オズワルド王国の建国祭 上
オズワルド王国の建国日であるその日、王都は建国祭でいつも以上の賑わいを見せていた。
毎年この日になると、王都民は普段の仕事を忘れて、王宮から振舞われる葡萄酒を片手に昼夜を問わずどんちゃん騒ぎをする。だが、今年は例年にも増して祭りの規模が大きく、また人通りも多かった。
しかし、それも無理からぬことだろう。なにせ、今年は新王の即位と元王女が神の使徒となるという慶事が重なった年なのだから。
現に今も王都中のあちこちで、多くの民が王宮の方を眺めながら、2人の姉妹のことを親愛と敬愛を込めて語り合っていた。
そしてその王宮では、今まさに建国祭の記念パーティーが執り行われようとしていた。
* * * * * * *
(うぅ~~緊張する。あと何人とあいさつしないといけないんだっけ? 早く終わらないかなぁ)
王宮の大広間にて、今年8歳となって社交界デビューを果たしたばかりのゼレンは、まだ慣れないあいさつ回りに内心で弱音を漏らしていた。
しかし、それを表に出すわけにはいかない。
アスロート侯爵家の後継ぎである2歳年上の兄は、弟の目から見ても実に堂々とした態度で挨拶をしているのだ。自分が下手なことをして、兄の顔に泥を塗る訳にはいかない。
(でも、もう疲れたよ……)
会う人間の名前と顔を記憶するのも、もう限界だ。脳の記憶容量が悲鳴を上げているのが自分でもよく分かる。これ以上無理に覚えようとしたら、最初に覚えた人の名前がポロッと零れ落ちてしまうだろう。
しかし、幸いそこで挨拶回りは強制中断させられた。
大広間の奥にある扉の脇に立った儀典官が、女王陛下の入室を告げたからだ。
大広間に集まっていた全ての貴族が、一斉にその場に跪き、広間の奥に用意された玉座に向かって頭を下げる。
ゼレンも慌ててそれに倣い、たどたどしくも頭を下げる。
しかし、広間の奥から2組の足音が聞こえてくると、つい好奇心を抑えられずにそっと顔を上げ、玉座の方を盗み見てしまった。
するとそこには、玉座に向かって歩く2つの人影があった。
先を行くのは、白銀の髪に紫の瞳を持つ可愛らしい幼女。その後に、黒紫色の使徒服に身を包んだ金髪碧眼の美少女が続く。言うまでもない、女王と女王補佐だ。
ルーテシアは、慣れない衣装で頑張って歩いている。の、だが……いかんせん、王冠はその小さな頭には大き過ぎ、王笏はあまりに長過ぎた。一応、どちらも年若い王でも似合うよう少し小さめに作られてはいるのだが、流石にわずか4歳の幼女が身に付けることは想定されていなかったらしい。
左手で王冠の縁を支えながら、右手に握った王笏で自分の体を支えるその姿は、幼い子供が必死に背伸びをしているようにしか見えない。いや、実際その通りなのかもしれないが。
「あっ」
その時、ルーテシアが長いマントを自分で踏んづけてしまった。
そのまま前につんのめり、倒れ──るかと思いきや、その体が斜めの状態でピタリと静止した。その手から零れ落ちた王笏と王冠も、空中で完全に静止している。
その光景に、ゼレンがルーテシアの背後に視線を移すと……そこには背筋を綺麗に伸ばしたまま、右人差し指だけをすっと前に突き出しているレティシアがいた。
レティシアがその指をついっと上向けると、ルーテシアの体勢が元通りに起き上がり、ふわふわと浮いた王笏と王冠も元の位置に戻った。
「お姉さま、ありが──」
ルーテシアが振り返り、輝くような笑みでそう言い掛けたが、立てた右人差し指を口の前に移動させた姉の姿を見て、口を噤む。
そして前を向くと、再び玉座に向かって歩き始めた。
その微笑ましい姿に、ゼレンは思わずクスッと笑みを漏らし掛け──全身を襲う怖気に、表情を凍らせた。
じりっと怖気の発生源に目を向ければ、そこには真っ直ぐにこちらを見詰めるレティシアの姿が。
その冷徹な瞳が、如実にゼレンに問い掛けていた。「おかしい? わたくしの妹が一生懸命やっている姿が、そんなにおかしい?」と。
(とんでもありません! あまりに微笑ましくて、つい笑みが零れてしまっただけなんです!!)
