晩餐会
「サクラさんとおっしゃるのね。なんて可愛らしいお方なのかしら。それに、リルフェ鳥の濡羽のような綺麗な黒髪。羨ましいわ」
「ええ、かわいいでしょう!……あ、いえごほん」
「ふふ、面白い方ですわね」
夕食は領主の家族、フォートランド一家との晩餐会だった。しばらく王都に仕事で行っていたアレクスターが久しぶりに戻って来る予定であったので、家族との晩餐会がもともと用意されていた。そこに、客人としてサクラが招かれた形となった。
アレクスターの妻であるレイチェル男爵夫人と、高校生くらいの長女レミゥ、小学生くらいの次男ライナスが順に紹介された。他に、後継ぎとなる長男夫婦がいるそうなのだが、王都で仕事をしているらしくこの場にはいない。
初老に近いと思っていたアレクスターだったが、娘と息子が意外と若い。あるいは長男と年が離れているのかもしれない。
他人の一家団欒の中に入っていくのは、サクラとしてはかなりハードルが高かったが、おっとりとした上品な男爵夫人に容姿を褒め称えられたことで、サクラの中のスイッチが変な方向に入り、緊張感が幾分か薄れてきた。
「パンは全粒粉のドイツパンみたいな感じか……うーん、オーガニック」
ぼそぼそした黒パンをもそもそと食べるサクラ。日本人は白いふわふわもちもちしたパンを好むが、サクラはこの手のパンも味があって嫌いではなかった。
「魔物から我らが騎士を助けていただいたと聞きました。そんなたおやかなお姿なのにお強いんですね」
「こら、ライナス。レディに向かって強いなんて失礼でしょう」
「ライナスが失礼を。この子は昔から体が弱くて外にあまり出られなかったせいか、冒険譚のような勇壮な話を聞きたがるのです。どうかお気を悪くなさらずに」
まだ幼さの残るライナスが物おじせずに聞いてきた。隣に座るレミゥがたしなめ、アレクスターもフォローを入れる。
「いえ。見ての通りか弱い身の上なので。戦える力はありません。狼さんも話したらわかってくれました」
「え、話したら!?」
「はい。誠心誠意話したらわかっていただけました」
サクラは死んだ魚のような目で虚空を見つめながら言った。
実際は、わかってもらえなかったので最終的には肉体言語で話し合うことになったのだが、そこはあえて説明しない。
「しかし、サクラ殿の治癒魔法がなければ彼らは危なかった。見事な治癒魔法だった。あらためて礼を言う」
アレクスターが頭を下げた。
「領主様。お顔をお上げください。大したことはしておりません」
他人との会話は苦手だが、まるで中世のような格好の領主一家と、ふりふりのドレスを着た少女の姿で夕食の席に座っているのがどうにも現実感がない。VRゲームの中のイベントシーンだと思えば、それっぽい口調で受け答えもできる。
「大したことではないなどと。あれほどまでの治癒魔法を使っていただいたのだ。お疲れであろう。せめてごゆるりと休養していってくだされ」
「いえ、【治癒】くらいであれば全然疲れないのですが……それよりも森の中を歩いてへとへとでした。馬車に乗せてもらえなければどうなっていたことか」
「それこそ、命を救っていただいたことに比べれば大したことがない」
「どうして森の中にいたのですか?」
当然の疑問をライナスが発する。
「それが、私にもさっぱり。気が付いたら森の中に。私にはここがどこなのかもわからないのです」
かわいらしく小首を傾げるサクラ。「疑問のときのかわいいポーズ」はもはや無意識でできるようになっていた。
「どういうことですか?」
「自室にいたはずなのに、突然森の中にいたのです」
「ふむ、ニホンという国にいらしたという話でしたな。どのような国なのですか」
「ええと……おそらくは、こことは遥か遠い場所。文化も言葉も異なる国……だと思います。あれ。言葉は……通じていますね?」
サクラは日本語を普通に話しているが意思疎通ができている。
一瞬、治癒魔法のような、何か理解の及ばない力によって翻訳されているのかと思ったが。唇の動きを見てもアレクスターたちも日本語を話しているようにしか思えない。
