邪神の呪い
「さて、【邪神】討伐ももうちょい。パーティの維持がんばりますか」
隆はVRゴーグルを着用したままゲーミングチェアの上で伸びをする。ステータスを確認すると、百万以上あった【邪神】のHPゲージは三分の一ほどになっていた。このままいけばあと数分で倒せるだろう。
『よし、ヴァイス。もう一度行くぞ!……どうした?』
聖騎士サイトウが声をかけると、勇者ヴァイスのキャラは不自然な形でフリーズしていた。数秒固まっていたが、そのまま消えてしまった。
『ステータス表示がオフラインになった。回線落ちか?』
『リアルで何かあったのかなあ?』
【サクラ姫】が小首をかしげる。隆は内心、ヴァイスざけんなよと思いつつも、セリフに合わせてサクラ姫にかわいくポーズをとらせることを怠らない。もはや、一種の病気である。
『いや、これはもしかして例の噂では……?』
【SoS】にはまことしやかにささやかれている一つの噂があった。曰く【邪神】の呪い。ゲームのラスボス格である【邪神】デスデザスター。奴を倒したプレイヤーは今までいないというのだ。
ラスボス格と言っても所詮はネットゲームのボス。何度も倒され復活することが前提にゲームバランスが作られている。たくさんいる「ラスボス格」のキャラのうちの一つに過ぎない。
強いとは言っても、ある程度の高レベルパーティが準備を整えて挑めば、苦戦はするもののなんとか倒せる程度の雑多な敵キャラに過ぎないはずだった。
しかし、【邪神】に挑んだパーティは数知れず。だがいまだに倒されたことはないというのだ。【邪神】をある程度追い詰めると様々な怪現象が発生し、ゲーム中断を余儀なくされるという。
曰く、回線が突然切断された。
曰く、落雷でプレイヤー宅一帯が停電になった。
曰く、新調したばかりのパソコンが突然壊れた。
曰く、ゲーム内で仲良くなった女がストーカー化し、アパートに包丁を持って押しかけてきた。
とにかく様々な怪現象が「リアルで」発生し、【邪神】討伐クエストは最後までクリアすることができない。「【邪神】の呪い」と呼ばれる噂だ。最後のものは少し違うような気がするが。
『まさか。あれは都市伝説。オカルトだよ。こんな適当な名前の邪神にそんな超常能力があるとも思えない』
魔導士が否定する。【サクラ姫】こと隆も同意見だ。「デスデザスター」は酷いセンスだ。
『ここまで来たら、四人でも倒せるよー。がんばろうよ♡」
『そうだな、あんなものは攻略できなかったプレイヤーの負け惜しみ。……うお、揺れた。地震!?」
聖騎士サイトウが発言の途中で慌てたように叫んだ。
『え、こっち揺れてないよ。サイトウ氏大丈夫……? マジで」
『うおおお、でかい』
『おいおい、律義に実況してる場合じゃないだろ』
『やばいやばい、天井からいろいろ落ちてくる! だめだ、ネトゲやってる場合じゃねえ。外に避難するわ』
聖騎士サイトウも画面から消えた。
『没入型VRって災害時に怖いな。あれ、サイトウ氏って東京だったよな……? 俺も関東だけど全然揺れてない。姫も関東だろ? 地震なんてあったか?』
『ううん、こっちも全然揺れてない。ニュースも……出てないね』
【サクラ姫】と魔導士【†暗黒騎士†】が顔を見合わせていると、忍者の【忍丸】のアバターから電話のコール音が聞こえてきた。
『……もしもし。え、システム障害!? 今すぐは無理ですって課長! ブツッ。ツー、ツー』
『忍丸くん大丈夫?』
『職場から呼び出しだ。ごめん、行かなきゃ。落ちるわ』
『うへえ、こんな時間に仕事かよ。大変だなあ、社会人』
学生の【†暗黒騎士†】が嫌そうな顔をしている目の前で、【忍丸】はログアウトした。
『完全に偶然だと思うけど、【邪神】の呪いパネェな……俺も落ちようかな』
『え、もうちょっとで倒せるのに?』
せっかくここまで追い詰めたのだ。【邪神】討伐の報酬は魅力だ。それに噂が本当なら【邪神】初討伐の名声が手に入るかもしれない。【サクラ姫】としては、ここで諦めることには未練があった
『いや、前衛いなくなっちゃったじゃん。俺らだけじゃ無理だって。それに俺、明日試験なんだよね。時間押してるしもう限界。ごめん』
『そっか、しかたないね。思ったより時間かかっちゃったし』
『試験終わったらまた挑戦しような』
『うん、待ってる。試験がんばって、黒ちゃん♡』
『うおおん。サクラちゃんラビューン! じゃ、またな』
結局、【サクラ姫】以外全員落ちてしまった。
一人になった【サクラ姫】を見て、広間の奥の【邪神】がにやり勝ち誇ったような顔をしているような気がするが、気のせいであろう。
