ミシェル・モーガンの遺言書
『モブ令嬢は攻略対象の婚約者』のスピンオフです。
春。日差しもぬるくなり、花々が一斉に咲き誇るころ、わたくしは血を吐いて倒れました。医者の話では病の進行が早く、魔法でも治せないということでしたが、わたくしは、わずかばかりのショックは受けたものの、そういう運命なのだと、事態を受け止めておりました。わたくしには、自分の死はどこかで他人事のようにも感じられていたのです。それに、なぜかとてもほっとした気分でございました。
それからの日々は、これまでと変わらず、カルテナ修道院で規則正しく生活しておりました。お祈りや悩み事を話しに来る老若男女と共に過ごし、少しばかりの荷物の整理をするような日々でした。けれど、体はだんだんということをきかなくなり、起き上がることもままならない日々が始まりました。
修道院長様は、家族に連絡して実家に帰そうとしてくれましたが、わたくしはお断りいたしました。わたくしには、実家はないのです。今あるのは兄や兄を応援してくださる方々が尽力して生まれ変わったモーガン男爵家。そのような場所に戻れるはずもありません。ですから、わたくしは死ぬまでカルテナ修道院においていただくことにしました。院長様も事情をわかってくださり、わたくしの世話を自らしてくださいました。とてもありがたいことです。わたくしは、申し訳なさと感謝でいっぱいになり、その心を伝えました。院長様はただ、首を横に振りあなたのしたいようになさいと言ってくれたのです。わたくしはその言葉に甘えて、最期の時までここで過ごしておりました。ただ、忙しい兄の代わりにときどきわたくしに会いに来てくれていた甥には、事情を知らせてやらねばならないと思ったのです。
なぜ、わたくしが修道女になったのかについて……。
『遺言というにはいささか長い話でございます。あなたが知りたがっていたモーガン男爵家の窮地についてお話しておこうと思い、筆をとりました。
何から書けばよいでしょう。もう、三十年も前の話ですから。あなたがどこまでご存じなのかはわかりかねますので、できるだけ詳細に記すことにいたしましょう。
長い手紙となりますが、ご容赦くださいませ。
わたくしは、十の時からアルマ・キース嬢とかかわりを持っておりました。友人というのは表向きのことでございます。わたくしは、父の借金のかたにキース男爵家で侍女をしておりました。わたくしのお仕事は、アルマ嬢の身の回りの世話でございます。あなたはなぜと思われるかもしれませんね。現在のモーガン家ではつつがなく、お過ごしのことでしょうし、すでにキース家は存在しませんから。けれど、当時は違ったのでございます。わたくしの両親、あなたにとってのおじい様とおばあ様は、大変な浪費家であり、暗愚といっていいほど、領地の運営や商売ごとには不向きな方々でした。あなたのお父様は、それを反面教師と成さり、勤勉で実直にお育ちになったのです。わたくしがキース家に奉公にだされることにも、心を痛め反対してくださいましたが、その願いはかなえられませんでした。
そうそう、最初に言っておかなければいけないのは、モーガン家は一度取りつぶしの憂き目にあったのでございます。ただ、あなたのお父様の才覚をご存じの方々がお力添えくださり、再興することができたのです。ですから、あなたもどうぞ勉学に励み、民を思う領主になってくださいませ。
ああ、話がずれてしまいましたね。ごめんなさい。
とにかく、わたくしはアルマ嬢の側で幼少を過ごし、件の事件が起こるまで彼女に仕えていたのでございます。わたくしが、なぜ借金のかたにキース家に入れられたのかはわたくし自身も存じ上げません。ただ、キース家では、アルマ嬢の言動は絶対的なものでした。神がかりな奇跡を何度もわたくしは見せつけられました。例えば、傾きかけた生糸の生産性を上げる方法を十歳の少女が指示し、成功させたり、次に世間でどのような物が流行するかなど、ぴたりと当てられていたのでございます。ですから、キース家では彼女は聖女のように扱われておりました。
