面倒な依頼
これは、恵未――十五歳――の訓練卒業試験が終わった、数日後の出来事である。
依頼というものは、いつも突然やってくる。
鳥取県にある、《P・Co》本社。
工作員の勤務先は、本社ビルの三階、四階、五階。因みに、このビルは七階建てで、七階は武器庫代わりに様々な物資が格納されている。六階が社長室と応接室。五階は工作員の中でも、役員や顧問。四階は中堅。主に、勤続五年以上の人員が居る。三階はそれ以下の新人が振り当てられるフロアだ。
裏事業である工作業務の依頼が無い時は、製薬部の書類整理などをしている。
依頼を持って来たのは、社長秘書である謙冴だった。
通常、依頼書を持って来るのは部長か次長だ。
ただ、稀に例外がある。このパターンは、九十九パーセントの確率で、社長である雅弥に関する依頼だ。
「金曜の夜、関連企業の社交パーティーがある。俺は用事があるから、三人で雅弥の護衛に行って来てくれ」
書類を受け取りながら、恵未の先輩である泰騎は「へぇ。恵未ちゃん初仕事じゃがん」と、斜めの位置に座っている恵未に書類を渡した。地毛である灰色の髪が、動きに合わせてふわりと揺れる。
受け取った少女は、左耳にオニキスの丸いピアス、黒い髪はスポーティーなショートカットだ。そんな恵未も、目を通す。少し、顔が強張った。
「パーティー……ですか?」
「あぁ。恵未の役目は、雅弥の愛人役だ。余計な虫が近付かないように見張っていてくれ」
さらりと言って退けられたが、泰騎は半眼になって恵未の肩に手を置いた。
「謙冴さん、恵未ちゃんが社長の愛人って、設定年齢低すぎじゃわ。犯罪の臭いしかせんで」
だが、謙冴の表情は変わらない。
「変態臭さを漂わせていた方が、女は寄って来ない」
真顔でそう言われては、反論のしようがなかった。泰騎は恵未に関する話題を打ち切り、別の質問を投げる。
「で、オレらは何をすればええん? フロアスタッフとして潜り込むんなら、今から潜入しとかんと現場のスタッフと調和がとれんよ」
「泰騎と潤は、ウチの研究室の人員として登録する。ゲスト扱いだ。今回のパーティーは、とにかく二十代の女性が多い。今後の薬品研究の為に、身体に関する悩みや不安や希望をそれとなく聞き出しつつ、雅弥の警護をするのがお前たちの任務だ。書類に記載しているが、今回の会合は化粧品会社ばかりだからな。聞き耳を立てているだけでも結構な情報が手に入る筈だ」
「あぁ、そゆ事。了解。書類読んで、質問あったらまた電話するわ」
泰騎は揚々と謙冴に向かって手を振った。だが、向かいのデスクに座っている潤の表情を見て、首を傾げた。
泰騎の相方である潤は、恵未から受け取った書類を手にしたまま、固まっている。小さな声で、またか、と眉根を寄せているのだ。
泰騎と潤は、恵未とは違う依頼書に詳細が書かれていた。その上部に“男女ペア”と印字されている。つまり、どちらかが女性用ドレスを着用しなければならない。そしてこの場合、確実に自分がその役をやるのだという事を、潤は知っている。
泰騎と潤が工作員として働き始めてから、約二年になる。
この手の依頼を最初に受けた時、泰騎と散々押し問答し、最終的には雅弥に「潤のドレス姿、見てみたいなぁ」と言われた事で折れ、このポジションに納まってしまったのだ。
しかも、七階にある工作員専用衣装ダンスに、潤専用のドレスが三着も収納されている。
因みに、アクセサリー類はピアス以外共用だ。
「私、お化粧するの苦手なんですよ」
と漏らしたのは、恵未だ。それに対し、泰騎が手を打つ。