「共通語は通じるようだ。なればやはり、交流のある土地なのだろう。やはり一度調べさせよう」
「コモン……共通語? 日本語が共通語? あれ、英語……?」
サクラの混乱に拍車がかかる。日本語を話していたつもりだが突然の英語。
思えば狼の魔物は『グレートウルフ』と呼ばれていた。明らかに英語である。いったい自分は何語で話しているのだろうか。
「不思議なこともあるものですね。見ず知らずの地でお困りでしょう。不便なことがありましたらなんでもいってくださいね。夫や騎士の恩人ですもの」
悩んでしまったサクラを見かねたのか、男爵夫人が話をまとめた。
メインディッシュの肉が運ばれてくる。海や川が遠いのか、魚食になじみがないのか、メイン二品は両方肉だったが、元の世界で言うところの「フルコース」だった。
全体的に味がやや薄いが、こんなちゃんとした料理が食べられると思っていなかったのでありがたかった。
こちらのマナーはよくわからないが、社会人としての経験で、接待や付き合いでまともなレストランに行ったこともある。最低限の知識はあった。
サクラはナイフとフォークを外から順に使って料理を上品に食べていく。
「十分良くしていただいています。森で迷っていた時はサバイバルも覚悟していましたがこんな夕食をご馳走になれるとは」
お腹が空いていたので本当はバクバクと食いつきたいのだが、男性だった時とは違い、いまのサクラの小さな口では少しずつしか食べられない。狙ったわけではないのだが、上品な量に切り分けて口に運ぶことになってしまう。
メインディッシュを食べ終えたサクラは、「ふう」と息をついてナプキンで口元を拭う。みんなに愛される姫キャラは食事もかわいらしく食べなければならない。ロールプレイの一環だ。
その姿をアレクスターは観察するように見つめていた。
「サクラ様は治癒魔法が使えるのですね?」
アレクスターの話が一段落したのを見た長女レミゥが、身を乗り出して話に加わってきた。
サクラと年齢が近い同性であるので興味がある様子だ。実際は、サクラの中身は同年代でも同性でもないのだが。
薄い金髪の美しい少女である。十七、八歳くらいだろうか。
狙ってロリっぽい造形にしたサクラの控えめなそれと違い、出るところは出ているその姿に、サクラは思わず自分の胸部を見下ろしてしまった。
レミゥはサクラの目から見ても『かわいい』。妙な対抗心がわいてきた。
「これはあえて狙ってそうしたのだから負けてない……」
「何がですか?」
「いえ、あの……ごほん。えと、レミゥ様。様はいりません。サクラでいいです」
「あら、じゃあ私のこともレミゥって呼んでくださる?」
「じゃあ、レミゥちゃん……あ、失礼。レミゥさん」
「ふふ、レミゥちゃんでいいわ。うれしい。サクラちゃん」
つい、年下に接するつもりでちゃん付けで呼んでしまったが、今のサクラはレミゥよりも見た目が年下であることに気が付いた。すぐに言い直したが、いたずらっぽく笑うレミゥに見とれる。
(く……かわいい。男爵令嬢の、小悪魔的笑顔……!)
サクラが内心対抗心を燃やしていることなど知らないレミゥは、一転、真剣な表情で話を続ける。
「サクラちゃん。治癒魔法のお力をお貸しいただけないでしょうか。ご無理を承知でお願いします。ご滞在の間に気が向いた際でよろしいので、治療院の患者を一人でも救っていただけないでしょうか」
「これ、レミゥ。サクラ殿は客人だぞ」
アレクスターが諫めるがレミゥは止まらない。
(表情ころころかわるのがかわいい……表情も大事。参考になる)
「しかしお父様!」
「お前が治療院に執心しているのは知っているが控えなさい。客人に面倒をおかけしてどうする」
「はい……」
レミゥはしゅんとなって目を伏せる。大きな瞳を憂いを帯びて伏せたその姿は一枚の絵画のようだった。
(うわ、まつ毛長い。前髪サラサラ……いや。私も、サクラのまつ毛も負けていないはず!)
