森の中
「うおっ、まぶし!」
VRゴーグルから発せられた光のまぶしさに目を閉じた隆が、思わず手で目を覆ってごろごろ転がる。
「え、あれ? VRゴーグルがない……?」
先ほどまでVRゴーグルをかぶってゲームをしていたはずだったのだが、思わず目にやった手はあるはずのVRゴーグルに阻まれずに自分の顔に触れていた。
おそるおそる目を開く。周りの様子が一変していた。
「ここは、森…?」
見渡すと、周りは木々に囲まれた森の中だった。
一瞬VRゲームの続きかと思ったが、自分はやはりVRゴーグルをつけていない。
それに、いくらリアリティの向上した最新のVRとはいえ、現実と区別がつかないほどのVRはまだまだSFの世界だ。現在ののVR技術はその域にはない、VRゴーグルをかぶっていることははっきりとわかるし、ゲーム中は安全のため椅子に座った体制から動くことができない仕様だ。全身で地面に転がってる時点でVRゲーム内ではない。
ネットゲームをやっているときの癖で、思わず独り言を呟いてしまった隆は、声に違和感を感じた。
「うん? あ、あー。なんか……声がおかしい……ね?」
えへんと何度か咳ばらいをしたり、あーと声を出してみたりするが、やはり耳に聞こえてくるのは普段聞きなれた自分の声とは似ても似つかない声だった。
「こんなかわいい声。まるで女の子……ってなんじゃこりゃああ!」
思わず叫んだ。
突然、森にいたことに混乱して周りの様子に気を取られていたが。自分自身の身体が全然別物になっていた。
「お…女の子になってる!?」
自らの体を見下ろすと、胸に見覚えのないつつましやかな膨らみさえ確認できる。視線が低くなっていることから身長も低くなったようだ。
そこにいたのは、三十路の中肉中背の男の姿ではなかった。十代の可憐な美少女だった。
「鏡がないので顔はわからないけど、髪が長くなってるんですけど!? うわ、サラッサラ! あと……む、胸がある! 手足も柔らかい……完全に女の子の身体になってるね、これ」
【彼】は混乱する頭で、置かれた状況を確認するために自分の身体を確認した。
「服も変わってる。うん?……この服見覚えがある。これは【ロリータワンピ・ローブ】!」
【ロリータワンピ・ローブ】は【SoS】のイベント限定アイテムだ。どんな職業でも装備可能な防具だが防御力は皆無に等しく特殊な能力もない。ただの服だ。
しかしこの装備も、性能はともかく見た目のかわいさから人気があり、手に入れるのにかなりの苦労をした記憶がある。
「それに、右手に持ってるのはさっきまで【邪神】を殴っていた【ハートステッキ】!」
ハートステッキの先端に埋め込まれているハート型のピンクの宝石をのぞき込むと、自分の顔が映っているのが見える。
「この顔。この髪型。心当たりがある。あるに決まってる。この見た目を作るのにキャラメイクで2時間もかけた。俺が設定した通りの外見……これはつまり」
宝石の中に映る自分の顔は隆が丹精を込めてキャラクター造型した物だった。サラサラの黒髪にややロリっぽい幼い顔立ちは、ネットゲームプレイヤーにウケがいいように選択したものだ。
信じられない状況だが、なぜか理解できてしまった。理解するしかなかった。自分がこだわりにこだわり抜いてキャラメイクしたパーツを見間違えるはずがない。
身に付けているものも全て、厳選して集めた装備品。すべての状況がそろっていた。
「俺は、ゲームのキャラに……サクラ姫になってしまったのか!?」
◇◆◇◆
「【サクラ姫】は『俺』なんて言わないいい!!」
突然の理不尽な状況を理解し終わった【彼】が、なによりも最初に思ったのはそれだった。
ここはどこなのか、なぜ女の子になってしまったのか、何が起きたのか。そんなことではなかった。むしろ、そんなことはどうでもよかった。
「サクラ姫は、みんなに愛されるキャラ。みんなの姫。かわいくなくちゃだめだ。かわいくなければ優しくしてもらえない。頼って貰えない。仲間に入れてもらえない。ひとりぼっちはもう嫌だ。かわいくなければだめだ! かわいいが正義だ!」