けれど、あなたもご存じの通り、貴族のしきたりにのっとってわたしたちは、王立魔法学院に入学しなければなりませんでした。そのとき、わたくしは少しだけほっとしたのでございます。なぜなら、学院内では生徒は平等だからでございます。けれど、その期待はむなしくも破られてしまいました。
わたくしは、進学してからもアルマ嬢の世話をしなければならなかったのです。そうしなければ、キース家からの当家に対する援助は打ち切られてしまうからでした。それを決めたのもアルマ嬢でした。彼女は、魔力は普通だったのですが、ずっと崇め奉られて育った方ですから、貴族としての作法や勉学には暗い部分がございました。当然と言えば当然のことでございます。
当時のことを思いますと少し胸が苦しくなりますが、お話を続けましょう。
アルマ嬢には入学の時から、奇妙な言動がございました。わたくしが何か粗相をすると決まっておっしゃるのでございます。将来の王妃に対して何と無礼なと……。それに、例え学院内では生徒は平等と申しましても、男爵家の娘がすでに婚約者をお持ちの王子や上位の貴族男性に近づくことは、無知蒙昧ととらえられても致し方のないことかと存じます。
そうです。あなたもお気づきでしょうが、アルマ嬢はエドワード殿下をはじめ、クロトア・エヴァンズ公爵様、クリストファー・リザーズ侯爵様に近づかれたのでございます。誰かお一方なら、同じ女として恋をしているのだと思うこともできたでしょうし、多少は応援をしたかもしれません。ですが、何をどう勘違いなされていたのか、当時のアルマ嬢はこのお三方だけでなく、エドワード様の護衛であるアルバート・ロイド様にも、接近されていたのでございます。
わたくしにはよくわからないのですが、アルマ嬢は神の啓示に逆らってはいけないのよとおっしゃっていたのを覚えています。結果から言えば、そのような妄想とも思われる何かにすがったために、アルマ嬢は下女として無給で働くことになったのです。
わたくしも、その啓示とやらに振り回されておりました。アルマ嬢が慌ただしくエドワード様に取り入っている間、わたくしは一つの命令をされておりました。リザーズ侯爵様の婚約者、今の奥様であるルーシェ・アリスベルガー子爵令嬢に近づき、なんでもよいから欠点を探してこいと言われておりました。わたくしは仕方なく、ランチの時間にお一人でおられたルーシェ様に近づいていろいろとお話をさせていただきました。正直にいいますと、わたくしごときが相手にされるとは思っていませんでした。貴方も知っての通り、ルーシェ様は稀なる力をもった紫の瞳を持つお方。太古の高潔なる一族の証。ですから、誰もが近づきたくても近づけない存在だったのでございます。わたくしのたくらみなど、すぐにばれてしまうにちがいないと思っておりました。ですが、ルーシェ様にそのような様子はなく、瞳を輝かせて気さくに笑ってくださったのです。そしてどんな質問にも誠実に答えてくださいました。
苦手なことも、得意なことも包み隠さず……。けれど、何度かランチをご一緒してその優しさに触れれば触れるほど、お側にいるのが辛くなっていきました。ですから、わたくしはアルマ嬢に人を疑うことをご存じない方だと申し上げて、それ以上ルーシェ様に近づくことを拒否しました。アルマ嬢もそれで満足したご様子で、しばらくは何も言いませんでした。
おかげで、わたくしはしばらくの間、学業にいそしみ魔法の鍛錬に集中することができ、夏休み前の試験ではよい成績が納められました。そして、その頃にはアルマ嬢とエドワード様はかなり親密なご関係になっていたようでございます。様々な噂が耳をかすめていきました。
アルマ嬢は、エドワード様だけでなく、エヴァンズ公爵様やロイド様をはべらしてお昼を召し上がっているだとか、エドワード様と二人だけで遠乗りにおでかけになっただとか……。毎日のように、様々な場所でいろいろの噂が流れておりました。
わたくしは、ほんの少しアルマ嬢がおっしゃっていたことが現実になるのではないかと不安になりましたが、どう考えてもそのようなことは、よほどのことがなければ起こり得ないのです。なぜなら、当時、エドワード殿下には婚約者がいらっしゃいました。アリエス・ドラクロア公爵令嬢でございます。