「倖ちゃんはそういうの上手じゃで。ヘアメイク込みの全身コーディネートしてくれるから、連絡しとくわ」
「倖ちゃ……あぁ、情報部に居る、髪が紫色で白いマフラーの人ですか」
「そうそう。いっつも忙しくしとるけど、金さえ出せば時間作ってくれるで」
“金さえ出せば”というフレーズに、そうなんですか、と恵未の眼が半分に細められた。
金曜日。
パーティーは二十時からだ。現在は十七時三十分。雅弥と倖魅を含めた一行は、七階の衣装部屋へ集合していた。
「今日の潤のカラコンは、青色にしてみたよ」
雅弥が取り出したのは、社内で作られた青色のカラーコンタクトレンズだ。
真っ赤な瞳の潤は、とにかく目立つ。個人を特定されるリスクも増すので、潜入捜査時などはカラコンで目の色を誤魔化すようにしていた。
潤は雅弥からカラコンを受け取ると、泰騎に目配せした。
「じゃ、潤の全身コーデはオレがやるから、倖ちゃんは恵未ちゃんをよろしく!」
潤の衣装コーナーから赤紫のドレスとピンヒールのパンプスを引っ張り出した泰騎が、潤と共に別のフィッティングルームへと消えた。
残されたのは、雅弥と倖魅と恵未。雅弥はSサイズのドレスを眺めている。
「恵未には黒系が似合うと思うなぁ」
「黒は女を美しく見せるって言うしねー。でもボク的には、紫も捨てがたいなぁ。社長は黒いスーツだもんね。愛人って設定なら、女性を目立たせた方が良いかなって思うんだよね」
そんな男ふたりの会話を聞きながら、恵未はドレスやスーツの大群を見回した。
訓練時代に何度か変装やら何やらをしたが、これ程沢山の衣装を一度に見た事はないので、興味はそっちに移っている。とはいえ、恵未はファッション自体に興味を持っているわけではないので、すぐに男ふたりに視線を戻した。
「じゃあ恵未ちゃん、取り敢えずコレ着てみてくれる?」
倖魅が差し出してきたのは、鎖骨下辺りに花のあしらわれた、青紫色のドレスだ。
恵未はドレスを受け取ると、フィッティングルームのカーテンを閉めた。
数分経って現れた恵未は、ドレスをバスローブのように引っ掛けていた。
「着方が分からない」
背中が編み上げになっているので、確かにひとりで着るには困難なデザインだ。雅弥は笑いを堪えているのだが、倖魅は込み上げる衝動を抑えきれず、吹き出した。
「あはははは! ごめんごめん。工作員って、みんな器用なのかと思ってたからさ」
恵未はむすっと、頬を張らせている。そんなに笑わなくてもいいじゃない、と小さく漏らし、倖魅に背を向けた。
恵未自身、まさかまだ二度しか会った事のない人物に、こんなに盛大に馬鹿にされるとは思わなかった。全く嬉しくない。
倖魅が恵未の背中を固定し終えた。
雅弥はというと、七五三の衣装を着た娘を見るような目で恵未の事を見ている。
「わぁ。可愛いねー。恵未は紫も似合うなぁ」
『似合う』と言われると、悪い気はしない。実際、紫は好きな色だ。恵未はドレスを見ながら、くるりと一回転してみた。少々動き辛いが、問題はなさそうだ。
「じゃあ、次はお化粧をしようか」
倖魅は恵未に取り敢えずスリッパを履かせ、ドレッサーへと誘導する。
何故男の倖魅が化粧のやり方を知っているのかと、恵未は疑問に思った。しかも、手際が良い。
泰騎の話では、倖魅の年齢は十六歳の筈だ。十六歳の男性が化粧慣れしているというのも、おかしな話だ。泰騎はまだ分かる。訓練内容に、化粧の仕方も含まれていたからだ。だが、内勤の倖魅がそんな訓練を受けているとは思えない。
「ボクがお化粧するの、そんなに不思議かなぁ?」
