら機械音に気付いちゃうんだよね。変声剤も、潤に使えるものって、まだ開発されてないんだ」
恵未は、またも納得するしかなかった。
「ところでさ。恵未もお腹が空いたんじゃない? 僕に気を使わずに、食べたい物を食べなよ」
そういえば、胃が空腹を訴えている。こんな事も忘れる程、緊張をしていたのだろうか。恵未はずらりと並んでいる料理たちを回視した。女性が好みそうな、彩り豊かな料理が並んでいる。特に、スイーツ系の品揃えが素晴らしい。
恵未は固定された笑顔のまま、雅弥の腕を引いた。
「雅弥さん、私、甘いものが食べたいです」
上目遣いで、その大きな目を瞬かせ、身体を相手の腕に添わせて、それは完璧な“愛人らしいおねだり”の様子だった。
「うぅぅおいしい……すごく、おいしい……」
感動を噛みしめている恵未は、本日イチの笑顔を見せている。
最近まで山に籠って、野草やら熊やら野兎やらを食べていた恵未だ。そんな彼女にとって、目の前に広がる色取り取りの菓子類は、それこそ、宝石のように見えている。しかも、田舎に在るとはいえ、一流ホテルの料理だ。先日まで一般社会と隔離されていた、十五歳の少女が感動するのも無理はない。
「恵未は甘いものが好きなんだねー。その顔、すっごくいいよー。好きなものを食べてる時の女の子ってホント可愛いなぁ」
“愛人”相手の演技なのか素なのか――雅弥はザッハトルテを頬張る恵未に、ハンカチを差し出した。
「こんなに美味しいものが食べられるなら、私、ずっと愛人が良いです」
「ふふ。そんなに喜んでもらえるなら、今後もお願いしようかな」
そこで、恵未のフォークが止まった。ザッハトルテはまだ少し皿に残っている。視線だけ、周囲へ向けた。
恵未は雅弥の右腕に自分の左腕を組むと、右手に食べ残しを持ったまま、雅弥を見上げる。左腕に力を入れて。
「雅弥さん。ちょっと壁際に行きましょう」
恵未が雅弥の腕を引いて料理から離れた瞬間――テーブルに載っている、マカロンタワーが吹き飛んだ。マカロンタワーのすぐ後ろにある壁には、鈍色の銃弾が刺さっている。
状況が呑み込めずに呆然としていた女性たちが騒ぎ出すのに、そう時間は掛からなかった。