そうです。現在のヒース・ウィルス大公夫人でございます。どんなにアルマ嬢がエドワード様と親しくなったからと言って、家同士の決め事を覆すことはできません。けれど、夏のダンスパーティの際、エドワード様とダンスをされたのはアルマ嬢だったのです。
わたくしは、いままで彼女の起こした奇跡を目の当たりにしてきたので、不安を拭い去ることはできませんでした。それでも、彼女と離れている時間が長くなるとその不安は小さくなりました。そして、学院内では、生徒会のはからいでダンスの練習や簡単なお茶会のできるスペースがつくられたり、月二回予約制で闘技場での魔法の鍛錬もできるようになりました。みな、そのような画期的な改革に大喜びしておりました。特に、まだ婚約者のいない生徒たちは、ダンスやお茶会を通してお近づきになっておりました。
わたくしも、何人かの男子生徒にダンスの相手を申し入れられたり、お友達とお茶会を開いて楽しい日々をすごしておりました。幸いにもその間は、アルマ嬢のことを忘れて学生らしい時間を過ごすことができたのです。
しかし、季節は移り変わり、時は無情にも流れていきました。わたくしは、もう彼女にとって用済みの人間なのだと思い始めていた頃のことでございます。肌寒さが身に沁み始めたころ、アルマ嬢はわたくしに一つの命令をくだしました。ルーシェ様がアルマ嬢を害したという既成事実を作る工作に手をかせとおっしゃるのです。わたくしはできないと拒否しようとしましたが、実家のことを持ち出され、ようやく懇意にしてくださっている皆様へ根も葉もない噂をばらまくと脅されてしまったのでございます。
もし、あのときわたくしに勇気というものがあったなら、すくなくともルーシェ様にご迷惑をかけることも家を取りつぶされることもなかったでしょう。ですが、残念ながら当時のわたくしにはアルマ嬢の命令は絶対的なことのように感じられていたのです。恐ろしいことにアルマ嬢は、神の啓示を受けたといい、日時と時刻、場所をわたくしに話してきかせました。わたくしは、そのとき目撃者となり、悲鳴をあげて周りに起こったことを知らせる役目だと言われたのでございます。
そのように言われてしまいましては、とてもアルマ嬢に抗うことはできません。これは宿命としか考えることができず、わたくしはその時を待ちました。そして、アルマ嬢が予言したとおり、階段ですれ違ったルーシェ様がアルマ嬢を突き飛ばしたのです。わたくしは思わず悲鳴をあげました。まるで、この場面を知っていたかのように口からはすらすらと言葉が出て行ったのです。けれど、現実は違いました。ルーシェ様は、両手に大量の書類を抱えており、とても突き飛ばしたようには見えませんでした。それでも、わたくしは、何かに操られるかのように何度教師に尋ねられても、ルーシェ様がアルマ嬢を階段から突き飛ばしたとしか答えられなかったのでございます。今、考えても不思議な体験でございました。わたくしは事実を認識しているのに、口から出る言葉はただただそれだけなのでございます。事実を申し上げようとすればするほど、体は固く緊張し、口は意固地に同じセリフを繰り返すのでした。
そして、件の事件は起こりました。エドワード様たち三年生の卒業式の日でございます。エドワード様は声高らかに婚約破棄を宣言され、アルマ嬢と結ばれることを望みました。それだけでしたら、陛下にお願いをして、アリエス様との婚約を解消すれば廃嫡などということにはならなかったでしょう。
あのとき、エドワード様はアリエス様をアルマ嬢殺害の首謀者として、聴衆の前で跪かせようとなさいました。しかし、確たる証拠もなくそのようなことができようはずもありません。そして、わたくしとルーシェ様が呼ばれました。エドワード様は、ルーシェ様がアルマ嬢を殺害しようと階段から突き落としたのだとおっしゃったのです。しかし、ルーシェ様がアルマ嬢を害したという事実は、二年生の男子生徒の証言や状況、わたくしとアルマ嬢の証言の食い違いから見事に覆されました。わたくしは混乱しました。自分が言っていることが事実なのかそうでないのか、そのときのわたくしには全く判断ができなかったのでございます。ただただ、蒼くなって震えるばかりです。そのような状況の中、わたくしはエドワード様にだましたのかとお叱りを受け、その場に座り込んでしまいました。そして、あなたも存じ上げているでしょうが、その場で陛下が婚約破棄をお認めになったのでございます。
