平凡なおっさん、姫になる
男の名は山田隆。平凡なサラリーマンである。
彼は子供のころから学校でも目立たない地味な存在だった。特にいじめられているわけではなかったが、クラスの輪に入ることもできず、教室の端の方でほとんど静かに日々を過ごす、そんな存在だった。
社会人になってからも、何気ない雑談やコミュニケーションが相変わらず苦手だった。同僚と積極的に交流することもなくいつしか飲み会にも誘われなくなり、やはり会社でも静かに一人で過ごしている。そんな男だった。
近頃【SoS】を始めたのも、休憩時間に若手社員が「【SoS】ってゲームが出るんスけど、パねえんスよ。臨場感がマジで!」というような話で盛り上がっているのを聞いて、話のネタにちょっとやってみようかと思っただけだ。
共通の話題でもあれば、もう少しコミュニケーションを取れるかもしれない、くらいの軽い気持ちだった。新卒世代の若手との間にジェネレーションギャップを感じるようになってきた今日この頃である。軽い雑談をするのにも以前にもまして苦労をする。
隆の少年期は、様々なMMORPGが百花繚乱のネットゲームの時代であったので、そういった類のゲームに抵抗はなかったし、知識もあった。学生時代はゲームの話をする友人などいなかったため、実際にやる機会は訪れなかったのだが。
【SoS】を開始した彼は、まずは戦士系のキャラクターを選択した。
この手のゲームでは、初心者向けなのは戦士系職だと思ったからだ。特に深い理由もなく選択したキャラクターだった。そして、その時は意識もしていなかったが、キャラクターの性別は、当然のように自分と同じ男性を選択した。
積極的なコミュ力を持ち合わせていなかった彼は、ネットゲームの中でも他者と特に交流することはなく、ソロプレイで地道にゲームプレイを続けていた。
しかし、【SoS】は大多数のMMORPGがそうであるように、パーティプレイ前提のゲームバランスであった。そのため、序盤はともかく中盤になるとソロプレイではすぐに行き詰ってしまった。
彼は仕方なく、パーティを探すことにした。勇気を振り絞って見ず知らずのプレイヤーに声をかける。
「あの、パーティに入れていただけないでしょうか」
「ごめん、前衛は間に合ってるんだ。回復職だったらなあ」
「あ、はい。すみません」
戦士系ジョブはあまり需要がなかった。それでもめげずにパーティを探す。さいわい、ゲーム内の酒場にはパーティ募集掲示板が設置されており、様々な募集が張り付けられている。
『【漆黒の狼】PT募集中』
「あの…パーティ募集の掲示見たのですが」
「あー、さっき埋まっちゃってね」
「そうですか」
次のパーティ募集を探そう。掲示板の前に戻った彼の目に飛び込んできたのは、文面が更新された先ほどのパーティ募集だった。
『【漆黒の狼】PT募集中(女の子限定)』
心が折れた。
彼にもっとコミュ力があったなら、狩場で仲良くなったプレイヤーと一緒に遊ぶことができたかもしれない。
あるいは、リアルに友人がいれば一緒のパーティを組んでゲームをやることができたかもしれない。
だが、彼にはコミュ力がなかった。そして、リアルでネットゲームをするような友人が周りにいるような年齢でもなかった。いや、学生時代にもいなかったのだが。そもそも友人がいなかった。
しかし、心が折れた彼はここで間違った方向に行動力を発揮してしまった。
「なんだよ。そんなに回復職がいいのか。女の子がいいのか……そうかわかった。なってやるよ! 俺が!」
彼は行き詰った戦士キャラをデリートして、新キャラでゲームをやり直すことを決意する。
今度は失敗しないように、パーティに入れてもらえるように、綿密にキャラメイキングを行った。
「見た目は可愛い女の子。みんなに愛される姫。俺は姫になる。姫になって逆にあいつらを俺がパーティで使ってやる。名前はそう……。サークラの姫。サークラ姫。サクラ姫」
こうして、愛され姫キャラ【サクラ姫】は誕生した。
「あの、パーティに入れてもらえませんか?」
「大歓迎だよ!」
回復職なので簡単にパーティに入れてもらえた。
「まだ始めたばかりで、どうしたらいいかわからなくて…」
「俺たちが教えてあげるよ!」
キャラの見た目が女の子なだけで、みんな親切にしてくれた。他人にこんなに親切にされたのは、彼の人生において初めての体験だった。
ソロプレイで失敗した苦い過去を繰り返さないように、それだけを考えて育成した。
他者を支援するためのスキルのみを覚えた。習得するのは回復や支援系統の魔法のみ。攻撃力は皆無になった。
見た目にも気を配った。性能は度外視で、ただただかわいい装備を身に着けた。防御力も皆無になった。
「いたいのいたいのとんでけー♡【治癒】!」
みんなに喜ばれるように、かわいい言動を心がけた。
端から見れば演技過剰すぎて痛いのだが、ここはネットゲーム。そういうキャラを求める男たちは多かった。なまじアドリブが可能なほどのコミュ力がないだけに、設定したキャラ人格のロールプレイは完璧だった。
「適当に回復魔法飛ばしてるだけで男どもが勝手に敵をやっつけてくれる。感謝してくれる。ドロップアイテムもくれる。なんて素晴らしいんだろう。後ろで応援しているだけでいいなんて!」
他人にこんなに必要とされたのは、彼の人生で初めてだった。
いつしか、彼はどっぷりと姫プレイにハマっていた。
「サクラ姫、ナイトハルトさんのかっこいいところみたいなー♡」
「よっしゃー、任しとけ! 一人でこいつら全滅したる!」
「姫、献上品でござる」
「わあ、ありがとう! 大事にするね♡」
満喫していた。
こんな露骨な媚びや愛想を振りまいていたら、男女関係のトラブルが起きそうなものだが意外なほどにそういったものはなかった。
そもそも、ネットゲームの女の子なんて中身は女の子ではない。画面の向こうに美少女なんていない。そんなことは慣れたプレイヤーならみんな分かっている。
操っているのが三十路のおっさんであれ、暇を持て余した四十代主婦であれ、キャラが可愛ければいいのだ。VRゲームの世界はゲーム内がすべて。決して現実を見てはいけない。見れば不幸になる。
パーティメンバーはことあるごとに軽口のようにサクラ姫LOVEなどと言ってくるが、誰も本気ではない。ネタである。
中には、真剣に女性プレイヤーのストーカー化するような厄介なプレイヤーや道理が通じないお子様プレイヤーもいるが、ほとんどのプレイヤーは「わきまえている」。中身が誰かなんて詮索はしない。
VRの世界ではアバターが美少女なら美少女なのだ。美少女のアバターがかわいい言動をしていれば、それはかわいい美少女なのだ。それがVRゲームの掟である。
幸いにも【サクラ姫】が参加したパーティメンバーは、みんな『常識』をうよくわきまえたネットゲームプレイヤーたちだった。
姫プレイを一種のロールプレイとして受け入れてくれるノリのいい連中だ。
【サクラ姫】はそんな愉快な仲間たちと存分に【SoS】の世界を楽しんでいた。
なお、パーティメンバーにキャラクターの名前の由来を教えたら爆笑された。