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谷村成美は、こいつらに容赦がない

作者: 蒼ノ下雷太郎

 0


 谷村成美(たにむらなるみ)は夜の町を歩く。

 肌にふれる空気はつめたく、風も優しくない。辺りは静かで、たまに車が一台か二台通るくらい。

 現在、S県S市のとある町を歩く。ここは駅からも遠く、夜になると死人のように寂しい。谷村成美はコンビニの前を通る。そこでたむろしてた少年達は口笛を吹き、目の前を横切った彼女に声をかける。

「ねぇねぇ、美人さんだね。どこ行こうとして――」谷村成美の前に回り、軽々しく話しかけてくる。だがすぐに彼らの表情は変わる。谷村成美が何か一言、二言、つぶやくと踵を返し、どこかへ行った。

「………」

 谷村成美は何事もなかったかのように歩く。

 歩く。

 赤いロングコートに、ハイヒール。その鮮やかな赤はけして鈍ることなく、谷村成美を際立たせる。彼女の双眸は鋭利で凶悪。

 今はそれを隠すように分厚いメガネをかけている。これもまた赤い。


 1


 敵がいる公共団地に着いた。

 ここは一段と静かで、沈黙で全ての棟がつながっていそうだ。

 誰もいない赤煉瓦の道を歩き、公園のわきを通り、目的地に着く。途中、親の目を盗んで逢い引きしていた少年少女を見つけた。

「ちっ」谷村成美は感情を抑えるため飴をクチに入れる。

 ――ガツッ、ガツッ。

 飴を噛み砕く。

 十五号棟。階段は狭く細い、小柄な谷村成美でも頭がぶつかりそうになる。

 目的の家に着き、チャイムを押した。何回も押す。壊れてるのか、音が鳴らない。ドアノブをひねっても開く気配はない。留守かとも思えたが、耳を澄ませば扉の奥から音楽が聞こえてきた。軽快なギターと重いベースとドラムが鳴り響く。それの上に乗って重厚な声も聞こえた。

 ヘヴィメタル。

 皮肉にも、谷村成美が好きなバンドだったので、気が合うなと笑う。もしかしたら、これも私の影響だろうか。笑った後に思考が浮かび、嫌気が差した。

「――     」谷村成美は何かを言った。

 その後、ドアがガチャッと音を鳴らし、開いた。中に入ると誰もいない。靴で散らかった玄関、足音が遠ざかる、ゴミ袋や空き缶が眼に映り谷村成美の表情を曇らせる。

 土足でゴミの上を歩いて行き、家そのものが屍臭を放っている場所を進む。

 玄関を開けてすぐにダイニングキッチン、六畳間くらいだ。部屋の奥には襖があり、そこから音楽が聞こえる。襖を開けて、奥へと進む。奥の部屋は、全体にポラロイド写真が貼り付けてあった。インテリアとしては最悪である。『自殺現場の写真』屋上から飛び降りて、でグチャグチャになったピザの表面みたいな死体や『首吊りの写真』大掃除した後の雑巾を擬人化したような。他に、『笑いながら線路に飛び込む男』あきらめないでと謡うように、『何度も手首を傷付けて死のうとしている女子高生』男は、それらに包まれている。悪夢のようなヘヴィメタルも鳴らして。

 彼は椅子を回してふり向いた。あどけない表情を浮かべて。

「すごいでしょ。これ全部、僕がやったんだよ」

 ねぇ、褒めてよママ。と言わんばかりの表情。谷村成美は嫌悪するどころか無表情。

 そんなものたくさん見てきたわと、興味なし。

 しかし、一応お金をもらっているので、仕事をしなくてはならない。

 コートが汚れないか心配しながらも、そばにあったベッドに座る。

「これ全部、あなたが殺した人たちなの」

「殺した? ははっ、違うよ。彼らは勝手に死んだんだ」

 男は凛々しい顔をしていた。鼻筋はすらりとしていて、肌も白皙のように白い。それなのに彼が浮かべる表情は虫の臓器を眺めるように気持ちが悪く、どんな美顔でも心が腐っていたら駄目だと知る。