そう脳内で絶叫しつつ首を高速で左右に振ると、ゼレンは速やかに顔を伏せた。
しかし考えてみれば、幼い女王に微笑と嘲笑の区別がつくとは思えない。これは完全に自分の不注意だった。
ゼレンがそう反省している間に、ルーテシアがついに玉座に辿り着いた。
「おもてを上げよ!」
大広間に、王の命が響き渡った。……微妙に舌足らずだったが。
命に従い、貴族達が顔を上げる。
そして、目撃した。
玉座にちょこんと腰掛け、地面に届かない足をぷらーんと宙に浮かせたまま、あまりにも不釣り合いな大きさの王冠と王笏を身に付けた小さな女王を。
その微笑ましく可愛らしい姿に、ある者は笑みを零し、自制心のない者は失笑し、自制心のある者でも、思わず口の端を吊り上げかけ……しかし誰1人、それを表に出すことは出来なかった。
女王の隣に立つ補佐役殿。その完璧な淑女の笑みの中、そこだけ冴え冴えとした輝きを放つ両目が、はっきりと「笑ったら殺す」と言っていたから。
「らくにするがいい」
その言葉に各々立ち上がった時には……貴族達は、一様にしかつめらしい顔になってしまっていた。
だがそんな貴族達の緊張を、我らが女王様が容赦なく突き崩そうとしてくる。何の悪気もなく、しかし凄まじい破壊力で。
「みなのもの、よくあつまってくれた。このよき日をみなとむかえられたことを、うれしくおもう。ことしもこうして、せいだいなパーティーがひらけたのは、ここにいるすべてのものたち、そしてわが…………わが?」
セリフ飛んどる!!
その場にいるすべての人間がそう思ったが、誰も何も言えず、表情にも出せない。だって怖いから。
絶対に笑ってはいけない開会の辞が、そこにはあった。
「わが、しんあいなるたみたちのおかげである」
幸いにして誰かが決壊する前に、ルーテシアは式辞を再開した。
しかし、よく見ると隣に立つレティシアの口が小さく動いている。
一部の者は察していたが、この時レティシアは風を操って、ルーテシアにだけ聞こえるように台本を諳んじていた。
その結果、お利口な妹はたちまち姉の言葉を繰り返すだけのお人形と化した。
自分で言ってて、意味が分かっていないのだろう。途中何度か妙なところで切れたり、疑問符が付いたように語尾が上がったりしていたが、ルーテシアはそれでもなんとか最後まで辿り着いた。
「きょうは、こころゆくまでたのしむがいいっ!!」
そう言い切ると同時に、我慢できなかったのだろう。ルーテシアは達成感に満ちた満面の笑みで、姉の方を振り返った。誰の目にも、「ちゃんとできたよ! ほめてほめて!」と言っているのが明白だった。
そんな妹に対して、レティシアは何かを堪えるように口と鼻を右手で押さえると、右の翼を伸ばしてそっと羽根の先でルーテシアの頬を撫でた。それにルーテシアはくすぐったそうに目を細めると、次の瞬間へにゃっと崩れた笑みを浮かべた。
そんな心温まる姉妹のやり取りを尻目に……貴族達の間には、ビリッとした緊張感が生まれていた。
しかし、それも当然だろう。この場にいる貴族達は皆、ルーテシアに取り入るというただ1つの共通の目的を持っているのだから。
元々、レティシアが王女として健在だった頃は、ルーテシアの政治的価値は薄かった。
なんせ対レティシアの神輿として担ごうにも、レティシアとの間の格付けがはっきりし過ぎていて対抗馬にすらならない。そもそも過保護な両親に守られ、パーティーにすらほとんど顔を出さないルーテシアには、取り入るきっかけすら滅多になかった。
そんなことに労力を割くくらいなら、次期国王確実なレティシアに擦り寄る努力をした方がずっと有意義だったのだ。
だが、突如としてレティシアが謀殺され、ルーテシアが玉座に就いてしまった。どの貴族の息も掛かっていない、背後関係がまっさらなルーテシアが。
この機会を逃す貴族など、この国には1人もいなかった。
もっとも、現在実権を握っているのはレティシアだ。
このまま行けば、元々レティシアに近いところにいた貴族家が、そのままルーテシアを支えることとなるのは明白だ。
だが、今だけはその者達を蹴散らし、一気に権力に近付く方法があった。
言うまでもない、王配の座である。
ルーテシアには、女王となった今も婚約者すらいない。
レティシアがルーテシアを溺愛していることは周知のこと。当のルーテシアに気に入られさえすれば、レティシアも強く否とは言えない可能性が高い。