現実世界でも【SoS】でも、誰からも必要とされなかったかった彼に、仲間ができたのは「かわいい」のおかげだった。皆に優しくされ、頼りにされたのは「かわいい」サクラ姫を作り「かわいく」演じていたからだ。
かわいくなければ自分には価値はない。姫プレイにハマりすぎた彼は、完全に歪んでいた。
彼にとって【サクラ姫】には単なるゲームキャラクターを超えた特別な思い入れがあった。そのサクラ姫が「俺」などと男口調で話す姿は到底許しがたい。
「ええと、そうだ。いつものロールプレイだ! 私、サクラ姫♡ みんな、サクラのために頑張って! きゃ♡」
ゲーム内と同じような台詞を、ゲーム内で作ったモーションと同じように、握りこぶし二つのポーズでかわいく上目使いで言ってみた。
「ぐはっ……!」
少女の姿をした【彼】は、自分の言動に精神的ダメージを受けて、がっくりと崩れ落ちた。
「きつい。これはきつい。アバターならともかく、現実で自分がやると思ったよりキツい…」
フリフリのドレスを着た少女が、地面に膝を付けてうなだれた。うっそうと茂った森の中、その姿は完全に周りの風景から浮いていた。
「まず『姫』を自称してるのがキツい。ない…これはない。『きゃ♡』も無理がある。アニメキャラならともかく、そんなこと言う女の子は現実にはいない。……いや、いないこともないけど……語尾にハートつけて喋る様な女はキツい……」
地面に手をついたまましばらくブツブツと悩んでいたが、ようやく彼の中で何かが整理されたようだ。
「口調は…普通でいいわ……いや、普通でいい。無理な女言葉は不自然になってしまう。そして自称『姫』はイタいからやめよう……」
【彼】……【彼女】は、決意したような顔でおもむろに顔を上げると、くるりと回る。スカートの裾がふわりと広がった。
「うん。かわいい!」
森にかわいらしい少女(中身はおっさん)の声が響いた。
◇◆◇◆
「いまさらだけど、何が起こったんだろう……」
彼……いや、いま彼女はサクラである。サクラが呟いた。
周りに誰もいないのだから、わざわざ考えを声に出す必要はないのだが、自分の追求するキャラづくり練習もかねて言葉に出して考えを整理することにした。
「普通に考えて【邪神】の呪い…かなあ」
ゲームキャラの身体で見知らぬ場所にいる原因。何らかの超常現象が起こったとしか思えない。
リアルな夢を見ているだけなのではないかとも思ったし、それが一番現実的な解釈だったが、自分が体験している現実感が夢とはとうてい思えなかった。
しかし、【邪神】の呪いとは言ったものの、ただのゲームキャラの【邪神】にそんなことができるとも思えない。
「ここはゲームの中なのかな。ゲームの中に引きずり込まれた、邪神に? 実は夢を見ているだけで本物の自分は現実世界で寝ている? ……でもこの現実感。ゲームの中とも夢の中とも思えない」
【SoS】のグラフィックは、VR黎明期の粗さが残る代物で、現実と区別がつかないほどのリアル差はない。没入型VRゴーグルによる臨場感はあるものの、バーチャルな世界であることがはっきりとわかるし、設定や世界観も無理やり後付けで作ったような、よく言えば割り切られた、悪く言えばやっつけのゲーム的なものだった。
VRネットゲーム黎明期だからこそ流行したものの、まだまだゲームとしては粗削り。現実の世界として具現化したときに成り立つほどの精緻さはなかった。
「わからないことを考えても仕方がない。それよりも、元の身体に戻れるのかな」
何が起きたのかを検証するよりも、いまは何より少女の姿になってしまったという重大な問題がある。
このまま一生、女の子「サクラ」として生きていかなければいけないのだろうか。そう考えると複雑な気分になった。
そして、もっと差し迫った問題として。深い森の中に一人。現在地は分からないし、都会暮らしの隆に自然の中でサバイバルできる能力はない。
「手持ちのものは、【ハートステッキ】の他には【ネコポーチ】の中身」
現状把握のために、役に立ちそうなものがないかポーチの中身をあさる。