 彼が座っているのは安そうなビジネスチェアだが、長持ちはしてそう。デスクの上にはパソコンの液晶及びHDD。本体や画面を挟み込むように、両側には中くらいのスピーカーを置いている。そこからヘヴィメタを垂れ流し、この場所を地獄に変える。

 満員電車ヘル

 ヘル

 職場ヘル

 学校ヘル

 現実ヘル

 此処ヘル

「自殺だよ、自殺。ねえ、先生。先生はここへ何をしに来たの? 仲良くしに来たんでしょ。そんな怖い顔しないでよ。僕はただ、先生が書いた小説に感銘を受けただけだよ」

 男は、さあ主よ我に勲章を与えたまえ、とでも言いたいのか。

 そんな顔をしていた。唇は裂けるほどにやつき、目はグロ画像のように汚い。

 谷村成美が怖い顔をしてるのは目つきが悪いからだ。谷村は内心、飽き飽きしていた。

 谷村成美、本業は小説家。主に思春期を迎える青少年が好みそうな『人がいっぱい死ぬ小説』を書いている。今回の事件のように、人の嘆きを許してあげる「自殺承諾者」などがそうだ。物語は人の心の闇が見える男を主人公に、次々と心に悩みを持つ人間を〝自殺させる〟のである。

 谷村成美は懐から拳銃ではなく煙草を取り出し、一昨日、新宿の喫茶店でもらったマッチで火を点けた。

「……ああ、お前も私の小説を勘違いした奴か」

 自分で書いた物語を憎む。

 谷村成美の小説は、こんなのに共感しやすいようだ。ひどく迷惑。そう思いながらも、そういう輩がいるから飯が食えるのだと、憂鬱である。

 いや、共感しやすいはおかしいか。以前、自分の小説を人はこんなにも狂うのかってくらい罵倒した人もいた。

 たまたま、だろう。たまたま、だ。

 たまたま、合ってしまった。

 思考が。

 紫煙を天井に吐き、灰を遠慮無く床に捨てた。畳が焦げて、焼け切れぬ内に踏み潰す。

「勘違い? 先生は何を言ってるのだろう。僕には分からない言語だな」

「ああ、お前と私は住む星が違うからな。言語が違うのは当然だ」

 多分、こいつの星のすぐ近くはブラックホールだ。谷村成美は秒単位で老化する疲労を感じていた。煙を肺に入れて、どうにか正気を保っている。

『お前の顔は』

 アイスピックを心の中に仕舞う。まだ早い、尋問は始まっていない。これじゃまだ、私の小説は始まらない。と、彼女は己を制した。

 そして、フィルターまで焦がした煙草を、ベッドに擦りつけて消した。

「仕方ないから、お前の知能に合わせてしゃべってやる。感謝しろよ、ゴミクズ」

 悪態をつく低音の言葉。それに反して、男は笑う。

 気持ち悪いと感じなかった。この顔はゲテモノだと知りながらも、特にこれと言った感情は湧かない。湧いてこない。

 谷村成美は、『こいつら』に興味を示せない。


 2


 雨の日に喫茶店で編集者と打ち合わせをし、三時間ほどで別れた。喪服のような黒づくめ、黒い傘、男物のショルダーバッグ。中には原稿やら資料がたくさんだ。谷村成美は傘を差して駅に向かう。電車に乗って数十分、家とは反対の方に進んだ。駅からバスに乗り、駅から遠ざかる。数十分するとボタンを押してバスからも離れる。

 彼女が来たのは霊園だった。各家庭の墓地が、横に何列も続いている。売店で花だけを買った。線香は先週も燃やしている。それに今は雨。雨が降っている。人目がないのを確認すると、傘を畳んだ。彼に会うときは、雨に濡れるのを拒んだりはしない。

 そう決めている。

 荻村(おぎむら)家と書かれた墓。先週持ってきた花などの他には何もない。他の墓は酒瓶やら果物などのお供えがされているのに彼だけはない。毎週、新しい花が届けられるだけだ。例え他の墓で腐っていようとも、この墓よりはマシに思える。