アレクスターがレミゥを諫めているのをサクラは聞いていなかった。
胸部のボリュームで敗北感を味わったサクラは、レミゥの『かわいい』に対抗しようとしていた。
容姿はさることながら、ころころと変わる表情、庇護欲をそそる仕草、叱られてしゅんとした姿ですら文句なしにかわいい。それは、サクラがまだ到達できていない領域だった。
(残念だけど、認めざるを得ない。この子はかわいい)
「……わかりました。負けを認めましょう。『かわいい』は絶対正義です」
「サクラ殿?」
「サクラちゃん?」
「やりましょう。レミゥちゃん」
「ほんとうですか!?」
レミゥはぱっと顔を上げるが、アレクスターは渋い顔をしている。
「娘が不躾なことを申しましたが、サクラ殿は客人。断っていただいても……」
「いえ、タダ働きじゃありません。その『かわいい』を習得してみせます」
「そう……か?」
よくわからないことを言いだしたサクラに、困惑するアレクスターは、あいまいに笑ってその場をごまかした。
◇◆◇◆
「はあ、生き返る」
サクラは風呂に入っていた。
食事の後、湯あみの準備ができたと呼ばれてあてがわれた客室にいけば、浴室のバスタブに湯が用意されていたのだ。
服を脱ぐのを少しためらっていたら、側付きとして控えていたメイドに鮮やかな手つきで脱がされてしまった。あっという間に、上下の下着まで。
「そういえば、下着の装備枠はなかったのだけど、下着は着ていたんだ」
バスタブに横たわりながら、あまり起伏のない自分の身体を何とはなしに見る。
少女の身体になった自分の見ても、色々諦めた今ではあまり何も思わなくなってきた。
本来の自分の身体でもないし、メイドに見られることにに対しても特に抵抗はない。もう、どうにでもしてくれという気分だった。
「下着の下はともかく、上は外すのも付けるのも苦労しそうだ。ここにいる間はメイドさんがやってくれるけど」
今回は服もメイドに脱がされてしまったが、【ロリータ・ワンピ・ローブ】もゴテゴテした装飾がついているのだ。自力で脱ぎ着する苦労を考えてため息が出た。
「いつ元に戻れるかわからない。とりあえずは慣れないと」
バスタブから立ち上がると、すかさずメイドが寄ってきて身体の水分を拭いてくれる。
「至れり尽くせりだね。気分はいいけど、これに慣れたらだめになりそうな気がする……」
「寝間着でございます」
メイドは、先ほどまで来ていた服と下着の代わりに新しい下着とともに、薄衣の服を持ってきていた。
「え、これ?」
「はい、上質なシルクの下着をご用意しました」
「スケスケのネグリジェ……私のロリ体系でこれはちょっと」
用意されたのはネグリジェというには装飾過多なベビードールに近いものだったが、サクラには当然女性用下着の違いなどわからない。
「なんでこんなセクシー下着を。というかこれ、誰の下着?」
「新しいものですのでご安心ください」
「え、なんでこんなものが用意されてるのこの屋敷!?」
ツッコミをいれているうちに、いつの間にかベビードールを着せられてしまっていた。
このメイド、客人のためらいなど完全無視である。
これまでも何度か会話を試みたが、取り合う気がないのか最小限の言葉しか交わさないのだ。コミュニケーションがほとんど取れない。自分の仕事を遂行することにしか興味がないようだ。
メイドは時間を惜しむように浴室へと消えていく。風呂の後片付けをするようだ
一人になったサクラは、セクシーな下着を着た自分の姿を観察する。しかし、自分ではどうにも似合っているようには見えない。
「うーん。私、セクシー?」
「はい。セクシーでございます。お客様。では、退出させていただきます」
「うわ!?」
いつのまにか超速でバスタブを片付け終わっていた背後に立っていた。
メイドは無表情のまま素早く退室していった。
「お茶が即座に出てきたとき感心したけど、もしかしてあのメイド、自分の仕事をさっさと終わらせることしか考えてない……? うん。まあ、深夜残業は嫌だよね」
何もかも面倒になったサクラは、そのままベッドに倒れこんだ。