「うーん。もうちょっとで倒せるのにまさかの全員落ち」
【サクラ姫】——隆にはまだ未練があった。
「ひとりでも……行けるかな」
【サクラ姫】には攻撃力はない。防御力もない。回復と支援特化キャラである。普通に考えれば五人で戦って何とかここまで追い詰めた【邪神】をサクラ姫が倒すことなど不可能だ。しかし、勝算はないこともなかった。
『【神の祝福】!』
全ステータスが10%上昇する効果のある支援魔法を自身にかける。
【神の祝福】でステータス底上げしてもサクラ姫のステータス上の攻撃力はほぼゼロ。正確にはゼロではないが誤差である。そして、ゼロに何をかけてもゼロだ。
しかし、ここで重要なのはステータス上昇効果ではない。【神の祝福】には地味だがもう一つの効果があった。追加の固定ダメージである。これがあれば、たとえ攻撃力皆無で相手の防御によって0ダメージになるような攻撃でも、固定値の追加ダメージを与えることができるのだ。
だが【神の祝福】は地雷スキルとして有名だった。
まず、本来の効果であるステータス上昇も10%とあまりにも効果がショボい。ステータスが30%や50%程度向上するアイテムは珍しくない。わざわざスキルを習得するほどの効果ではない。
そして、固定ダメージである。
先ほど、勇者ヴァイスが使用した竜撃斬で【邪神】に与えたダメージは約8000。それに対して、【神の祝福】の副次効果の追加ダメージはたったの100である。固定というだけあってそのダメージはレベルが上がっても、攻撃力が上がってもずっと100だ。レベル1で攻撃力が1でも100。レベル100で攻撃力が1万でも100である。
だから、【神の祝福】は、序盤の弱いモンスターを狩っているうちは役に立つが、すぐに死にスキルとなってしまう。
高レベル帯では誰も使っていない。むしろ、序盤に習得することすらスキルポイントの無駄遣いであり、今となってはスキルを取得しているのはシステムを理解していない初心者だけとなっていた。
「【神の祝福】の固定追加ダメージ効果100。【邪神】の残りHPは約30万。3000回くらい殴れば倒せるでしょ」
隆は、普通のプレイヤーが聞いたら正気を疑うようなことを呟くと、【サクラ姫】を【邪神】の正面に立たせて攻撃を開始した。
サクラ姫はひたすら回復と支援とかわいさのためだけに育てたキャラだ。
敏捷や体力などにも一切ステータスポイントを振っていないので【邪神】の攻撃を避けることは不可能だ。攻撃スキルも当然皆無なので遠距離から攻撃することもできない。密着して通常攻撃で殴るしかない。
『えいっ!』100ダメージ!
『えいっ!』100ダメージ!
『えいっ!』100ダメージ!
『えいっ!』100ダメージ!
サクラ姫が可愛らしいモーションでステッキを振るうと空中にハートが飛び散る。
このステッキも見た目だけで選んだ実用性皆無のネタ武器【ハートステッキ】だ。
武器としての性能は全くゼロに近いのだが、見た目が魔法少女っぽいという理由で意外な人気がある。高値で取引されていて入手に苦労した。言うまでもないが、ハートのエフェクトに何の効果もない。
グオオオオオン!
当然ながら、一番攻撃がしやすい目の前で無防備な戦いをしている【サクラ姫】は【邪神】にとっては絶好の的である。当然【邪神】の攻撃をもろに正面から受けることになる。【邪神】が右手をサクラ姫に向かって叩きつける。HPが真っ赤になって一気に瀕死状態となる。
「【治癒】! はい、全快」
治癒魔法を使用したサクラ姫のHPは一気に全快する。
しかし、さらに【邪神】の連続攻撃が続く。両手を振り回したラッシュ攻撃をサクラ姫はすべてその身体で受けることになった。
「【治癒】【治癒】【治癒】」
サクラ姫は【邪神】の攻撃がかすっただけでHPが一桁になるが、いくら瀕死になっても治癒魔法一発で瞬時で回復してしまう。
サクラ姫の防御力がいかに低いとはいえ、レベル補正や防御力を増強するバフ魔法によって【邪神】の通常攻撃では一撃死しない程度の耐久度はあった。
「治癒魔法をなめてもらっては困る。パーティ全員のHPを全快し続けるバランスで作られてるんだよ。【SoS】のパーティは最大八人。八人分の回復力を自分一人に集中してるのだから、即死以外では死ぬ気がしない」
ガスッ!ドガッ!ガゴッ!
「【治癒】【治癒】【治癒】」
【邪神】の攻撃連打と、サクラ姫の治癒魔法連打が続く。【邪神】の物理攻撃ではサクラ姫は即死しないのでしばらく膠着状態が続く。
『ナメルナ』
カッ!