 谷村成美は、そう心の中で呟く。

「雨の中、傘を差さないなんて風邪を引くぞ」

 水の感触が一瞬途絶えた。顔を上げると、空を遮るように大きな傘が広がっていた。うしろには、でかい図体の中年男性。

「……結構です。富樫(とがし)さん」

 無精ヒゲが目立つ顔、しかし、汚いという印象よりも渋いという言葉が先か。大柄で、昔は自衛隊でそれを生かしていたらしいが、今は『制限機関(せいげんきかん)』という怪しげな組織の一員だ。谷村成美は彼を避けるように、傘から出た。

「毎週毎週、健気だな。墓は生きてる者のためなのに、お前が体を壊してどうするんだ」

「墓は死者のためです」

 富樫の言葉を、言葉で振り払う。

「生者のためなんて馬鹿馬鹿しい……生きていた証を残すと言うのなら、やっぱりそれは死者のためです。死者のために作り、死者のためにキレイにする」死者のために花束を捧げる。

「だとしても、生者がどうでもいいわけじゃ――」

 谷村成美は一瞥し、また視線を墓に戻す。墓は乾いた部分がなく、ほとんど濡れている。

「花がないなら、帰ってくれませんか。正直、制限機関の人には来てほしくないです」

 少しも隠そうともしない敵意。

 まるで奴が生きているみたいに語る、と富樫は思う。

 手に持っていたビジネスバッグから、A4封筒を取り出す。視界の横に現れたそれを、谷村は黙って受け取る。慣れた感じ。こんなの、中身はもう何か知っていますよ、というような。

「別に罪を償えってわけじゃないが。だが、お前がやるべきだろう。終わったら、また携帯に連絡してくれ。代金はその後で口座に振り込んでおく」

 丁寧な口調。多くの道を歩いてきたという声の低さ。他の機関の者とは違い自衛隊にいたからか、無駄な優しさを感じる。谷村は、両手で封筒を濡れないように抱きしめる。それを見て、眉をしかめながらも富樫は背中を向けて去ろうとした。

 だが谷村成美は、必要のない言葉を告げる。

「こんなの罪なんかじゃありませんよ。数に入りません。……こいつらがこいつらで生んだ、ただの罰です」

 嫌悪ではなく、興味がないと言っているかのような。

「容赦がないな。だが、それなら何故お前は、仕事を引き受ける」

 小説だけ書いていればいいものを。

 まるで、そう願えば叶うかのように富樫は言う。

「苛々するんですよ。『こいつら』が、人の死に方を操るなんて行為が」

 何だ、意外と興味を示してるじゃないか。富樫は、人間味があると知り安堵する。

 怒りもまた、興味の中にある感情である。


 3


 世の中には、闇がある。

 人はそれから目をそらし、見ようとしないけれど、それは確かに存在する。

 闇はある意味で、存在の証明。

 そこに何かあれば、必ず影は生まれる。日が昇れば、そこに影ができる。人が立てば人型の、建物があれば建物の形をした――心の中にだって、影はできる。だが悲しいかな。心の中は自由だから、日が昇らないと影ができないという制約はない。むしろ、光よりもその濃度を増し、侵略する。

 魔物遣い(まものつかい)。

 人では叶わぬ夢を、魔物ならば叶えられると願ってしまったゴミクズの通称。

 彼らはどいつもこいつも精神が狂っており、その歪みから『魔物』を生み出す。生み出されたそれは超常的な現象を引き起こす。


 谷村成美は、家に帰り、煙草のニオイしかしないベッドに寝転んだ。

 A4封筒はテーブルに投げ捨てた。帰宅する前に封を開けたから、死体の写真やら、ワープロで印字された報告書などが散らばる。敵の名は、小野祐二(おのゆうじ)。歳は二十八。谷村成美と同じくらいだ。彼は谷村成美の作品に魅了され、己の狂気を見つけて願ってしまった――今じゃ谷村成美と同じ魔物遣いという名のゴミクズ。  