アスロート侯爵家の次男であるゼレン含め、妙に小さな子息を連れた貴族が多いのは、要するにそういうことである。
元からレティシアと近しい間柄にあった高位貴族達が次々と姉妹に挨拶をする中、この機に女王に取り入ろうとする貴族達が視線で激しく牽制し合う。
そして女王の前が空いた瞬間、露骨になり過ぎないようさり気なく、しかし素早くその前に進み出ようとして……一斉に動きを止めた。
女王を挟んで、レティシアの反対側。そこにいつの間にか、純白の使徒服を纏った青年が立っていたが故に。
太陽神の使徒、ハーディーン。金色の髪と同じく金色の瞳を持つ、この世のものとは思えないほど美しい青年。その金色はレティシアの髪色に比べるとわずかに薄く、透けるような白皙と相まって、ますますその美貌から現実感を失わせていた。
その姿を見た瞬間、先程まで視線で牽制し合っていた貴族達が一斉に一歩後ろに下がり、今度は視線で譲り合いを始めた。「どうぞどうぞ」「いえ、そちらこそお先にどうぞ」という無言のやり取りがあちこちでなされる。
それも無理からぬことだろう。少し前まで人間だったレティシアはともかく、400年の長きに渡って使徒として生きるハーディーンは、この場にいる貴族にとって信仰の対象という以上に恐怖の対象なのだから。
当然だ。一切の駆け引きが通用せず、法律にも縛られない存在など、彼らが最も苦手とする相手だ。
もっとも、少し前まではそこに「誰にも止められない」という言葉が付いていたので、それに比べれば止められる人がいる分まだマシだが。
しかし何もされないとしても、ハーディーンはあらゆる嘘偽りを一瞬で見抜くことが出来る。
そして、この場にいる貴族家当主達の中で、自分が清廉潔白な生き方をしていると胸を張って言える人間などほとんどいないだろう。
いるとしたら、それは極めて珍しい聖人君子の類か、あるいは正当な自己評価も出来ない愚者のどちらかだ。
だからこそ、誰も彼の前に行きたがらない。自分にやましいところがあればなおのこと。
しかし、その中でついに1人の男が「じゃあ俺が行くっ!」と言わんばかりにずいっと前に出た。
当然、他の貴族は「どうぞどうぞ」と道を開け、その様子を見守る。
多くの注目が集まる中、その貴族──ムーボー伯爵は、夫人と1人の少年を連れて、自信満々に玉座の前に跪いた。
その3人を見て、レティシアが女王に伺いを立てた。
「陛下、ムーボー伯爵がお目通りをしたいとのことです」
「おもてを上げよ」
その声に従って頭を上げたムーボー伯爵は、まず左側のハーディーンに、次に右側のレティシアに視線を向けながら、挨拶を述べた。
「ご機嫌麗しゅうございます。ハーディーン様。レティシアさ──」
しかし、これが間違いだった。
全く笑っていないレティシアの目を見た瞬間、ムーボー伯爵もそれを悟った。
こういった公式の場での挨拶では、原則として目上の人間の名前を前に持ってくるものだ。
ムーボー伯爵とて、貴族である以上そのくらいのことは知っている。そして、知っているからこそ、神の使徒である2人に先に挨拶をしたのだが……それがレティシアは気に入らなかったらしい。
「舐めてる? わたくしの妹を舐めてるのかしら?」という無言のプレッシャーに、ムーボー伯爵は慌てて失言を取り消す。
「し、失礼しました。ご機嫌麗しゅうございます。女王陛下。ハーディーン様。そしてレティシア様」
レティシアの表情を伺う。……どうやらセーフらしい。
ほっと胸を撫で下ろしたムーボー伯爵は、そこから失態を挽回するようにぺらぺらと世辞を並べ始めた。やれ今年のパーティーはいつにも増して素晴らしいだの、お三方の美しさにはどんな芸術作品も敵わないだの、流石に自信満々なだけあってなかなかに口は立つようだったが……悲しいかな、ハーディーンには単純な嘘だけでなく、世辞も一切通用しないのだった。
途中でハーディーンが完全に目を閉じ、それを見たレティシアがスッと目を細めたのだが……ムーボー伯爵がそれに気付くことはなく、レティシアの表情が少し緩んだのを見て、場は十分温まったと判断(実際は、伯爵の長い話にあくびを噛み殺して涙目になっているルーテシアを見て、少し和んでいただけなのだが)。いよいよ本題に入った。
「そうそう、今日はつい先日社交界デビューをしたばかりの息子を紹介させて頂こうと思いましてな」
伯爵のその言葉に、それまで顔を伏せていた少年が顔を上げた。