突然、【邪神】の目から発射されたレーザーがサクラ姫を貫いた。貫通したレーザーは後方の床に着弾し、巨大な爆発とキノコ雲が発生した。
「なっ、今のは……【邪神】の固有スキル!? 何て凶悪な初見殺し。即死したよ!」
【邪神】のレーザー攻撃で、満タンだったサクラ姫のHPは一瞬で蒸発した。
『ナニ……?』
しかし、爆炎の中にサクラ姫は立っていた。そして自らに治癒魔法をかけて即座に全快する。
「【治癒】! ふう。【守護の指輪】が発動したみたいだね」
【守護の指輪】は死亡ダメージを受けた際、10%の低確率でHP1で生き残る効果が発動するアイテムだ。発動率はあまり高くないのでレアリティは低い。
装備アイテム枠の数は決まっている。貴重な装備枠には、普通のプレイヤーは攻撃力や魔法の威力を高めるアイテムを好んで装備するため、低性能の即死回避アイテムはマーケットで安値で投げ売りされていた。
攻撃力も防御力も無視しているサクラ姫は、装備枠を目いっぱい使って安く投げ売られている同種の装飾アイテム、【反魂の首輪】、【約束の腕輪】などを大量に装備していた。
それのどれもが、死亡ダメージを受けた際に低確率でHP1の状態で生き残る効果があるアイテムだ。一つ一つの発動確率は低い。だが、その効果は重複する。大量に装備することで、どれか一つでも効果が発動すれば生き残るのだ。
「サクラ姫は、即死さえしなければ死なないよ。そして、アイテム効果で九割以上の確率で即死は防ぐ。最前線でも絶対死なない回復役。それが俺のサクラ姫だ」
『グオオオ…オロカナニンゲンガアアア!』
画面の中では【邪神】が憎悪をあらわにして、怒り狂って暴れていた。
「【邪神】ってこんなにセリフあったっけ…? まあいいや、殴ろう」
『えいっ!』100ダメージ!
『えいっ!』100ダメージ!
『えいっ!』100ダメージ!
グオオオン! ガスッ!
『【治癒】!』
『えいっ!』100ダメージ!
グオオオン! ドガガガガッ!
『【治癒】!』
『えいっ!』100ダメージ!
「勝った。あとは単純作業だ。効率は最低だけど。このペースだと3時間くらい殴り続ければ倒せる」
『えいっ!』100ダメージ!
『イタタタタ…』
『えいっ!』100ダメージ!
『えいっ!』100ダメージ!
『イタッ…ヤメッ……』
【邪神】がサクラ姫にタコ殴りにされてる。ダメージ100とはいえ、100発も食らえば1万ダメージである。地味に痛いのだろう。【邪神】のセリフに泣きが入ってきた。
「ただ同じモーションで殴り続けるのも芸がないか。せっかくだから、何か新しい『かわいい』モーションでも考えますか」
『やっつけちゃうぞ♡』100ダメージ!
『お兄ちゃんなんか嫌いっ!』100ダメージ!
「んー、ちょっと普通かな。もうちょっとインパクトが欲しいかな」
『うわ…変態さんだ…近寄らないでください』100ダメージ!
『え…ごめんなさい。生理的に無理です…』100ダメージ!
「うんうん。この辺のセリフ、ドMのサイトウ氏喜びそう。今度言ってあげよう」
遊び半分でドSモーションを作成しながら、半ば作業的に【邪神】をフルボッコで殴り続けていた彼は、【邪神】の変化に気が付かなかった。
『叩かれて喜ぶなんて、気持ち悪いです……』100ダメージ!
『この蛆虫が……あ、一緒にしたら蛆虫さんに失礼ですね』100ダメージ!
「ユルサン…ココマデ、コケニサレタノハハジメテダ! ゼッタイニ、ユルサン」
【邪神】は目の前の敵、サクラ姫ではなくその中にいる何者かを見つめていた。
その視線の先には、VRゴーグルをかぶる男の姿があった。ゲーム内から世界の向こうにいるプレイヤーをにらみつける。
【邪神】は知っていた。キャラクターたちの中には違う人間がいることを。違う世界から目の前のキャラクターを操っている存在があることを。
【邪神】にはそちらの世界に干渉する力があった。先ほど勇者ヴァイスの回線を切断したように、聖騎士サイトウの実家限定の地震を起こしたように。もちろん、忍者の忍丸の会社のシステムをダウンさせたのも【邪神】の仕業だ。【邪神】デスデザスターは自身が危険になった際、リアル世界に干渉して回線断や天災を引き起こすことで敵を排除してきたのだ。
いま【邪神】はその力を全力で行使する。
「ワレヲ、コケニシタコト、コウカイスルガイイ!」
【邪神】の怒りは渾身のエネルギーとなって爆発する。
ピカアアアッ!
VRゴーグルから白い光があふれ出し、隆の視界を包み込んだ。