 外は雨の音しか聞こえない。傍にあったリモコンでテレビを点けた。ニュース番組の司会者は、彼女が投げ捨てた事件の一部を報道する。

 何でも、とある駅で集団自殺があったそうだ。朝の通勤ラッシュ、電車が来るのを待っていた客が一斉に飛び降りたんだとか。もちろん、全員死亡。車掌は急いでブレーキを掛けたものの、全員轢き殺した。他にも、雨の代わりに人が降ってきたという街もあった。他には他には、学校で首吊りをした生徒が多数――とか。

「自殺ねぇ」

 テレビは、何故このようなことが起きたのか。ゲームが原因じゃないか。最近の政治はどうたらこうたら、教育環境が何だかんだ。と、偉い学者やタレントに語らせている。全部的外れだ。谷村成美は舌打ちを打つ。

「……っ」

 馬鹿か、と笑いたかったが自分もその一人か。閉塞感に穴を空けられ、暴走しかけている若者がどうなるか。若者の視点で語ってくれと編集者に言われたっけ。

 憂鬱になる。

 人は誰しも、空を飛びたくても内心は飛べないと思っている。ライト兄弟は背中に翼を生やしたのではなく、空を飛ぶ乗り物を作って飛んだのだ。魔物遣いとは、人間という矮小では叶わぬモノを、魔物でぶち壊そうとする奴らのことだ。

 ある者は、魔物という名前が似合うゲームに出てきそうな典型的なモンスターだったり。ある者は透明の妹さんだったり、ある者は体の中にあったりと……生み出すバリエーションは様々らしい。谷村成美が書くライトノベルのような内容。しかし、それが現実になると、何でこんなに残酷なのか。

「自殺させる魔物か。一体、どんな叶わぬ夢を見たのか」

 そして、彼女はどんな叶わぬ夢を見たのか。

 谷村成美も、魔物遣い。魔物の外見は典型的なパターンではない。魔物らしい怪しげで凶悪そうなデザインの化け物を産み出したのではなく、かなり変わったパターンだ。

 谷村成美、魔物遣い。彼女は、小説を魔物と化してしまった。

 苛立ってきたからテレビを消し、オーディオの電源を入れた。リモコンで曲をセレクト。ブライアン・イーノの環境音楽が流れる。防音設備のある高いマンションの一室だ。ボリュームは最大に近く設定。

 洗面台に向かい、冷水で顔を洗う。エアコンで暖房を入れているが、冬にやることではない。しかし、肌を突き刺す爽快感が不思議とお気に入りだ。三回ほど冷たい水を顔にかけて、次は後頭部から蛇口の水を被った。かき氷を食べたかのようにキィッーーンとなる。

 バスタオルで髪を拭き、ドライヤーで乾かした。

 テーブルのイスに座り、めんどうだと感じながらも散乱した書類を集め、再び目を通す。

 犯人は制限機関が保有する魔物遣いにより、簡単に見つかる。しかし、何人か処理に向かわしたところ、全員が事務所に戻り、わざわざそこで自殺。ようするに、全員が殺された。魔物の能力は、自殺した内の一人が証言した内容で、ある程度分かっている。

 何でも、彼は罪を許してくれるのだとか。

「死んでもいいよ、か」

 それが、贖罪になるとでも?

 谷村成美、微笑。

『くだらない夢は目の前でグシャグシャに潰してしまえ』彼女が書いた小説の主人公が言った台詞、それを思い出した。


 4


 回想、終了。

 ここに来るまでの経緯と理由は語られた。なので、ここから本題に戻る。本題は男と彼女の対面。自殺させる魔物遣い、小野祐二。そして、小説が魔物となってしまった魔物遣い、谷村成美の直接対決。

「人の心には必ず闇がある」

 静かな闇の中、男は語る。座りながら、政治家のように無駄な身振り手振りのパフォーマンスをしながらで、より相手のストレスを増加させる。

「命は平等じゃないけど、影は平等だ。いつだって等しい。誰だって生きていれば必ず闇がある。悩みがあるんだよ。絶対に自分じゃ許しきれないような、闇――罪がね」

 だから、許したんだと。彼は言った。

「だから、死んでもいいよ、と?」

「そうさ。それでみんなが死んだ。僕は闇を持つ人がそばにいるだけで、その闇をある程度体感出来るんだ。こんな色か、こんな深さだったのか、こんな苦しみだったのかってね」