7歳くらいに見えるその少年は、将来が楽しみな実に整った容姿をしており……しかし正直言って、伯爵と夫人のどちらとも似ていなかった。
「ダイトと申します。いや、これが我が息子ながらなかなかに優秀な奴でしてな」
そして、またお得意のマシンガントークが始まる。
やれこの歳でもうなんとかいう本を読んでいるだの、馬術の腕がどうだの。
レティシアと、そして再び目を開いたハーディーンも、そんな伯爵がどこかでボロを出さないか見ていたのだが……そこで、幼女の純粋な疑問が炸裂した。
「ふ〜ん、ぜんぜん2人ににてないね」
3人の顔を順に見比べながらポツリと呟かれたその言葉は、つい思ったことが口から出てしまったという風情だったのだが……それを聞いた伯爵の口上がピタリと止まった。
そして、ぎこちなく笑みを浮かべながら言う。
「は、はは、子が両親に似ないというのは、それほど珍しいことではありませんよ? かく言うわたくしも、よく祖父に似ていると言われますしな」
流石と言うべきか、伯爵は動揺しながらも巧みにボロは出さなかった。
だが、そこで夫人が余計な一言を言ってしまった。
「そうですわ。ダイトは主人の父に似ていますの。この赤髪は主人の生家のものですわ」
助け舟のつもりだったのだろう。
だが夫人がそう言った瞬間、レティシアがハーディーンの方を見た。
釣られた伯爵と夫人の視線も集まる中、ハーディーンは一切表情を変えず……静かに両目を閉じた。
それを見て、伯爵はようやくその仕草の意味を察した。途端、ザッとその顔から血の気が引く。
「まあ、そうですの……」
レティシアの欠片も納得しているように聞こえない声が、今はただ恐ろしい。
「大変興味深いお話でしたわ。今度是非、ゆっくり詳しい話を聞きたいものです。よろしいですね? ムーボー伯爵」
「は、はい……」
レティシアの提案の形を取った事実上の出頭命令に、ムーボー伯爵は頷くしかない。その表情には最初の自信など微塵も残っておらず、ただ絶望だけが満ちていた。
政略結婚のために、遠縁の貴族子弟や、時に容姿や能力の優れた平民を養子に取るというのは、実際貴族社会では珍しいことではない。
そして珍しいことではないからこそ、相手の家も養子の素性については詮索しないのが暗黙の了解になっていた。
だが、それは精々子爵家か、位が高くても伯爵家までの話。
王族相手に、しかも王配の座に素性の定かでない者を推すのは、いくらなんでも論外だ。
下位貴族の子供を養子に取ったというならまだしも、元が平民だったりしたら、王家を軽んじていると見なされて不敬罪を適用されてもおかしくない。
そして、伯爵の反応を見る限りどうやら後者だったらしい。
一気に老け込んだ様子のムーボー伯爵がおぼつかない足取りで女王の前を辞すと、貴族達の間にまた緊張が走った。
誰もが無謀な特攻の末に虚しく散ったムーボー伯爵を見て、さっきまで以上に足が遠のいているのだ。
しかし、そんな中でゼレンの父であるアスロート侯爵が、礼服の襟を正しながら口を開いた。
「よし、行くぞ」
その言葉に、一家全員がぎょっとした。
侯爵もそれを分かった上で、眉根を寄せながら言った。
「侯爵家として、陛下にご挨拶をしないわけにはいくまい」
それはその通りだ。
子爵家以下ならいざ知らず、侯爵家ともなれば国王への挨拶を欠かすのは不敬に当たる。
「ただし!」
ゼレンがその通りだと納得したところで、侯爵が家族全員に視線を巡らせながら言った。
「サッと行ってサッと戻ってこよう」
それは、仮にも王配の地位を狙う貴族としてはあまりにも消極的な意見だった。
しかし、それに対して侯爵夫人もゼレンもその兄も、誰1人として反論する者はいなかった。3人共、「そうしよう。うん、それがいい」とばかりに力強く頷き返す。
そして、さながら戦場に向かうような心境で広間の奥へと向かった。
兄と並んで歩きながら、ゼレンは自分の心臓が際限なしに鼓動を速めていくのを感じていた。
近付くほどに、女王と2人の使徒の姿がはっきりと見えてくる。
玉座の右側に立つ、その美貌にどこか凄みのある笑みを浮かべる嵐の神の使徒。
玉座に左側に立つ、人間離れした美貌で無表情に広間を睥睨する太陽神の使徒。
……なんという圧倒的ラスボス感。
(……あれ? じゃあその2人を両脇に従える真ん中の幼女は何者? 魔王? 魔王なの?)