ルーシェ様は余程恐ろしかったのでしょうね。エドワード様とアルマ嬢が連行されてから、涙を流しておいででした。わたくしはその姿をはた目にしながら、先生たちに助け起こされ、寮へと戻されました。わたくしは、自分に何が起きたのか把握するまで数日の時間が必要でした。冬休みに実家へ帰されるまでの間、治療部の先生が何度も回復の魔法をかけにきてくださり、ようやく正気を取り戻したときには、当家のとりつぶしが決まり、エドワード様が廃嫡され、アルマ嬢が無給の下女になってからでした。わたくしは、今もなぜあのようなことをしでかしてしまったのかと後悔の念で胸が塞がる思いです。しかし、起きてしまったことは致し方ありません。お兄様にも、顔向けができないと思い、自ら修道の道を選んだ次第です。
ここにきて、わたしの人生は始めから他人のためにあるのだと悟りました。人々に尽くし、多少なりともその方々の人生がよき方向へ進むよう努力することで、わたくしは救われたのでございます。あなたが、わたくしのことを気遣ってくれているだけでも、十分に幸いなことなのです。わたくしが今、病に苦しんでいるとお思いでしたら、どうか、気になさらないで。どうしても、気に病まれるのでしたら、祈ってくださいませ。わたくしがただ静かに天に召されること。
最後のわがままですが、わたしの亡骸はどうかカルテナ修道院に埋葬してください。わたしはここで自分らしく生きられたことに誇りを持っています。わたしは神に嫁いだのだと思ってくだされば幸いです。
どうぞ、あなたもご自愛ください。お兄様にも不出来な妹で申し訳なかったとお伝えくださいませ。
親愛なるベルーシュへ
ミシェルより』
わたくしは、手紙を書き終えるととても清々しい気分になりました。院長様にも今日はとても顔色がよろしいと言われ、気分がとても良いことを伝えました。そして、甥への手紙を託しました。院長様はそれを受け取り部屋を後にされました。
ああ、本当に清々しさでいっぱいです。そして、とても眠い。こんなに眠いのは病を得てからどれくれいぶりでしょうか。思い返せば、痛みに耐えかねて眠れぬ日もございました。けれど、今日はなんだかふわふわして心地よく、体の調子もいいようです。
少し眠りましょう。きっと、神のご慈悲でございましょう。
わたくしは、窓から差し込む暖かい日差しに包まれて、ゆっくりと目を閉じました……。
僕が叔母を見舞おうと準備していると、カルテナ修道院から使者がやってきて叔母の死を告げた。そして僕は叔母からの手紙を受け取った。弱弱しい筆致なのに、何かを必死で訴えてくる力のある手紙だった。その手紙を父にみせると、父は悔し気な表情を見せて僕に言った。家が取りつぶされたのはミシェルの責任ではないと。モーガン家が取りつぶされたのは、祖父母が魔法石の密売に手を染めていたからである。ただ、それを公にすることは、父の将来にかかわることだと当時の父の支援者たちが王へ進言したために、伏せられたのだという。モーガン家取りつぶしの理由は曖昧になったため、巷では愚かな少女の嘘が招いた悲劇として語られたのだった。
僕と父はその日のうちにカルテナ修道院へ赴いた。
叔母の死に顔は穏やかすぎるほど穏やかだった。眠っていると言われたらそうなのだと信じてしまえるほどに。父は冷たくなった叔母の体を抱きしめてしずかにすまぬと言った。僕は、少しの間部屋の外に出て、もう一度叔母の手紙を読み返していた。三十年前に起こった王子廃嫡事件の真相は、やはりはっきりしない。ただ、アルマ嬢という人には確かに魅了の力があったことがうかがわれた。
(神の啓示か……)
それがどういうたぐいのモノかは、本人以外にはわからないだろうなと僕は思った。
<了>