 ちなみに、貴女からはあまりそういうのを感じないな。男は気持ち悪く笑い、谷村成美は笑わない。

「で、僕は呟くんだ。別に口に出さなくても、心の中でいいよ。分かった。許してあげる。死んでもいいよ。ってね」

 唐突に、谷村成美はパソコンが見たくなった。話の最中ではあるが、男は快くOKしてくれた。

 何の壁紙も貼っていない虚無のデスクトップ画面。そこからインターネットに接続、お気に入りフォルダを探し、その中から『HP』と分類されたのを開く。中には、暗い壁紙を貼られたサイトがあった。『自殺応援サイト』そんなに人を死なせたいのか。

 こんなのがあるってことは、こいつが言った「そばにいるだけで」ってのは、やたら範囲が広いのか。

「神父のように許すだけでよかったんじゃないか。わざわざ、死で断罪するほどでは」

「断罪じゃない、贖罪だ。何を言ってるの先生――何もかも、先生が小説に書いたことじゃないか」

 つい、舌打ち。また小説か。

 彼女は、頭の中で自分が書いた小説、この男が喜んだとされる「自殺承諾者」の内容をピックアップする。確か、物語の中で主人公は彼女が聞いたような問いに対し、こう言ったのだ。

『死は全ての選択肢の中で、最も強い許しだ。死が生の反対ではなく、生の一部だとするなら、死とは生きていてもよかった。生きていたのを許された行為とも言える。故に、贖罪の中で、死は最善の許しなのだ。死は人生の結末であり、終演だ。しかし命とは始まりがあるから終わりがある。終わりを認める行為は、同時に始まっても良かったと認められる行為である』

 そんな感じだった。谷村成美はうんざりした。

 若い頃の自分に赤面してるだけじゃない、そんなのに心酔してるこいつに反吐が出るのだ。

 馬鹿馬鹿しい。

 サイトを見回ると、掲示板には多くの書き込みがあった。プロフィールの住所欄を見ると、下は沖縄、上は北海道と、本当に日本全土から書き込みがされている。

「遠くの地方で起きた大量自殺も、お前なのか」

 ニュースで報道されていた事件、一部だと思っていた犯行も実は、全てこの男によるものだった。

 ネットを閉じ、今度はマイドキュメントのフォルダを漁る。男は止めない。見られて困るものはないのか。まず画像フォルダを見る。『資料』というフォルダがあったので見てみたら、ただのエロ画像置き場だった。

「うふふふっ」男の笑み。

 しかも、谷村成美に似た女性ばかり。中には彼女が載った雑誌を切り抜き、他の画像と貼り付けたコラまであった。偽物とは言え、自分が裸になって性器を覗かせるのを見つけた。しかし、谷村は特に表情を変えず、また違うフォルダに移った。

 彼女は、彼に興味がない。怒りでさえ、あくまで不特定多数に向けたものであって、彼自身に向けたものではない。彼女は彼が嫌いなのではなく、小説に影響された『魔物遣い』が嫌いなのだ。彼個人に関しては、正直どうでもいい。

 文書フォルダがあった。中を見ると、何百個ものテキストファイルがある。名前は全て日付。試しに『2014/09/23』を開く。

【今日も会社はひどかった。上司が前と正反対のことを僕に教えた。これはこれこれこうやるんだよ、ボケが。おい、それは前に言ったのと違うだろ】

 中身はそれだけだった。二行程度しか書いていない。

 一応、違うファイルも開いた。

【煙草を路上で吸うおっさんがいた。舌打ちをしてやった。そいつは何の変化も見せなかった。苛ついた。僕の肺はお前の肺じゃない。貴様の汚らしい煙で、僕の肺を汚すな】

 他のファイル。

【風俗で女とやった。代金に見合わない下手なプレイだった。ヤル気がない。何万円も払ったのに一回射精すると、それで遊戯は終了。僕の働いた金は、このブスの下手なプレイで終わるのか】