現実逃避気味にそんな益体もないことを考えていると、いつの間にか玉座の前まで辿り着いていた。
隣で兄が跪いたのを視界の隅で確認して、慌ててその場に跪く。
「陛下、アスロート侯爵がお目通りをしたいとのことです」
「おもてを上げよ」
それからしばらくは、侯爵とレティシアの間で当たり障りのない会話が交わされた。
ゼレンはそれを、玉座の少し手前辺りに視線を固定させてじっと聞いていたのだが……遂に父親の口から自分の名前が語られたことで、知らんふりは出来なくなった。
額に汗がにじむのを感じながら、恐る恐る視線を上げる。
その瞬間、女王と使徒2人の視線がゼレンに集中した。
なんとなく、ゼレンの脳裏に“圧迫面接”という4文字が浮かび上がった。
(帰りたい! すごく帰りたい!!)
内心でそう絶叫しながらも、必死に笑みを浮かべて自己紹介をする。声が震えなかったことを、素直に自分で褒めたいと思った。
「利発そうなご子息ですね」
「恐縮です」
レティシアと父の間で交わされる会話に、ほっと胸を撫で下ろす。
しかし、「でも……」という言葉と共にレティシアの視線が戻ってきたことで、すぐに再びの緊張を余儀なくされた。
「盗み見は、感心しませんね?」
微妙に笑っていない笑みと共に告げられた言葉に、ゼレンはすぐに、女王入場の際に視線を上げてしまったことを言っているのだと気付いた。
「申し訳ありません! 好奇心が先走って礼を失してしまいました!!」
気付くと同時にそう正直に告げ、頭を下げる。
嘘を言っても無駄なら、せめて正直に謝った方がいいと判断してのことだった。
しかし、どうやらそれがよかったらしい。
「きにしな……きにするでない」
舌足らずなその声に視線を上げると、ルーテシアがなぜかにこにこ笑いながらこちらを見ていた。
その無邪気な笑みに、ゼレンも思わず笑みを浮かべ掛け……相手が女王だということを思い出して、慌てて「ははっ! ありがとうございます!」という答礼と共に頭を下げた。
その後は特に何事もなく、侯爵は宣言通り必要最低限の挨拶だけをしてすぐに女王の前を辞した。
そして家族4人、広間の中央辺りまで戻ってきたところで、侯爵がおもむろに深い溜息と共に呟いた。
「寿命が縮んだ……」
その言葉に、ゼレン達も深く頷いた。
(はあ……本当に心臓に悪いよ……。こんな風に思っちゃいけないんだろうけど、出来ればもう二度とお会いしたくないなぁ……)
父に王配となることを期待されているのは分かるが、あんな恐ろしい義姉がいたら結婚して数年と保たずにハゲる自信がある。
一気に気力を使い果たしたゼレンは、そう内心で呟いて小さく溜め息を吐いた。
後日、自分宛てに女王主催のお茶会の招待状が届いて悲鳴を上げることになるとは、この時のゼレンは想像もしていなかった。