【SoS】では、手持ち装備以外のアイテムを持ち運ぶのにカバンやリュック、ポーチなどのアイテムバッグが必要だ。アイテムバッグの種類ごとに容量が決まっていて、ポーチは容量が一番少ない。持ち運べる重量は体力値によるので、体力値が初期値のままの【サクラ姫】では容量の大きいアイテムバッグを持ってもたくさんのアイテムは持ち運べない。そのため、【サクラ姫】は緊急用のごくわずかなアイテムだけをネコポーチに入れて持ち運んでいた。
なお、ネコの形をしているポーチを選んだのは、当然『かわいい』からだ。
「【ネコポーチ】の中身は、この瓶はMP回復の青ポーションかな…? そうなるとこっちの数枚は霊符。記憶通りゲームのアイテムを持ってる。そして、うん。やっぱり食べ物はない」
食べ物アイテムはHP回復作用があるが重量がかさばる。自前で回復魔法をほぼ無制限に使用できる【サクラ姫】がわざわざ少ないアイテム重量枠を使ってまで持っているわけがなかった。
「水もない、食料もない。テントもなければスマホもない。こんな状態で、森でサバイバルするのは無理」
ポーションの液体は飲めそうだが、毒々しい青色をしているポーションをあまり飲みたいとも思えなかった。いざというときにはそうもいっていられなさそうだが。
「まずは、森を出て誰かの助けを呼ぼう。電話を借りて……誰に連絡するんだろう。警察?」
サクラは、ゲーム内でやっていたように可愛らしく小首をかしげながら呟いた。彼の病気は進行していた。
とにかく民家か何かを探そう。そう思ったサクラは木々が開けたほうに歩き始める。
しかし、思った以上に森を進むのは大変だった。道は当然舗装もされておらずでこぼこ。木の根や大きな石などを乗り越えながら進まなければいけない。平たんな場所は草が生い茂り行く手を阻む。
すぐに息が上がった。
「はあ……はあ。なんて体力のない身体……さすが体力値ゼロ振り!」
いくら女の子の身体とはいえ、体力がなさ過ぎた。根拠はないが、直感的にゲーム内の性能を引き継いでいるのだろうと思った。
【ハートステッキ】で下草をかき分けながら進む。たまたま手元にあった棒状の道具を活用しているだけなのだが、どういう原理かわからないが【ハートステッキ】を振るとゲームと同じように空中にハートのエフェクトが出る。
玩具のような【ハートステッキ】を振ってハートが舞い散るのはいまいち緊張感に欠けるが気にしないことにした。女の子になって森の中に突然立っていたことに比べれば、ハートが空中に出現することなどいまさら些細なことだ。
歩き始めてすぐに思い知ったのは、ひらひらドレス【ロリータワンピ・ローブ】は森を歩く服装ではないということだ。
かわいいだけで機能性皆無の服は、草や木の枝から腕や足を守ってはくれない。【ロリータワンピ・ローブ】は露出度は低い方だが、それでも手足は露出している部分がそれなりにある。アウトドアには向いていない。
少し進むとサクラの手足は細かい傷だらけになってしまった。大した傷ではないので痛みは我慢できるが、どうしても我慢できないことがあった。
「うう。せっかくの『かわいい』サクラの身体が傷だらけに」
こんな時でも【彼】の信念はブレなかった。
「こんな傷、ゲームなら回復魔法を使って一瞬で治るんだけどなあ。【治癒】! なんてね……え!?」
半分冗談で【治癒】を唱えると、サクラの身体から光があふれた。次の瞬間、手足の傷は綺麗に消えていた。
「回復した……魔法? そんな馬鹿な。ははは……」
いまさら、これ以上の超常現象では驚かないと思っていたが、思わず乾いた笑いがでる。
「はは……ゲームの身体だものね。ゲームの魔法くらい使えて当然だね。ははは……【神の祝福】!」
投げやりに【神の祝福】を試してみると、身体がまたしても光に包まれ、ほんの少しだけ力が湧いて来たような感覚があった。
試しに【ハートステッキ】を振って近くの樹を軽くたたくと、バゴッっと音がして樹の幹が少しへこんだ。
「100ダメージって実際見ると結構痛そうだね……」
サクラはそれ以上考えるのをやめた。