 他のファイルも似たようなもので、ひたすら、不平・不満がぶちまけられている。

「なるほどね。理解したよ」

 彼女は、ベッドの上に戻った。

 男は、己の中身を一部見られたのを嫌がるどころか、むしろ、理解してくれるんだね、という目で見てきた。無視する。

「本当は許されたいのは僕自身だったのかもしれない。でもね、これは僕の仕事なんだ。誰かの罪を許してあげること。これは僕が神様――いや、先生か。先生に与えられた使命だと悟ったんだ。だから、僕は命が尽きるまでこの仕事を全うする」

 使命、使命、使命。勘違いも度を超えると本人の中で真実になる。魔物遣い、人を殺す行為でさえ彼等は正義にする。馬鹿馬鹿しいと、煙草が吸いたくなる。

「別に、私はお前を選んだわけじゃない。それにあれは、小説の中だけで起きたことだ」

「先生はそう言うか。だけど、僕があれを見て感動したことは事実だ。選ばれてないか……そうかもね。先生は選んでないかもしれない。だけど、本当の神様はどうだろう。僕は、こうやって選ばれてるよ。人の罪を許してあげる能力。そんなものを、実際に手に入れた」

 それは超能力じゃなくて魔物だよ。心の中で、言う。

 魔物遣いが生み出す、魔物。

 それは個人によって千差万別で、その上、魔物遣いの魔物を視認できるのは同じ魔物遣いだけなので、それに対抗する組織はどうしても非合法で隠された存在でなければならない。魔物を狩るんですよー、と見えない人から予算申請できるはずがない。制限機関。そして、奴らは同じ魔物遣いで魔物遣いを狩る。

 超能力が実際にあったとしても、どんなものかは知らない。

 だが、魔物遣いとは決定的に違う。これだけは分かる。魔物遣いはただ愚かだ。

「なるほど、ね。仕事、使命、ね。お前が言うには、お前は栄光なる役目を与えられたと言うのだな。しかし、それにしてはお前」

 何で笑ってるんだ。

 谷村成美は言った。

「まるで楽しそうじゃないか。今もこうやって説明してるとき、自分じゃ気付かなかったかもしれないが、笑ってたぞ。自殺させるのが楽しいみたいだ」

「楽しい?」

「お前は選ばれた、だから仕方なくこの仕事をやっている。という感じで言ってはいるが、本当は楽しくてしょうがないみたいだ。楽しくて楽しくて、自分の意志で仕事をしている。まるで遊戯のようだ。そう感じてるんじゃ」

「仕事を楽しんで何が悪い。労働にだって楽しむ権利はあるよ。誇りある仕事だからこそ、笑って仕事を行えるんだ。仕事は辛いことばかりじゃない。苦しい面はいつだって強大だからこそ姿が見えやすいが、光ある部分だって必ずある」

 そういう切り返しをするか。つい、今ので折れると思っていたので驚いた。妙な芯はあるようだ。しかし、谷村は退かない。

「めんどうだ。もう遠回りして囲いを狙うのはやめよう。真ん中を狙らわせてもらう」

 予告ホームラン。

 男、少し驚きと同時に好奇心の顔をのぞかせる。

「お前のその感情の名を教えてやろう。小野祐二、お前の行為はただの嫉妬だ」

 顔が止まった。彼は止まっていた。何もかも、止まった。

 表情が、作れなくなった。

「嫉妬、だって?」

 言語が違うんじゃないか。え、でもおかしいな。言語は……同じ?

 男は、強く首を傾げる。

 は?