疑問が表情に出ていたらしい。
「少し」
短い恵未の返答に、倖魅が苦笑する。
「ボクね、今、一緒に暮らしてる姉が三人いるんだ。あ、血は繋がってないんだけどね。ひとり、すっごく不器用な姉が居てさ。お遊びでお化粧をしてみたら、結構上手く出来て、褒められたんだよね。それが嬉しくて、たまに姉のお化粧をやってたら、上手になっちゃったんだ」
美容院に居るスタイリストのように話す倖魅だが、恵未は「そうなんですか」と相槌を打つのみだった。
総スタイリングが完了し、泰騎と潤も合流したわけだが――
「え……っと……」
恵未は、目の前に現れた人物ふたりを交互に見やり、目を見張った。見知った人物が、目の前に居ない。プチパニック状態だ。
泰騎は髪と眉を黒く染め、黒目のコンタクトレンズを入れている。そして、前髪は整髪剤でしっかりと上げられている状態だ。着ているスーツは濃いめのグレーで、同色のネクタイを締めている。
その隣に立っている潤は、元々肩甲骨辺りまで伸びていた地毛をもみあげ部分のみ残して、後頭部で団子にしている。その周りを、ドレスと同色の薔薇が付いたUピンが彩り、飾っている。眼の色は青いのだが、虹彩部分だけ元の色の影響で赤紫色だ。
左目にある“人”のような傷も、コンシーラーか特殊メイクかで綺麗に消されている。胸元はパッドを押し込んで、膨らみを作っていた。
あまりの仕上がり具合に、恵未は言葉が出なかった。かろうじて、女神様ってこんな感じなのかもしれない……、とぼんやり思えたくらいだ。
「恵未ちゃん、可愛いなぁー。やっぱ素材がええと、何着ても似合うな!」
喋ると、やはり泰騎だ。視覚から入る情報と、聴覚から入る情報が合致しない。恵未は未だにパニック状態の頭を整理する為に、深呼吸をした。
「恵未は長い髪も似合うのに。入社と同時に切ったのは、惜しかったと思うな」
潤は潤で、見た目は人形のようなのに、声が――澄んだ、いい声ではあるのだが――男のそれなので違和感しかない。
恵未はというと、長髪のウイッグを被っている。左耳に着けていたオニキスのピアスを外し、しずく型のゴールドピアスを着けている。恵未も恵未で、なかなか可愛らしいお人形さんっぷりだ。
ただ、雅弥の愛人役にしてはやはり幼い。中学生にしか見えない容姿をしているので、これは泰騎の言った通り、犯罪臭が凄い。
「社長と並ぶと、父親と娘じゃなぁ」
「これで“愛人”という表現を使うと、特殊性癖者っぽさが増すな……」
潤は長い睫毛を伏せ、嘆息した。
「ところで、社長は髪の毛上げたりしなくて良いの?」
倖魅の問いに、雅弥は肩を竦める。
「うぅーん……他の会社の重役ばっかり居るパーティーならそうするけど、今回は若い女の子が多いらしいし、面倒だからいいや」
この雅弥の様子からすると、謙冴の用事はさほど重要ではないのであろう事が伺える。そう。確実に、謙冴に面倒事を押し付けられたのだ。
「まぁ、薄々感じとったけど」
泰騎の独り言に頷いたのは、泰騎と同じ事を考えていた潤だけだった。
移動の車の運転は、謙冴だ。今回はセダンタイプの車ではなく、ワンボックスタイプの車だった。色は、いつも通り真っ黒だ。
「見て見て謙冴ー。僕の愛人、すっごく可愛いでしょー?」
恵未の肩を抱き寄せる雅弥に、謙冴はいつもと同じ顔で「いい感じに変態っぽい仕上がりになったな」と返事した。恵未はどう返事をしていいものか分からず、無言だ。
「じゃあね。いってらっしゃい」
手を振る倖魅に見送られ、車はパーティー会場へ向かった。