 と。

「聞こえてただろ。聞こえてないフリをするなよ。がんばれ小野祐二。あともう少しでケヴィン・スペイシーになれるぞ。まあ、R・リー・アーメイにはなれないかもしれないが」

 おそらく、あの映画をこいつは知らないだろうな。それを知りながら語る。

「お前は許す許されたをしたんじゃない。許せなかったんだ。どうしてもな、お前は他の奴等が許せなかった。自分はこんなにも苦しんで痛みをかかえ、もう生きているのが限界なのに、他の奴等は淡々と生きている。こんな世界を、勝手に許容し生きている」

 朝から晩まで許している。某映画の引用。

「だから殺した。笑わせるなよ、小野祐二。お前は、自殺は許す行為だと言ったが違う。お前がしたのは、殺人だ。自殺させたんじゃない、許したんじゃない。お前が殺したんだ。間違えるな。履き違えるな。許してもいないし、許されてもいない。許せなかったんだ。苛ついたんだろ」

 このとき、谷村成美は鏡を見るように言っていた。

「殺してきた。貴様が手に入れたその能力、警察に捕まらない殺し方でな。大体、神に選ばれたとか言うなら、どうしてお前は姿を見せない。こんなことを私がしました。すごいでしょ、くらいは言ってもいいだろうに」

「そ、それは――これは神に定められた役目だから人に褒められなくても」

「いや、人に褒められることじゃない。お前はそれを分かっていた。殺した殺せたかは立証されないだろうが、しかし、心が触れた人として見られ、もう外に出歩けない程度に罵られはしただろうな。何故、それをしなかった。サイトを開いて全国から自殺者を集めてるのに、何故わざわざ顔を見せない。その方が、お前が言う基準でもっと人が救えただろうに」

「………」

 男は、もう何も言わない。

「私が書いたのは、小説だ。それ以下はあるかもしれんが、それ以上はない。感銘した? ふざけるな。私が書いたのは小説だ。ただのインクの染みだ。勝手に聖書にするな。教科書にするな。そんなのが読みたかったら、宗教団体カルトにでも入ってろ。私が書いてるのは、あくまでエンターテイメント。それだけだよ。おもしろ、おかしくさせるだけだ。そこに深いような言葉があったとしても、貴様の人生を導くつもりなど毛頭ない。迷惑だ。馬鹿馬鹿しい、勝手に私の罪を増やすな」 

 そして、告げられる。

「お前は選ばれていない。ただ、嫉妬から生まれた能力によって、好き勝手に殺しただけさ。私の小説を言い訳に、貴様は自分の罪を正当化した。だが、あえて言おう。お前がこれまでしたことは、殺人だ」

 終わる。

「それが、お前の罪だ」

 断末魔が部屋の中に響く。谷村成美は、煩わしそうに耳を塞ぐ。

 男は絶叫しながら、爪で首や顔を裂いていた。どうやら、もう自分の仕事はないらしい。谷村成美は外に出た。携帯で富樫に電話し、事件は終了、あと死体処理班を呼んでと告げた。


 5


 さて、そろそろ私の話をしようと思う。

 そうすることで、私の物語であることを強調出来る上に、私という個性がさらに際立つだろう。そう、この物語を読んでお気づきの方がいるかもしれない。もう、とっくのとうに知ってるよという人がいるかもしれない。それはそれは、でも、少し待って欲しい。早めのネタバレはよくない。オチを言うのはいつだって作者の役目だ。


 私は自分で気付かぬ内に、いつのまにか自分を『谷村成美』と他人のように見ていた。

 小説で言うと第三者視点だ。私は、自分を自分として見ているのではなく、映画館で映画を観るような感覚で、眼球が見た映像を目撃した。私は――谷村成美はいつのまにか自分という存在を一つの他人として見なし、他人事のように生きていた。

 だから、小説は書きやすかった。小説を書くとは言ってしまえば、自分という存在を、他人の視点で見るということだ。考えてみれば分かるが、独白に「私は……」とか言う人はいないだろ。心の中では母国語で単語が飛び交うだけなはずだ。もしくは一言、二言か。別に一人称を無理につける人はいない。それを小説にするというのは、他人の目でも分かるように己の考えを『変える』ということだ。だから、私にとって小説は息をするのと同じ難易度の低さだった。生きていることが、小説を書くのと繋がっていた。

 私が私を他人扱いするようになったのは、突然故障したからではなく、積み重ねられた狂いによって起きた。人が破綻するには二通りあって、突然刀で一閃されるように破綻するのと、徐々に階段を登って破綻する。の二つがある。私は後者だった。いつのまにか壊れていた。原因は様々なものが考えられる。両親との不仲だったり、人間関係を円滑に進められないもどかしさだったり、本当に色々だ。 しかし、そのどれもが原因であり、原因ではない。積み重ねられたものなので、本命のようなものはない。だが、全部が全部、原因になるような積み重ねではあった。こんな言い方になった。曖昧ではない、実に正確な言い方だ。全部が本命で、全部が原因ではない。特に深い意味はない、そのままの意味だ。

 己を他人扱いするというのは、自分への興味をなくすこと。期待をなくすこと。それは生きる上でとても便利で、必要以上に期待を求めないから、裏切られても失望することがなかった。

 ――彼が死ぬまでは。

 私と彼は似たもの同士だった。生きるのが辛い癖に、悲鳴の上げ方を知らないから不満をぶちまけられない。馬鹿馬鹿しい、私と彼にはお互い、彼と私がいたのに、二人は寄り添うことなく、ただいっしょにいただけなのだ。

 気がついたら、私の小説は魔物になった。この小説を見て魔物遣いになった人が現れ――富樫という制限機関の人間が現れ、そして段々と事件に関係することになる。魔物遣いなんて、ライトノベルな設定、別に付き合わなくても生きていけるのだが、しかし、付き合わずにはいられない。

 私は小野祐二に言った。お前の感情の名――嫉妬。しかしそれは、私が持つ唯一の動機でもあった。

 嫉妬。彼らが憎くて仕方がない。だって、彼らは私のせいだと言い訳出来るのに、私には出来ないのだ。これはどうしようもなく私の罪で、逃れようのない、許す相手のいない大罪だ。

 彼の痛みに、気付けなかった罪。あのゴミクズは言った。「貴女からはあまりそういうのを感じないな」と。

 笑わせる。

 感じられなくなるほど、許せなかっただけだ。私はもう、奴の触覚で知覚出来ないほど、自分に対して憎悪を抱いているのだ。だからこそ、今でも他人を貫き、己だと信じたくない。こんなの、私だと知れば、私のような砂粒が耐えられるはずない。

『存在証明をする(リアリティバイツ)

 私の魔物の、名前。私が持つ言葉――いや小説には、感情を揺らす力がある。そう、それは小野祐二の魔物のように、人の心を揺らし、自殺させることも可能だ。

 魔物、魔物、魔物。

 魔物遣い。

 こんな夢を叶えたかったのだろうか。

 私にとって小説は、他人になれる自分の唯一の武器。他人でしかいられない自分が誇れる唯一の他人(彼女=私)。だから、正当化したかったのだ。小野祐二が言ったように、許されたかったんだ。自分を他人として見ることを――彼を、死なせてしまったことを。

 自分を他人にし、世界への興味をなくした。自分に興味ない奴が、他人にそれ以上の興味を示せるはずがない。今思えば、私と彼の出会いは奇跡に近かったのだ……。


 後日談。

 富樫からの報告。ちゃんと小野祐二は自殺していた。偉い、偉い。

 他人の邪魔にしかなれない他人は、障害物でしかない。生きることを許されたいのなら、他人に迷惑をかけぬことだ。そう、〝谷村成美は〟思った。


 試しに、彼女は自宅で拳銃を手に持ち、頭蓋骨に突き付けてみた。

 しばらく、静止。

「………」

 沈黙。

 やっぱり、ダメだった。

 谷村はまた、『彼女』を殺せなかった。谷村成美はまだ、『私』を殺せなかった。

 私が書いた小説で「死は最も許される」云々言っていたが、ようするに私はまだ許せないのだろう。谷村成美が。未だに許せないのだろう。自分のことが。私のことが。

 彼女のことが。

 だから、殺すことも出来ない。愚かだ。死にたいのなら死ねばいいのに、今もこうやって勝手な断末魔を上げている。

 魔物遣い。

 魔物遣い(こいつら)。

 愚者こいつら

 ホント、谷村成美はこいつらに容赦がない。



(了)

数年前に書いた作品です。もう潰れてしまった投稿サイトに載せたやつで、久々に引っ張り出してみました。

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